ピエール=ナルシス・ゲラン
ウィキペディアから無料の百科事典
ピエール=ナルシス・ゲラン Pierre-Narcisse Guérin | |
---|---|
誕生日 | 1774年3月13日 |
出生地 | フランス王国・パリ |
死没年 | 1833年7月6日(59歳没) |
国籍 | フランス |
芸術分野 | 絵画 |
ピエール=ナルシス・ゲラン(Pierre-Narcisse, baron Guérin、1774年3月13日 - 1833年7月6日)は、フランスのパリ出身の画家。
略歴[編集]
1785年に王立絵画彫刻アカデミーの美術学校に入学しジャン=ユーグ・タラヴァル(Hughes Taraval:1729–1785)、ニコラ・ギー・ブレネ(Nicolas Guy Brenet:1728-1792)、ジャン=バプティスト・ルニョー(Jean-Baptiste Regnault:1754-1829)に学んだ。1797年に有望な学生に与えられるローマ賞を『ウティカのカトの死(La Mort de Caton d'Utique』で受賞した。1799年にサロン・ド・パリに『マルクス・セクストゥスの帰還』を出展し賞を得た。
ローマ賞の奨学金でイタリアに留学し数年間滞在した。1810年からサロンへの出展を再開し、パリにスタジオを作り後進の画家を教えた。1816年に気ロード・ドジュー(Claude Dejoux)の後を継いで、王立アカデミーの教授となった。1822年から在ローマ・フランス・アカデミーの校長を務めた。
ゲランに学んだ人物[編集]
ゲランの教えを受けた画家には以下のような人物がいる[1]。
- ギョーム・ボディニエ (1795-1872)
- オーギュスタン・ブルデ(fr) (1798-1870)
- レオン・コニエ (1794-1880)
- アレクサンドル=マリー・コラン (1798-1875)
- ウジェーヌ・ドラクロワ (1798-1863)
- フランソワ=グザヴィエ・デュプレ(fr) (1803-1871)
- テオドール・ジェリコー (1791-1824)
- ルイ・ピエール・アンリケル・デュポン(fr) (1797-1892)
- ポール・ユエ (1803-1869)
- ビクトール・オルセル(fr) (1795-1850)
- アリ・シェフェール (1795-1858)
- アンリ・シェフェール (1798-1862)
- Charles-Auguste van den Berghe (1798-1853), élève en 1825.
- Pierre Michel Adam (1799-1853)
作品[編集]
- 「La Mort de Caton d'Utique」『小カト(ウティカのカト)の死』
- 『マルクス・セクストゥスの帰還』
- Aeneas tells Dido the misfortunes of the Trojan city『トロイアでの災難を語るアエネアス』
- Portrait of a young girl
- 『モルフェウスとイーリス』
脚注[編集]
- ^ Frédéric Chappey, Les Professeurs des Beaux-Arts (1794-1873), dans : Romantisme, 1996. N°93. p. 95-101.