劉虎 (後漢) ウィキペディアから無料の百科事典 劉 虎(りゅう こ)は、中国後漢末期の武将。本貫は兗州山陽郡高平県[1]。 荊州牧劉表の従子。劉表の指示を受け、江夏太守黄祖の下に武将として派遣される[2]。 韓晞と共に長矛隊五千を率い、黄祖軍の先鋒を務めていたが、建安4年12月11日(200年1月13日)、孫策との戦いに敗れ、戦死した[2][3]。 脚注[編集] [脚注の使い方] ^ 陳寿撰、裴松之注『三国志』魏書 劉表伝記載、従父の劉表の本貫。s:zh:三國志/卷06#劉表 ^ a b 『三国志』呉書 孫策伝注『江表伝』 s:zh:三國志/卷46#孫策 ^ 『三国志』孫策伝注『呉録』