ジャン・ボーセジュール
ウィキペディアから無料の百科事典
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 | ジャン・アンドレ・エマヌエル・ボーセジュール・コリケオ Jean André Emanuel Beausejour Coliqueo | |||||
愛称 | Palmatoria | |||||
ラテン文字 | Jean BEAUSEJOUR | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | チリ ハイチ | |||||
生年月日 | 1984年6月1日(40歳) | |||||
出身地 | サンティアゴ[1] | |||||
身長 | 178cm[2] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / DF (LWG, LWB) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
ウニベルシダ・デ・チレ | ||||||
カトリカ | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002 | カトリカ | 16 | (3) | |||
2002-2003 | → コンセプシオン (loan) | 30 | (3) | |||
2004-2005 | セルヴェット | 11 | (1) | |||
2005 | グレミオ | 55 | (7) | |||
2006 | ヘント | 0 | (0) | |||
2007 | コブレロア | 22 | (0) | |||
2008 | オヒギンス | 34 | (13) | |||
2009-2010 | クラブ・アメリカ | 45 | (3) | |||
2010-2012 | バーミンガム | 39 | (3) | |||
2012-2014 | ウィガン | 85 | (3) | |||
2014-2016 | コロコロ | 54 | (7) | |||
2016-2021 | ウニベルシダ・デ・チレ | 93 | (1) | |||
2021 | コキンボ・ウニド | 22 | (0) | |||
通算 | 508 | (44) | ||||
代表歴 | ||||||
2004 | チリ U-23 | 7 | (2) | |||
2004-2020 | チリ | 109 | (6) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジャン・アンドレ・エマヌエル・ボーセジュール・コリケオ(Jean André Emanuel Beausejour Coliqueo, 1984年6月1日 - )は、チリ・サンティアゴ出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはMF、DF(左ウイング、左ウィングバック)。
経歴[編集]
クラブ[編集]
初期の経歴[編集]
父親はハイチ共和国出身であり、母親はチリ出身(マプチェ族)である[3]。2001年にウニベルシダ・カトリカからデビューし、それ以来数多くのクラブでプレーしている。2004年、スイス・スーパーリーグのセルヴェットFCと1年契約を結んだ[1]。2005年にはブラジル・セリエAのグレミオFBPAに加入し、2006年にはベルギー・ジュピラー・プロ・リーグのKAAヘントに加入。2007年にはチリに帰国し、CDコブレロアで1年間プレーした後に2008年にCDオヒギンスに加入。オヒギンスでのプレーはチリ代表のマルセロ・ビエルサ監督に注目され、3度代表に招集された。2008年12月1日にメキシコのクラブ・アメリカと3年半の契約を結び、1シーズン半をメキシコでプレーした。
バーミンガム・シティ[編集]
2010年8月31日、プレミアリーグのバーミンガム・シティFCと3年契約を結んだ。移籍金は公開されていない[4]。労働許可証取得を待ったためにデビューが遅れたが[5]、9月18日のウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC戦 (1-3) で、83分にアレクサンドル・フレブとの交代で出場してデビュー[6]。フットボールリーグカップのMKドンズ戦 (3-1) では初めて先発出場し、フレブとニコラ・ジギッチの得点をアシストして強い印象を残した[7]。FAカップのミルウォールFC戦では先制点をアシストし、さらに20ヤードの距離からクロスバーを直撃するシュートを放った[8]。FAカップ5回戦のシェフィールド・ウェンズデイFC戦では、6分にリー・ボウヤーの切り返しからインサイドキックで移籍後初得点を挙げた[9]。バーミンガムはカーリングカップで決勝に進出し、ウェンブリー・スタジアムでアーセナルFCと対戦した決勝 (2-1) では後半に途中出場して優勝の瞬間に立ち会った[10]。この結果、バーミンガムは約50年ぶりの主要な欧州カップ戦となるUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得。2011年3月5日、ホームで行われたWBA戦 (3-1) で移籍後リーグ初得点を挙げ[11]、4日後のエヴァートンFC戦でリーグ2点目を決めた[12]。
2011-12シーズンのUEFAヨーロッパリーグ・本選出場プレーオフではCDナシオナル(ポルトガル)と対戦し、ファーストレグ (0-0) ではバーミンガム・メイル紙によってマン・オブ・ザ・マッチに選出された[13]。クリス・ヒュートン監督はボーセジュールにいっそう攻撃的な役割を演じることを求め[14]、レスター・シティFC戦 (2-0) ではマン・オブ・ザ・マッチ級の活躍を見せた[15]。UEFAヨーロッパリーグ・グループリーグのクラブ・ブルッヘ戦では自身のミスから失点を招いたが、ジギッチのシュートの跳ね返りを押しこんで得点し、さらにペナルティエリア内でファールを受けてPKを獲得した[16]。11月のバーンリーFC戦 (2-1) では、2分に再びリバウンドボールを押し込んで先制し、リーグ戦でのシーズン初得点を記録した[17]。
ウィガン・アスレティック[編集]
2012年1月25日、プレミアリーグのウィガン・アスレティックFCと2年半の契約を結んだ[18]。移籍金は公開されていない。1月31日、ホワイト・ハート・レーンで行われたトッテナム・ホットスパーFC戦 (3-1) でデビュー[19]、ホームデビュー戦となったエヴァートンFC戦ではマン・オブ・ザ・マッチ級の活躍を見せた。ボーセジュールが蹴った低いクロスが相手ディフェンダー フィル・ネヴィルの足に当たり、キーパーのティム・ハワードの手をすり抜けてオウンゴールとなった[20]。
2度目の母国復帰[編集]
2014-15シーズンよりCSDコロコロと2年契約を結び再び母国に復帰[21]。2016年7月18日、ウニベルシダ・デ・チレに移籍した[22]。2022年1月28日、現役引退を表明した[23]。
代表[編集]
2004年にチリ代表デビューし、2009年6月10日の2010 FIFAワールドカップ・南米予選・ボリビア戦で初得点を挙げた[24]。2010年には南アフリカで開催される2010 FIFAワールドカップ本大会のメンバーに選出され、グループリーグホンジュラス戦 (1-0) では試合唯一の得点を挙げた。この勝利はチリにとって、1962 FIFAワールドカップ以来となる本大会での勝利となった[25]。チリは決勝トーナメント1回戦でブラジル代表に敗れたが、ボーセジュールはグループリーグ3試合とブラジル戦の全4試合に出場した[26]。
2011年11月、2014 FIFAワールドカップ・南米予選のウルグアイ戦の前に、4人のチームメイトとともに代表から追放された。宿舎の門限を破った上に、酒に酔った状態であったと報じられている。クラウディオ・ボルギ監督は「チリ代表として、プロサッカー選手としてふさわしくない」と表現した[27]。チリサッカー連盟は後に10試合の出場停止処分を科したが、ボルギ監督は「近いうちにはボーセジュールとホルヘ・バルディビアを招集することはないだろう」と述べた[28]。しかしボルギ監督はすぐにボーセジュールを代表に呼び戻した。
2014 FIFAワールドカップ本大会のメンバーにも選出され[29]、グループリーグのオーストラリア戦でペナルティーエリアの外から得点を決めた。ボーセジュールはチリ代表の選手として初めて、異なる2回のワールドカップ本大会で得点を決めた[30]。
2018年3月27日、デンマークとの親善試合に出場し、この試合でアルトゥーロ・ビダルとともに代表通算100試合出場を達成した[31]。
タイトル[編集]
クラブ[編集]
- カトリカ
- カンペオナート・ナシオナル : 2002アペルトゥーラ
- バーミンガム
- フットボールリーグ・チャンピオンシップ : 2010-11
- グレミオ
- カンピオナート・ブラジレイロ・セリエB : 2005
- ウィガン
- FAカップ : 2012-13
- コロコロ
- カンペオナート・ナシオナル : 2015アペルトゥーラ
- ウニベルシダ・デ・チレ
- カンペオナート・ナシオナル : 2017クラウスーラ
代表[編集]
- チリ
個人[編集]
- コパ・アメリカ・ベストイレブン : 2016[32]
個人成績[編集]
代表での得点[編集]
# | 日付 | 場所 | 対戦相手 | スコア | 最終結果 | 大会 | 詳細 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2009年6月10日 | サンティアゴ | ボリビア | 1-0 | 4-0 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 | [24] |
2. | 2010年6月21日 | ネルスプロイト | ホンジュラス | 1-0 | 1-0 | 2010 FIFAワールドカップ | [25] |
3. | 2011年3月29日 | ハーグ | コロンビア | 2-0 | 2-0 | 親善試合 | [33] |
4. | 2013年8月14日 | コペンハーゲン | イラク | 4-0 | 6-0 | 親善試合 | |
5. | 5-0 | ||||||
6. | 2014年6月13日 | クイアバ | オーストラリア | 3-1 | 3-1 | 2014 FIFAワールドカップ |
脚注[編集]
- ^ a b “Stats Centre: Jean Beausejour Facts ”. guardian.co.uk. 2012年1月26日閲覧。
- ^ “First team profiles: Jean Beausejour”. バーミンガム・シティFC公式サイト. 2012年1月6日閲覧。
- ^ “Jean Beausejour Coliqueo apoya la causa mapuche” (Spanish). El Ciudadano (Santiago de Chile). (2010年11月12日) 2012年1月26日閲覧。
- ^ “Beausejour the Blue”. バーミンガム・シティFC公式サイト (2010年8月31日). 2010年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月31日閲覧。
- ^ “Beausejour available for Blues”. Sky Sports. (2010年9月14日) 2010年9月18日閲覧。
- ^ Ashenden, Mark (2010年9月18日). “West Brom 3–1 Birmingham”. BBC Sport 2010年9月18日閲覧。
- ^ “Birmingham 3–1 MK Dons”. BBC Sport. (2010年9月22日) 2010年9月23日閲覧。
- ^ “Millwall 1–4 Birmingham”. BBC Sport. (2011年1月8日) 2011年1月10日閲覧。
- ^ “Birmingham 3–0 Sheff Wed”. BBC Sport. (2011年1月19日) 2011年1月21日閲覧。
- ^ McNulty, Philip (2011年2月27日). “Arsenal 1–2 Birmingham”. BBC Sport 2011年2月28日閲覧。
- ^ Tattum, Colin (2011年3月7日). “Birmingham City 1,West Bromwich Albion 3”. Birmingham Mail 2011年11月5日閲覧。
- ^ Chowdhury, Saj (2011年3月9日). “Everton 1–1 Birmingham”. BBC Sport 2011年11月5日閲覧。
- ^ Tattum, Colin (2011年8月19日). “Nacional 0, Birmingham City 0”. Birmingham Mail 2011年8月19日閲覧。
- ^ Tattum, Colin (2011年10月15日). “Jean Beausejour urged to increase his goal output at Birmingham City”. Birmingham Mail 2011年10月17日閲覧。
- ^ Culley, Jon (2011年10月17日). “Eriksson refuses to see red as Leicester pay for indiscipline”. The Independent 2011年10月17日閲覧。
- ^ “Birmingham fight back against Club Brugge”. UEFA. (2011年11月3日) 2012年1月26日閲覧。
- ^ Fazackerley, Karen (2011年11月22日). “Birmingham 2–1 Burnley”. BBC Sport 2012年1月26日閲覧。
- ^ “Wigan sign Birmingham City winger Jean Beausejour”. BBC Sport. (2012年1月25日) 2012年1月25日閲覧。
- ^ Mirza, Razwan (2012年1月31日). “FT: Tottenham 3 Wigan 1”. Sky Sports 2012年2月1日閲覧。
- ^ Unwin, Will (2012年2月6日). “Baines sees own goal as Sod's law”. The Independent 2012年2月6日閲覧。
- ^ “Refuerzo de categoría para Héctor Tapia: Jean Beausejour firma por Colo Colo”. Emol.com (2014年7月10日). 2016年12月30日閲覧。
- ^ “Lo que pierde Colo Colo con la partida de Jean Beausejour al archirrival, Universidad de Chile”. Emol.com (2016年7月18日). 2016年12月30日閲覧。
- ^ “Cuelga los botines un histórico: Jean Beausejour se retira del fútbol profesional” (スペイン語). La Tercera (2022年1月28日). 2022年6月17日閲覧。
- ^ a b “Chile beats Bolivia 4-0 in qualifying”. Associated Press. USA Today. (2009年6月10日) 2011年4月4日閲覧。
- ^ a b “Beausejour ends Chile wait”. 2010 FIFA World Cup. FIFA (2010年6月16日). 2010年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月4日閲覧。
- ^ “Players: Jean Beausejour”. 2010 FIFA World Cup. FIFA. 2012年6月4日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “Chile stars sent home in disgrace”. ESPN Soccernet. (2011年11月9日) 2011年12月27日閲覧。
- ^ Veloso Olguin, Juan Francisco (2011年12月20日). “Chile soccer players receive 10-game ban for discipline issues”. The Santiago Times 2011年12月27日閲覧。
- ^ McNeice, Angus (2014年6月2日). “No surprises in Chile's 23”. ESPN 2018年8月17日閲覧。
- ^ “A place in history for returning Beausejour”. FIFA (2014年6月14日). 2018年8月17日閲覧。
- ^ “Club de los 100: Vidal y Beausejour cumplieron su centenario [100 Club: Vidal and Beausejour complete their centuries]” (Spanish). (2018年3月27日) 2018年8月17日閲覧。
- ^ “TSG announces Copa America Centenario Awards”. CONCACAF (2016年6月27日). 2016年12月30日閲覧。
- ^ “Chile beats Colombia 2-0 in friendly”. Associated Press. Fox Sports. (2011年3月29日) 2011年4月4日閲覧。
外部リンク[編集]
- Jean Beausejour - Soccerbase
- Jean Beausejour - player profile Transfermarkt