光禄大夫 ウィキペディアから無料の百科事典 光禄大夫(こうろくたいふ)は、中国の前漢以降の官職である。 前漢においては、元は中大夫と呼ばれ、論議を職務とし、郎中令(光禄勲)に属していた。武帝の太初元年(紀元前104年)に中大夫を光禄大夫と改称し、秩禄を比二千石とした。 後漢においても秩禄は比二千石で定員は無かった。顧問応対を職務としており、決まった仕事はなく、詔によって派遣されるのみであった。 後代には散官の一つとなった(唐・宋の例では従二品、元では従一品)。 参考文献[編集] 『漢書』巻19上百官公卿表上 『続漢書』(『後漢書』合刻)百官志二