勧修寺経茂 ウィキペディアから無料の百科事典 凡例勧修寺経茂時代 室町時代中期 - 戦国時代生誕 永享2年(1430年)死没 明応9年5月21日(1500年6月17日)官位 正二位、権中納言主君 後花園天皇→後土御門天皇氏族 勧修寺家父母 父:勧修寺経直、養父:勧修寺教秀子 坊城俊名[1]養子:政顕テンプレートを表示 勧修寺 経茂(かじゅうじ つねしげ)は、室町時代中期から戦国時代にかけての公卿。官位は正二位・権中納言。勧修寺家8代当主。 経歴[編集] 永享2年(1430年)、参議・勧修寺経直の子として誕生。 長禄4年(1460年)12月5日、参議に任じられる。 応仁の乱の戦火を逃れて京から脱出したが、その風体は乞食の様だったという。 系譜[編集] 父:勧修寺経直(?-1449) 母:不詳 養父:勧修寺教秀(1426-1496) 妻:不詳 男子:坊城俊名 - 坊城俊顕の養子 養子 男子:勧修寺政顕(1452-1522) - 勧修寺教秀の子 脚注[編集] ^ 坊城俊顕の養子 表話編歴勧修寺家8代当主 経顕 経方 経重 経豊 経興 経直 教秀 経茂 政顕 経熈 尚顕 尹豊 晴秀 晴豊 光豊 教豊 経広 経敬 尹隆 高顕 顕道 敬明 経逸 良顕 経則 顕彰 経理 顕允 経雄 信忍 美温 義幸 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集