テリー・ペンドルトン

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テリー・ペンドルトン
Terry Pendleton
ブレーブスでのコーチ時代(2011年3月)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ロサンゼルス
生年月日 (1960-07-16) 1960年7月16日(63歳)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 三塁手
プロ入り 1982年 MLBドラフト7巡目(全体179位)でセントルイス・カージナルスから指名
初出場 1984年7月18日
最終出場 1998年9月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

テリー・リー・ペンドルトンTerry Lee Pendleton, 1960年7月16日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の元プロ野球選手(三塁手)、野球指導者。右投両打。

経歴[編集]

1982年MLBドラフト7巡目(全体179位)でセントルイス・カージナルスから指名され、プロ入り。 当初は二塁手であったが、AAA級ルイビル・レッドバーズ所属時の1984年開幕直後に三塁手にコンバート。同年カージナルスは正三塁手のケン・オバークフェル英語版アトランタ・ブレーブストレードし、当初はアンディ・バンスライクを三塁手に起用したが30試合で7失策を喫したため、ペンドルトンの大リーグ昇格を決めた。ペンドルトンは7月18日サンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャーデビュー。その試合では5打数3安打を記録し、すぐにレギュラーに定着した。 同年は67試合の出場で打率.324・20盗塁を記録。1985年以後もレギュラーとして起用された。1990年までのカージナルス時代は、1985年1987年の2度のワールドシリーズ出場や守備面でのゴールドグラブ賞獲得(1987年1989年)こそあったものも、打撃成績は平凡であった。

1991年FAでブレーブスに移籍すると、打撃面でも進境著しく、打率.319で首位打者のタイトルを獲得。チームを前年のナショナルリーグ西地区最下位から地区優勝に導き、MVPに輝く。チームはリーグチャンピオンシップシリーズも制し、ワールドシリーズに出場したが、やはり前年最下位からワールドシリーズに進出したミネソタ・ツインズに敗れた。ツインズにはカージナルス時代の1987年にも、「敵地で連敗、本拠地で3連勝、敵地で連敗」という全く同じ形で敗北を喫している。 同年の187安打・303塁打はいずれもリーグ1位で、22本塁打・8三塁打はキャリア・ハイ。カムバック賞も受賞した。 翌1992年は2年連続リーグ最多となる199安打、打率.311、21本塁打、自己最多の105打点を記録し、自身唯一のMLBオールスターゲーム選出を果たす。また、自身3度目のゴールドグラブ賞を受賞した。ブレーブスは同年もワールドシリーズに出場したが、トロント・ブルージェイズに敗れた。ブルージェイズもカージナルス時代の1985年に敗れた相手である。打撃成績からみてもこの2年がピークであった。

1995年には三塁の定位置を新鋭チッパー・ジョーンズに譲ってフロリダ・マーリンズに移籍。同年は打率.290、14本塁打を記録。皮肉にも、ペンドルトンがいなくなったブレーブスはワールドシリーズ優勝を果たした。翌1996年シーズン途中の8月に交換トレードでブレーブスに移籍(復帰)。この時、ブレーブスは右翼手で打線の中核であるデビッド・ジャスティスを故障で欠き、さらに正遊撃手ジェフ・ブラウザーが故障した。チッパー・ジョーンズを遊撃手で起用し、三塁手としてペンドルトンを起用するための復帰であった。交換相手はプロスペクトのルーズベルト・ブラウン(のちにオリックス・ブルーウェーブに在籍)であった。同年ブレーブスはワールドシリーズ進出。自身5度目のワールドシリーズ出場となったが、ニューヨーク・ヤンキースに敗退。1997年シンシナティ・レッズと契約するが、3度にわたる故障者リスト入りもあってシーズン途中に解雇された。翌1998年、キャリア初のアメリカンリーグとなったカンザスシティ・ロイヤルズを最後に現役引退。

2002年からは古巣ブレーブスで監督ボビー・コックスのもと、打撃コーチを務める。監督がフレディ・ゴンザレスに代わった2011年から一塁ベースコーチに配置転換。2016年途中でゴンザレスが解任され、ブライアン・スニッカーが代行監督に就任するとベンチコーチに配置転換された。スニッカーの正式監督就任に伴い、2017年は引き続きベンチコーチを務めたが、レギュラーシーズン終了後の10月20日に来年度の契約更新を行わない旨を通告された[1]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1984 STL 67 283 262 37 85 16 3 1 110 33 20 5 0 5 16 3 0 32 7 .324 .357 .420 .777
1985 149 602 559 56 134 16 3 5 171 69 17 12 3 3 37 4 0 75 18 .240 .285 .306 .591
1986 159 626 578 56 138 26 5 1 177 59 24 6 6 7 34 10 1 59 12 .239 .279 .306 .585
1987 159 667 583 82 167 29 4 12 240 96 19 12 3 9 70 6 2 74 18 .286 .360 .412 .772
1988 110 421 391 44 99 20 2 6 141 53 3 3 4 3 21 4 2 51 9 .253 .293 .361 .654
1989 162 661 613 83 162 28 5 13 239 74 9 5 2 2 44 3 0 81 16 .264 .313 .390 .703
1990 121 484 447 46 103 20 2 6 145 58 7 5 0 6 30 8 1 58 12 .230 .277 .324 .601
1991 ATL 153 644 586 94 187 34 8 22 303 86 10 2 7 7 43 8 1 70 16 .319 .363 .517 .880
1992 160 689 640 98 199 39 1 21 303 105 5 2 5 7 37 8 0 67 16 .311 .345 .473 .818
1993 161 682 633 81 172 33 1 17 258 84 5 1 3 7 36 5 3 97 18 .272 .311 .408 .719
1994 77 324 309 25 78 18 3 7 123 30 2 0 3 0 12 3 0 57 8 .252 .280 .398 .678
1995 FLA 133 557 513 70 149 32 1 14 225 78 1 2 0 4 38 7 2 84 7 .290 .339 .439 .778
1996 111 441 406 30 102 20 1 7 145 58 0 2 1 5 26 5 3 75 10 .251 .298 .357 .655
ATL 42 177 162 21 33 6 0 4 51 17 2 1 0 0 15 1 0 36 8 .204 .271 .315 .586
'96計 153 618 568 51 135 26 1 11 196 75 2 3 1 5 41 6 3 111 18 .238 .290 .345 .635
1997 CIN 50 125 113 11 28 9 0 1 40 17 2 1 0 0 12 1 0 14 1 .248 .320 .354 .674
1998 KC 79 254 237 17 61 10 0 3 80 29 1 0 0 2 15 1 0 49 2 .257 .299 .338 .637
MLB:15年 1893 7637 7032 851 1897 356 39 140 2751 946 127 59 37 67 486 77 15 979 178 .270 .316 .391 .707
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

背番号[編集]

  • 9(1984年 - 1996年途中、1997年、2002年 - 2017年)
  • 5(1996年途中 - 同年終了)
  • 6(1998年)

脚注[編集]

  1. ^ Nubyjas Wilborn (2017年10月20日). “Source: Longtime coaches Terry Pendleton, Eddie Perez off Braves' field staff” (英語). mdjonline.com. 2017年11月19日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

業績
先代
ウィリー・マギー
ナ・リーグ首位打者
1991年
次代
ゲイリー・シェフィールド
先代
ジョン・テューダー
ナ・リーグカムバック賞
1991年
次代
ゲイリー・シェフィールド
先代
バリー・ボンズ
ナ・リーグMVP
1991年
次代
バリー・ボンズ