丸屋九兵衛 (義民) ウィキペディアから無料の百科事典 この項目では、江戸時代中期の一揆指導者について説明しています。その他の用法については「丸屋九兵衛 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 丸屋 九兵衛(まるや くへえ、? - 天明8年1月23日(1788年2月29日))は、江戸時代中期の一揆指導者[1]。 経歴・人物[編集] 山城伏見京町北7丁目の町年寄[2]。 天明5年(1785年)伏見奉行の小堀政方の苛政に反対し、文珠九助らと共に江戸の寺社奉行へ越訴した(伏見町民一揆)[1]。結果政方は職を免じられたが、九兵衛は吟味中に病死する[1]。死後、2人は無罪となった[1]。 脚注[編集] [脚注の使い方] ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『丸屋九兵衛』 - コトバンク ^ 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『丸屋九兵衛』 - コトバンク