Wikipedia‐ノート:編集方針

「記事の改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れずに」節の修正提案[編集]

本記事「Wikipedia:編集方針」の「記事の改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れずに」節について、Wikipedia:編集方針/改定案170803のように修正することを提案します。この修正案は、英語版の"Try to fix problems"節を翻訳した利用者:J8takagi/WP:PRESERVEをもとに、リンクを調整したものです。

修正を提案する理由は、次のとおりです。

  1. Wikipediaの3大方針(中立的な観点、検証可能性、独自研究は載せない)や名誉毀損、無意味な記述、破壊行為(著作権)に反しない既存の記述は常識的に重視されるべきだし、Wikipediaの編集や運営も多くの場合はそうした常識のもとに行われているのに、現状の日本語版の方針ではそうした常識を確認できない。
  2. 現状の日本語版では、「除去によって改善を行うのであれば、その記述を行った人を含めた他の編集者への呼びかけを行うなどの配慮をしてください。」となっており、「配慮」の内容があいまいなことがトラブルの原因となっている(呼びかけさえすれば自由に除去してよいのか、など)。
  3. 英語版の「偉大なWikipediaの記事は、編集者の努力の継承からもたらされうるのです。」(Great Wikipedia articles can come from a succession of editors' efforts.)は、Wikipediaの発展を考える上で重要な言葉である
  4. 英語版と日本語版の意図しない乖離は少なくなるよう配慮すべき(取消線追加 2017年8月7日 (月) 03:11 (UTC))

以上、ご検討いただければ幸いです。なお本件は、Wikipediaの方針の基本的な部分についての変更を提案するものであり、多くの方に周知されるべきだと考えています。コメント依頼への掲載を考えておりますが、ほかに周知のために行うべきことなどがあればあわせてご教示ください。--j8takagi会話2017年8月3日 (木) 04:39 (UTC)[返信]

Wikipedia:編集方針/改定案170803を見直し、一部修正しています。--j8takagi会話2017年8月4日 (金) 12:28 (UTC)[返信]
日本語版ウィキペディアは英語版とは独立したプロジェクトですから、英語版と日本語版で方針が乖離していても何の問題もありません。当初の英語版の記述に基いて作成されていた方針文書から、日本語版独自で改定を行ったのが現在の「記事の改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れずに」節です。日本語版の状況を鑑みて日本語版独自で改定した部分を切り捨てて英語版の方針の翻訳で上書きしてしまうことは反対です。--重陽会話2017年8月6日 (日) 13:08 (UTC)[返信]
ご返信、ありがとうございます。〈「乖離」の解消〉が主目的なのではなく、〈「3大方針やBLP、著作権を満たした記述」をどのように扱うのか〉を明確にすること(提案理由1.)が主目的です。現状の日本語版「配慮してください」はトラブルの原因になっていると考えます(提案理由2.)。逆にいえば、この目的が達せられれば「日本語版の状況を鑑みて日本語版独自で改定した部分」を残すことには異論ありません。重陽さんは、「日本語版の状況を鑑みて日本語版独自で改定した部分」は現在の方針でどの部分を考えていますか?--j8takagi会話2017年8月6日 (日) 13:26 (UTC)[返信]
主目的であれ主目的でないのであれ、理由の一つとして挙げられているものに同意できないのですから、反対せざるを得ませんよ。主目的ではないにしろ理由の一つとして挙げる程度には英語版との乖離の解消は必要だと考えられているわけですよね?4番の理由を取り下げていただけるのであれば、英語版の翻訳で既存の文書を上書きするのではなく、既存の文書に英語版からエッセンスを移入して拡充するという方向での改定も可能なはずです。そういう方向性であれば、文案次第では賛成できる可能性もあるのではないかと思います。「配慮してください」がトラブルの原因になっているという具体例は分かりませんが、配慮しないことで起こるトラブルを防ぐ、もしくは配慮しないことでトラブルが起こった場合に配慮することを求めるために方針文書を提示すると言う点で、必要な文面であると思います。「呼びかけさえすれば自由に除去してよいのか」とのことですが、呼びかけをした後で合意形成に必要な期間に返答がもらえなければ、いつまでも待ち続けるわけにはいきませんから合意形成とみなして除去せざるを得ませんし、逆に返答があったなら対話によって合意が形成されるまで除去すべきではないでしょう。除去後に返答があったならそのまま対話すればいいわけですし、その際に記述を一旦戻すかは当事者同士で決めていただければいいことです。ウィキペディアにおける通常の対話プロセスに従って対応していただければいいのであって、そこに曖昧さの入る余地はあまりないように思えます。未回答部分に関しましてはまた後ほどのご返答とさせていただきます。--重陽会話2017年8月6日 (日) 22:26 (UTC)[返信]
返信 「英語版と日本語版の意図しない乖離は少なくなるよう配慮すべき」は提案理由から外します。それにともないWikipedia:編集方針/改定案170803についても修正を検討します。修正検討の完了次第、改めてここでご報告します。--j8takagi会話2017年8月7日 (月) 03:11 (UTC)[返信]

重陽さんの意見などを踏まえ、Wikipedia:編集方針/改定案170803を修正しました。改定案はもともとは英語の最新版をそのまま和訳したものでしたが、今回の修正後は、現行の日本語版をベースに、次の変更をしたものになります。

  1. 記事改善にあたりまずは、「適切な記事は保存する」原則と「素晴らしいウィキペディアの記事は、編集者の努力の積み重ねによって作り出すことができるのです。」という基本的な考え方を提示(「適切な記事は保存する」原則は、英語版から導入。「素晴らしい…」は日本語現行版の末尾から移動)
  2. 記事改善の手順として、「記述の改善のための(さまざまな)手段」→「大胆な編集」→「記述の除去」を提示(従来は、手順が不明確?)。あわせて、ページの編集は大胆にのリンクを追加
  3. 記述の除去について、「記述を除去する場合」節を導入
  4. 「記述を除去する場合」節で、記述を除去する場合に従来の「配慮」に加え合意形成が必要なことを追記。あわせて、「合意形成」のリンクを追加(この部分は、英語版にもない記述、リンクになります)

以上、よろしくお願いします。--j8takagi会話2017年8月7日 (月) 09:33 (UTC)[返信]

補足です。Wikipedia:編集方針/改定案170803末尾の「これらの方針に反する記述は、議論や合意なしに除去されます。」は、上記4.とセットで英語版にもない記述を追加した形になります。Wikipedia:合意形成で「著作権法違反や存命人物の伝記に関連する特定の問題というような内容の問題は、主にそれが内包する訴訟の危険性のために、通常は議論や合意の対象ではありません。」と記載されているのを反映したものです--j8takagi会話2017年8月7日 (月) 14:19 (UTC)[返信]

コメント 英語版による上書きでなく日本語版ベースの改定案としていただきましてありがとうございます。まだ全てを確認できていませんが、「適切な記事は保存する」原則について疑問があります。そもそも現在の「記事の改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れずに」節は、改定前の本文にあった「情報を保存する」という文言が問題であったため、Wikipedia‐ノート:編集方針/過去ログ1#「他の人が書いた情報…」の節を改定する提案において「保存する」という文言を無くして発展解消させものです。私も当時の議論は途中参加でしたので全体を完全に把握できているわけではありませんが、前々から何度も問題が指摘されてきており長く議論が行われてきた上の改定であったようですし、それがまた、保存する」ということを原則にと言うような話になってしまっては元の木阿弥なように感じてしまいます。--重陽会話2017年8月8日 (火) 22:22 (UTC)[返信]
ご確認、ありがとうございます。全体の確認後もコメントをいただければ、ありがたいです。「適切な記事は保存する」原則については、過去の議論なども読み込んだ上で改めて考えますが、ひとことだけ。除去したい側、保存したい側、どちらにも納得できるような結果を探す道しるべになるのが編集方針のあるべき状態だと考えています。Wikipedia:合意形成への言及とリンクを改定案に追加したのは、そのためです。--j8takagi会話2017年8月10日 (木) 12:47 (UTC)[返信]

抜け落ちはあるかもしれませんが、全体を確認しましたのでコメントさせていただきます。

  1. 構成について。現行の文書では1段落目で先に改善の方法を列挙した上で「どのような方法で改善するにしても~」という記述が文の最後に来る構成にしており、「どのような方法で」の中身が具体的に限定される形になっています。また全体を見ると、最初の1段落目で要点を解説し、次にその方法の詳細や例外を挙げ、最後にまとめという、一般的な文章構成でもある序論本論結論という構成にしています。一方で改定案では、まず「どのような方法で改善するにしても」というのが一番先に来ているため具体的にどのような方法を指し示すのかが不明瞭です。また全体を見ても、全体の要点の説明にあたる部分がなかったり、除去による改善が節を分けられていたりして、話の要点が掴み辛いです。
  2. 「適切な記述は、保持してください」の部分がやはり引っかかります。五本の柱も含めたウィキペディアの方針はキッチリと「これは適切、あれは不適切」と全てを切り分けることができるようなものではなく、現状ウィキペディアで記述を書くか消すかでもめている案件の多くは、各方針のボーダーライン上であったり、解釈しだいでどちらとも取れたり、方針間の衝突があったりして、はっきり適切か否かを線引き出来ないからもめているケースがほとんどであろうと思います。そういう意味では、J8takagiさんが「配慮」の内容があいまいでトラブルの原因になっていると考えられている状況以上に、「適切」の内容があいまいな上に如何様にも我田引水できてしまって今以上のトラブルの原因になると思います。その記述が「事実や考えが百科事典にふさわしい」かどうかという判断は方針文書をどれだけ読み込んだとしても非常に難しく、また記事ごとにケースバイケースの事情を加味する必要もあるため、それぞれの編集者で判断に違いが出やすい部分でしょう。そういった状況で最も重要になってくるのが「配慮」なのだと思います。
  3. Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないの三大方針はあくまでも「記事に掲載してよい情報のタイプと質を規定」する方針であり、記事の内容を保持する方針ではありません。また「Wikipediaに保持されるべきです。」という文章から五本の柱へのリンクが張られていますが、五本の柱は記述を保持すべきだというルールを規定していません。文章に書かれている内容と、参照されている方針文書の内容が整合していないためチグハグな感じがしてしまいます。三大方針を満たしている記述に関する扱いを明確にしたいという意図はわかりますが、この文案ではその意図を達成するどころかチグハグな参照でかえって不明瞭になってしまっています。
  4. 現行の節タイトルにもある「但し慎重さも忘れずに」は編集方針にとって重要な考え方であると思います。これを節タイトルから外す事に対する説明がありません。
  5. 2017年8月10日 (木) 12:47 (UTC)のコメントに対して。「どちらにも納得できるような結果を探す道しるべ」といいつつ、この文案では保存したい側に大きく傾いた文書になってしまっているように見えてしまいます。前回の改定時のКОЛЯさんの「他人が書きたいと思って書いた記述を除去することによって生じる軋轢と、他人が書くべきでないと思った内容を加筆することによって生じる軋轢とは、等価です。」というご意見に賛同し、「加筆による改善」と「除去による改善」を等価なものとして扱っているのが現行の文書です。そう考えれば、除去によって改善する場合を別の節で説明するのではなく、加筆による改善と同列に説明すべきであると思います。少なくとも私の個人的なポリシーだけでいえば記事内容は可能な限り保持するべきであると思いますが、それとウィキペディア全体のポリシーとしてどう考えるかは別問題だと思っています。
  6. 「不適切な記述は、まずは除去するのではなく~」の部分に関しては、必要な補記だと思います。一番大事な、会話ページや記事ノートでその記述を書いた人への呼びかけを行うということも入っているといいように思います。
  7. 2017年8月7日 (月) 09:33 (UTC)のコメントの2番に対して。現行文書の記事改善の手順は「自分で改善を試みる」→「一人で出来ないなら他の編集者に呼びかける」です。文書に具体的に列挙された改善のためのさまざまな手段も、大胆な編集も、記述の除去も、全て等価な改善手段であってどれを先に検討すべきかというものはありません。むしろそのような手順を規定してしまうと、たとえば大幅な加筆による全面改稿より先に別の方法での改善を検討しなさいというような話になってしまい、記事の成長に不都合が出るように思われます。

以上、雑多な感想に近い部分もありますが、よろしくお願いします。--重陽会話2017年8月12日 (土) 14:38 (UTC)[返信]

Wikipedia:編集方針/改定案170803を、重陽さんのご指摘を受けて修正しました。

  1. 1段落目で、「情報を保存する形での修正」と「記述の除去」という用語を定義し、後の段落ではこの2つの用語を用いるようにしました。あわせて、「情報を保存する形での修正」と「記述の除去」が本節の主題であることを示し、「全体の要点の説明」としたつもりです。重陽さんの指摘1. を意識したものです。なお、現行の文章では「加筆によって改善」が何を指すのか不明確だと考えます(「記述の改善のために以下の手段」全体を指すのでしょうか。だとすると、「以下の手段」に記載された「言い換え」や「移動」は「加筆」とは別の作業になると思うのです。「加筆や置換や移動による改善」よりは「情報を保存する形での修正」の方がシンプルで好ましい表現だと考えます)。
  2. 2段落目を書き換えました。重陽さんの指摘3. を意識したものです。
  3. 指摘2.と指摘5.を意識し、2段落目にあった「適切な記述は、保持してください」を除去しました。かわりに、3段落目に「まずは除去するのではなく、情報を保存する形で修正」すること、「記述を除去する場合」小節の冒頭に「記事の記述が不適切でウィキペディアにふさわしくなく、情報を保存する形での修正が不可能な場合には、記述の除去を検討してください。」を追記しました。
  4. 3段落目で、「書式を整理したり…」の部分は1段落目と重複するので除去しました。また、2段落目にあった「素晴らしいウィキペディアの記事は、複数の編集者による努力の積み重ねによって作り出すことができます。」をこの段落に移動しました。「除去」よりも「情報を保存する形での修正」を優先する理由を示したつもりです。
  5. 指摘5.について、〈「加筆による改善」と「除去による改善」〉を等価に扱うのはどうしても無理な側面はあると考えます。合意形成がない場合は、どちらも編集合戦の原因になることは確かですが、「除去による改善」は内容の無差別な除去ということで投稿ブロックの対象となります。それだけ、「除去」にはトラブルの火種となる可能性が高いことを示しているのだと思います。記述の除去には特別の注意が必要で、そのことを節を分けて説明するのは自然なことだと考えます。
  6. 指摘4.について、タイトルを修正しました。ただし本文のほかの部分の表記にあわせ、「ただし、」をひらがなで「、」付きにしています
  7. 指摘7.について、記事改善の手順を「ウィキペディアにふさわしい記述の確認」→「情報を保存する形での修正(「大胆な編集」を含む) or 記述の除去」としました。

やはり、「適切な記述は、保持してください」や、〈「加筆による改善」と「除去による改善」〉を等価に扱う部分が論点になるかと思います。「保持」について個人的には、Wikipediaの方針を満たした記事内容は可能な限り保持するべきであると考えますし、ほかの方針(ウィキペディア全体のポリシー)、さらには英語版の編集方針でもそのことは明記されているとは思いますが、反対意見と歴史的経緯もあるので、今回の反映は見送ります。--j8takagi会話2017年8月15日 (火) 08:37 (UTC)[返信]

Wikipedia:編集方針/改定案170818を作成しました。今回作成したのは、〈「加筆による改善」と「除去による改善」〉を等価に扱うという重陽さんの主張を反映した改定案です。あわせて、Wikipedia:編集方針/改定案170803では「ウィキペディアにふさわしい記述は、保持するようにしてください。」の1文を追加しました。この2つの案を比較することで、「適切な記述は、保持してください」や、〈「加筆による改善」と「除去による改善」〉を等価に扱うことについての議論が深まればいいと思っています。また、それ以外の点についても修正の是非について検討していただければ、と思います。--j8takagi会話2017年8月18日 (金) 00:24 (UTC)[返信]

コメント 改定案170818を見ました。改定案と各方針・ガイドライン文書、過去議論等を色々と検討していく内に自分の中でも考えが錯綜してしまっており、なかなか纏まらず時間だけが経過してしまい申し訳ありません。取り留めのない話や以前の話と矛盾する部分もあるかと思いますが、ひとまず思うところを箇条書きで書かせていただきます。
  1. 「ぜひ改善を試みてください。一人で改善できない場合は、他の編集者に協力を求めてください。」の部分が除去されています。変更した旨のご返答は7番においていただきましたが、なぜその変更が必要なのかの説明がありません。前回の指摘7において、現行の文書は「自分で改善を試みる」→「一人で出来ないなら他の編集者に呼びかける」という手順になっていることをご説明しましたが、その手順で問題がないのであればそのまま記述を残してもかまわないのではないでしょうか。とりあえず自分でやってみるということも大事だろうと思いますし、問題があることは分かるけれど自分一人では改善できないという場合に他者の助けを求めればいいのだということを示すことは、共同作業であるウィキペディアの編集方針として重要な示唆であると思います。
  2. 「加筆や置換や移動による改善」よりは「情報を保存する形での修正」の方がシンプルで好ましい表現だとのことですが、「情報を保存する形での修正」では「情報を加える(加筆する)」というニュアンスが完全に抜け落ちてしまって意味合いががらりと変わってしまうように感じられます。「書式整理や、該当部分の整形、出典追加、必要に応じたタグの貼り付けなど」と列挙されていますが、ここに加筆が入っていないのも問題だと思います。ウィキペディアにおいて記事の改善は加筆による記事内容の充実発展がまず第一なのであって、そこが抜け落ちては仏作って魂入れずでしょう。編集方針の「多様な参加姿勢が受け入れられます」節の内容も加味すれば、改善方法は加筆、雑草とり、除去の3パターンになりますね。
  3. 「加筆によって改善」が不明瞭とのことですが、元々箇条書きで具体例を列挙した部分は「自分自身で改善を試みる」→「他の編集者に呼びかける」という流れでの具体的な改善方法の説明ですから、加筆による改善や除去による改善を明確に区分けするようなことは意図されていませんし、現行方針の文脈ではその必要もないと思います。「出典がなければ、検索エンジンやニュースサイトなどで探してみる。」が「情報を保存する形での修正の例」として挙げられていますが、例えば、出典を探してみたところその記述に反する内容の情報源が多く見つかり、その記述内容が間違いであることが判明したため除去したというケースはしばしばあると思います。「出典がなければ、検索エンジンやニュースサイトなどで探してみる。」という改善方法を取った結果、情報を除去することになる場合もあるわけです。また、「その記述を行った人の会話ページで議論を呼びかける。」のは、その記述内容に疑問があり除去も視野に入れた改善を検討している場合に取られることが多いでしょうが、それで議論を行った結果出典を補う形で改善されることもあるかと思います。記事の改善は「加筆ありき」や「除去ありき」で改善手段を選ぶのではなく、各改善方法を以って調査検討や議論を行った結果として適切な改善方法が加筆なのか除去なのかがはっきりしてくるのだと思います。そういう意味では、加筆するならこの方法、除去するならこの方法という改善方法の提示の仕方は、物事の順序が逆転してしまっていて適切でない思います。
  4. 第2段落2文目の最後を「3大方針を満たした記述はウィキペディアにふさわしいと見なされます。」と締めくくってしまうと、この部分のみを切り取った我田引水な編集を誘発することになりかねませんし、これまでにそういった方針文書の都合のいい箇所を切り取って持論を押し通そうとするケースはいくつもあったように思います。三大方針を満たしていたとしてもウィキペディアは何ではないかに照らして百科事典に収録するのに相応しくない情報もありえるでしょうし、後段で説明する存命人物の伝記等の例外もあります。「ふさわしいとみなされます」と断言するよりは、「三大方針を満たすようにしましょう」ぐらいに柔らかく書いた方がいいと思います。
  5. 「除去」にはトラブルの火種となる可能性が高く特別の注意が必要である旨は同意です。ですが、「加筆」や「雑草とり」による改善であっても、「除去」の場合と同じくトラブルの火種となる可能性があり特別の注意をしてほしいというのが前回の議論の骨子でありまして、だからこそ「どのような方法で改善するにしても、十分に検討を行い慎重さを忘れないようにしてください。」という一文が加えられたのです。現に、草取り編集で記事の表記変更をして回ったことがトラブルになったケースもありますし、実際の編集の場面を考えれば、加筆だけ、除去だけといった単純な編集だけでなく、まとまった分量の編集では加筆しながら草取りや除去も併せて行う事も多くあります。そう考えますと、加筆による改善と除去による改善は等価であり、かつシームレスでもあるということなのだと思います。
  6. 記述の除去の部分について、除去に「合意形成」が義務であるような書き方になってしまっては、編集方針の「多様な参加姿勢が受け入れられます」節に書かれた「多くの人がページの編集は大胆に行うべきと考えています。記事の内容を何か変更する前には必ず前の著者に相談する必要があると考えている人はいませんし、そんなことをしていたら、執筆や推敲は遅々として進まないでしょう。それどころか、遠回しな言い方はすべきではなく、何か問題を見つけたらどのように編集するか話し合うよりも、単に直接ページを編集するほうがよいと考えている人もいます。(中略)ウィキペディアではこれらの姿勢すべてを受け入れています。」という考えと明確にバッティングしてしまうように思われます。「記述を除去する場合は、その記述を行った人を含めた他の編集者への呼びかけを行うなどの配慮をして下さい。」に留めた方がいいように思います。といいますか、前回の改定でも今回の議論でも、「多様な参加姿勢が受け入れられます」節との整合性はほとんど検討されていなかったように思いますし、現行の文書ですらかなりバッティングしてしまっているような気もします。この部分、どう対応すべきかはまだ考えが纏まっていませんが問題提起しておきます。
以下、上記コメント(6の後半除く)を踏まえて対案提示させていただきます。改定案170818をベースに、おおよそ現行の方針文書の文脈に添った形に戻し、J8takagiさんとのお話の中で思った部分を足した文案になっているかと思います。よろしくお願いします。--重陽会話2017年8月20日 (日) 22:26 (UTC)[返信]

記事の記述に改善点があるように感じたら、ぜひ改善を試みてください。一人で改善できない場合は、他の編集者に協力を求めてください。改善の方法には、加筆して記事内容を充実させることによる改善や、記事のメンテナンスによる改善、不適切な記述の除去による改善などがあります。どのような方法で改善するにしても、十分に検討を行い慎重さを忘れないようにしてください。

改善にあたっては、五本の柱ウィキペディアは何ではないかなどの各方針・ガイドラインをもとに、どのような記述が百科事典であるウィキペディアにふさわしいかを確認してください。記事に含まれる記述は全て、中立的な観点検証可能性独自研究は載せないの3大方針をはじめとした各方針・ガイドラインを満たしている必要があります。また、素晴らしいウィキペディアの記事は複数の編集者による努力の積み重ねによって作り出すことができることも、心にとどめておいてください。

あくまで一例ですが、記述の改善のために以下の手段を検討してください。加筆によって改善する場合には、加筆した内容が各方針・ガイドラインを満たしているか注意してください。もしその記述を除去する必要があると考えた場合も、いきなりその記述を除去してしまうのではなく、その記述を行った人を含めた他の編集者への呼びかけを行うなどの配慮をして下さい。また、Wikipedia:雑草とりにも、記事改善のためのメンテナンス方法についての例示がありますので、参考にして下さい。

  • 自分で記述を改善する
    • 表現がふさわしくないときは、別の言葉で言い換える
    • 記述の場所が適切ではない場合は、その位置を記事内で変える。もしくは、別の記事(既存、あるいは新しい記事)に移動する。
    • 記述が不十分な場合、信頼できる情報源出典にして不足した内容を加筆する。
    • 中立的な観点から記述されていないのならば、記事のバランスを取るために有用だと思える記述を加筆する。
    • 出典がなければ、検索エンジンやニュースサイトなどで探してみる。
    • リンク切れがあれば、新しいURLか、アーカイブされたページで修復する。
    • 単独の記事にはふさわしくない内容であれば、記事全体を他の記事に統合し、元の記事をリダイレクトにする。
  • 他の編集者に協力を求める

記事全体の書き直しや大幅な変更が必要な場合は、大胆な編集をしてください。ただし事前にノートで提案することをお勧めします。十分な説明をしないまま、価値のある記述を除去してはいけません。変更した際には、変更前の版で一定の価値があると思える記述は、変更を行った理由とともにノートページに保存してください。Help:ページの編集は記事の質を高めるための道しるべになります。

いくつかの主要な方針では、情報を保存するよりも除去した方がよい場合について議論しています。「検証可能性」では、情報源が示されていない、あるいは論争のある記述の扱いについて。「独自研究は載せない」では、独自研究を除去する必要性について。「中立的な観点」では、特定の観点に過度の重みが置かれている記述に対し、どうやってバランスを取るかについて。これらの中に、記述を除去できる場合が含まれているかもしれません。また、記事の冗長性は最小限であるべきです(導入部は含めません。記事全体の概要を示す、意図的な重複部分だからです。)。

名誉毀損無意味な記述荒らし著作権侵害は完全に除去されるべきです。存命人物の伝記には特別な配慮が必要です。情報源が不明か、信頼性の低い情報源に基いている場合はなおさらです。このような記事を編集する際には、存命人物の伝記の方針にある特別な規定を理解する必要があります。これらの方針に反する記述は、議論や合意なしに除去されます。

真摯なご回答、ありがとうございます。私の方でも返信が遅くなってしまい、たいへん失礼しました。重陽さんの挙げたリストに箇条書きの形で答えるとともに、〈「加筆など」と「除去」は等価か〉の部分は特に大きな問題だと考えるので、サブセクションを設ける形で回答します。

  • 重陽さんの1. について。次の2つの観点から「ぜひ改善を試みてください。一人で改善できない場合は、他の編集者に協力を求めてください。」を冒頭に記述することには次のリストのような問題があるように感じています。
    1. この文章に元(ベースとしていた英語版、現行の日本語版)から存在する改善方法についての「加筆など」(この表現については別途議論が必要だと思いますが、とりあえず)と「除去」の分類に加えて、「一人で改善」と「他の編集者と協力」という分類があるとだいぶ複雑さが増します。すなわち、「一人で加筆など」「一人で除去」「他の編集者と協力して加筆など」「他の編集者と協力して除去」の4パターンを考えなければいけません。複雑さを回避するには、「加筆など」「除去」の分類をなくすという考え方もあるかもしれません。しかし、その分類をなくしたら、本方針は全体的に書き直す必要があると考えます。なお、このあたりは結局〈「加筆など」と「除去」は等価か〉の問題とも関係すると思っています。
    2. 「協力を求め」る方法は具体的には、「あくまで一例」のなかの「他の編集者に協力を求める」で要出典タグやそのほかのテンプレートの貼付という形で示されています。こうしたテンプレートの貼付には、編集の妨げとなる可能性もあることが、Wikipedia:妨害的編集Wikipedia:タグ爆撃に示されています。協力を求める方法にはいわば、副作用があるわけです。
    3. 上記1.と2.の問題を考えると、「一人で改善」と「他の編集者と協力」という分類は、「あくまで一例」としてあげられている編集方法を分類するためには有益ですが、編集方針全体の説明として挙げるには複雑さの増大と編集の妨げという副作用の問題が大きいと考えます。あるいは、「他の編集者と協力する」といったWikipediaのガイドラインがあってもいいのかもしれませんが、現状ではむつかしいと思います。なお、テンプレートの貼り方・剥がし方については、現状の方針・ガイドライン全体(ほかの方針類のページ全体を含む)で説明が不足しているようにも思えます。
  • 重陽さんの2. について。「改善方法は加筆、雑草とり、除去の3パターンにな」るかWikipedia:雑草とりを読んで再考したのですが、この3パターンにはならないと考えます。例えば、「あくまで一例」のなかで取り上げられているWikipedia:ページの分割と統合の内容について「雑草とり」では言及されておらず、「加筆」や「除去」にも分類されません。一方、「除去以外」と「除去」とすれば、改善方法すべてが含まれます。「除去以外」の改善方法は、「情報を保存する形での修正」と言い換えられると考えます。
  • 重陽さんの3. について。現行方針の文脈ということでいえば、現行方針は〈「他の人が書いた情報…」の節を改定する提案〉で、当時の「最新の英語版の記述」を有足魚さんが翻訳した文章もとに新たな分類方法(「自分自身で改善を試みる」→「他の編集者に呼びかける」)を付け加えたものになっています。一方では、元の英語版の「Wikipediaの方針を満たした記述は保存する原則」→「除去以外の方法での改善」→「除去」という流れも見え隠れしています。2つの流れが錯綜し、現行の方針のわかりにくくなっていないでしょうか。「各改善方法を以って調査検討や議論を行った結果として適切な改善方法が加筆なのか除去なのかがはっきりしてくる」とのことですが、英語版は「まずは除去以外の方法を前提に調査検討や議論をする。それができないなら除去の調査検討や議論をする」というシンプルな流れであり、わかりやすさの点では英語版が優れていると考えます。なお、この部分はやはり〈「加筆など」と「除去」は等価か〉という問題とも関係することになるかとは思います。
  • 重陽さんの4. について。この部分で言いたかったのは、「記述の改善」がWikipediaの方針とは無関係な編集者の主観(思い込み)だけで行われてはいけない、あるいは主観だけで「記述の改善」を他の編集者が行った(元の記述の編集者から見て望ましくない変更が行われた)場合にどのように考えればよいか、ということです。Wikipediaの方針に沿っているか無関係かは、ふつうは3大方針をもとに検証すればいいし、例外的に3大方針を満たしていてもWikipediaにはふさわしくない記述という場合はその前提で議論することになると考えます。現状の慣行でも、記述変更の是非を議論する場合は通常は3大方針を満たしているかどうかで議論されますし、ときには3大方針以外でWikipediaにふさわしいかどうかを議論する形(例、Wikipedia:コメント依頼/過剰な内容は積極的に除去すべきかプロジェクト:数学/函数と関数など)になっていると認識しています。そして、後者については対立が深刻になりがちです。 Wikipediaの編集方針は、こうした慣行を追認し、可能な場合には比較的対立が深刻にならない三大方針を巡る議論になるように誘導すべきだと考えます。
  • 重陽さんの5. については、節を改め、〈「加筆など」と「除去」は等価か〉節に記載します。
  • 重陽さんの6. について。
    1. Wikipedia:合意形成へ言及したのは、現状の「編集方針」を踏まえ、「合意形成をすれば、Wikipediaの方針を満たしている記述でも除去できる」ことを明示する意図でした。言い換えれば、必要な手続きを踏めば、記述は除去できるということです。なお、現状の英語版では、「Wikipediaの方針を満たした記述は除去しない」ことが原則とされており、記述の除去については明示されていないと考えています。
    2. Wikipedia:合意形成#編集作業の結果としての合意では、ページの閲覧者には承認、変更、リバートの3つの選択肢があることを説明した上で、「他の編集者があなたの意図をすぐに認めないなら」という形で、変更やリバートがあった場合の編集や議論について説明しています。この部分は、ノートページでの議論がなくても「合意形成」のプロセスを経ることが可能だと示しています。すなわち、要約欄に簡潔な理由を示す形で記述を除去したあと、変更やリバートをする閲覧者がいなかった場合には合意形成はできたとみなされるということです。一方で、要約欄にすら何も書かずに記述を除去する編集は、「多様な参加姿勢が受け入れられます」に沿って考えても、受け入れはむつかしいと思います。上記の投稿ブロックとの整合性の問題も発生します。

以上、よろしくお願いします。--j8takagi会話2017年8月29日 (火) 07:31 (UTC)[返信]

「加筆など」と「除去」は等価か[編集]

今回の提案にあたり、もっとも大きな問題は、重陽さんが示した「他人が書きたいと思って書いた記述を除去することによって生じる軋轢と、他人が書くべきでないと思った内容を加筆することによって生じる軋轢とは、等価です。」( 2017年8月12日 (土) 14:38)だと考えます。この主張が編集方針に反映されることには、次の3点で問題があると私は考えます。

  1. Wikipediaのほかの方針・ガイドラインなどと整合性がない
  2. Wikipediaの慣行(実際の議論収束例)と整合性がない
  3. Wikipedia英語版と整合性がない

上記1. について。

  • Wikipedia:投稿ブロックの方針#内容の無差別な除去では、「理由の説明無く、多くのページで、または同一のページで繰り返して、情報を取り除く利用者は、ブロックされる場合があります。」とされています。加筆の場合でも、宣伝・広告を目的とした投稿や個人に関する詳細の投稿、著作権侵害と盗作などはブロックの対象となりますが、限定的な状況です。投稿ブロックでは、加筆などに比べ、理由の説明なき除去に重きをおいていると言えます(理由の説明なき加筆は、直接はブロックの対象にならない)。編集方針で「加筆などと除去は等価」とすることは投稿ブロックの方針とは矛盾します。
  • Wikipedia:検証可能性では、「出典のない記述は除去されても文句は言えません」「出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません」とあります。では、出典があり他の方針も満たしている記述の場合はどうなのか?どこかでWikipediaの方針を満たす記述について、除去された時に文句を言えるかや、説明の義務を求められるかについての説明があるべきです。「検証可能性」の記述は、「編集方針」で「Wikipediaの方針を満たした記述が除去されたら文句を言える」ことが記述されている前提で存在すると考えられます。「加筆などと除去は等価」ということで方針を満たした記述の除去についての記述を「編集方針」から外すとしたら、「検証可能性」などの方針も変更するか、どこか別の方針で記述の除去について説明すべきということになります。
  • Wikipedia:ページの編集は大胆にでは、〈「編集は大胆に行う」ことは、長かったり、複雑だったり、長い論争が続く主題のものを無条件に除去してよいという意味ではないことに注意してください。〉〈事実かもしれない記述を除去するときは、注意深く行うということにも留意してください。〉とあり、除去には特別の制約があることを明記しています。なお、この部分は前回の「「他の人が書いた情報…」の節を改定する提案」の議論の中でКОЛЯさんが〈本「編集方針」が改定された暁にはこちらも改定を余儀なくされるものと考えております〉(2011年5月1日 (日) 12:23)と述べておりますが、現在まで改定されていません。
  • 「完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください。」節では、加筆(記事の作成、マイナーな意見の追加、異なる観点を幾つか付け加えてまとめなおし)は不完全であっても歓迎されることが明記されています。一方、記述の除去については「明らかに救いようのない記事は何でもすぐに削除する慣例になっています。ただし、後者は軽率に行うべきではありません。」と、限定されたケースでしかも慎重に行うべきことが記述されています。ここでも、「加筆などと除去は等価」とはなっていません。

上記2. について。

  • Wikipedia‐ノート:検証可能性/出典無き記述の除去は、出典のない記述の除去を巡るかつての議論であり、現在のWikipediaでも考慮すべき内容を多く含んでいると考えます。こうした議論でも、出典を満たしているなどWikipediaの方針を満たしている記述は削除されないことが「隠れた前提」となっていると考えます(出典がある記述は他の理由がなければ除去されない。出典のない記述は除去すべきか?)。
  • プロジェクト:数学/函数と関数は、用語表記を巡る長大な議論とその結果を踏まえたプロジェクト方針となっています。このプロジェクト方針では、「関数」と「函数」のどちらの表記にも一定の合理性があることを認めた上で、「変更する編集は推奨されない」「ログインユーザは、何らかの合理的な理由がある場合にはその理由を明記した上で表記の変更をすることができる」「加筆の際や、明らかに記事の質を上げる改稿の際には、どちらの表記を用いても構わない」といったルールを定めています。加筆時よりも変更時に多くの負担を求めているわけで、「加筆などと除去は等価」には反しています。この「関数と函数」は、Wikipediaの方針を満たす表記を別の表記に変更しようとして対立した場合の良き先例となっており、たとえばWikipedia:コメント依頼/柒月例祭とQuark LogoではEULEさんが2017年1月29日 (日) 10:41 (UTC)の発言で〈明確な指針・規定を作れないのであれば、「関数/函数」の先例に倣うべきでしょう〉という形で仲裁を目的に取り上げています。こうした「函数と関数」をWikipedia日本語版における標準的な問題解決方法とするならば、「加筆などと除去は等価」ではなく、既存の記述の変更や除去には合理的な理由が必要というのが「編集方針」になると考えます。

上記3. について。

重陽さんは「英語版と日本語版で方針が乖離していても何の問題もありません」(2017年8月6日 (日) 13:08)とのことですが、さすがに方針の主要部分が英語版と日本語版で異なる場合には問題があると考えます。日本語版の方針やガイドラインは多くの部分が英語版の翻訳が元になっており、その重要な一部を変更すると方針全体の整合性で問題が発生します(上記1. 参照)。英語版の編集方針の要約は "This page in a nutshell: Improve pages wherever you can, and do not worry about leaving them imperfect. Preserve the value that others add, even if they "did it wrong" (try to fix it rather than delete it)."(拙訳〈要約: できるだけページを改善してください。また、その際不完全なままであることを心配しないでください。他者が加えた価値はたとえそれが誤りであっても保存してください(除去するよりもむしろ修正を試みてください)。〉、太字は筆者)であり、他者の記述は除去しない原則がここでも強調されています。方針の細部では日本語版Wikipediaの慣行や歴史、日本の法や文化、歴史、慣行などが反映されて英語版との乖離があっても然るべきだと考えますが、主要部分では英語版との整合性も考慮すべきです。

以上、よろしくお願いします。--j8takagi会話2017年8月29日 (火) 07:31 (UTC)[返信]

コメント とりあえず1点。日本語版ウィキペディアは英語版とは対等なプロジェクトなのであって、英語版の下位プロジェクトであったり、従属的地位にあるわけではありません。なので方針の主要部分であっても英語版と日本語版で異なっていて何も問題はありません。方針全体の整合性に齟齬があるのであれば日本語版独自にその齟齬を修正すればいいだけでしょう。財団の利用規約やプライバシーポリシーに反するのであれば、それは修正する必要があるかと思いますが、それはウィキペディアがウィキメディア財団によって運営されているプロジェクトだからです。j8takagiさんが個人的見解として英語版との整合性を考慮したいとお考えになられるのは自由ですが、共感はできません。一番初めに「偉大なWikipediaの記事は、編集者の努力の継承からもたらされうるのです。」という言葉はWikipediaの発展を考える上で重要だとおっしゃっていますが、そうであればなおさら、記事のみならず方針・ガイドラインの整備という点に関しても編集者の努力の継承ということを重要視していただきたいと思います。ここまで来てまた英語版英語版と言われてしまってはガックリ来てしまいます。これ以上1対1でお話しする気が失せてしまいましたので、他の方の意見を待ちましょう。--重陽会話2017年8月29日 (火) 11:09 (UTC)[返信]
方針全体の整合性に齟齬があるとすれば、修正に莫大な手間がかかりますし、実質的には修正不可能な可能性もあります。さらにいえば、「誰でも編集できるフリー百科事典」というウィキペディアの基本理念すら変質してしまう恐れがあります。また、方針・ガイドラインの整備という点に関して、重陽さんをはじめとする前回の改定の関係者など、「編集者の努力の継承」や心情も考慮したつもりです。ですが、実際にWikipediaで編集作業を続けていると、方針を満たす他者の編集を除去するような行為が行われ、結果として編集者同士が対立しているケースが目立つように思えるのです。そうした問題の改善は、「編集者の努力の継承」や心情よりも優先されるべきだと考えます。--j8takagi会話2017年8月30日 (水) 05:57 (UTC)[返信]
コメント「加筆」と「編集除去」、「修正」などは等価であると考えるべきです。それぞれに対して過剰な手間を設けることはウィキペディア日本語版の記事の質の向上を妨げる要因となります。
《Wikipediaのほかの方針・ガイドラインなどと整合性がない》については例示なさっているものは大した問題ではないでしょう。投稿ブロックの方針は「内容の無差別な除去」に関する話題であり、繰り返し編集除去を実施するという限定的な状況の話です。検証可能性については《検証可能性」の記述は、「編集方針」で「Wikipediaの方針を満たした記述が除去されたら文句を言える」ことが記述されている前提で存在すると考えられます》は考えすぎですし、そもそもあらゆる言動に対して『文句を言える』ということは「Wikipedia:合意形成」などを読めば自明でしょう。「完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください。」節での言及は記事自体の削除の話であって編集除去の話ではありません。--iwaim会話2017年9月14日 (木) 16:29 (UTC)[返信]

「日本の文化」などどうでもいい、ク○ほどに、いや○ソよりもどうでもいいと思っていますが(それでも日本の法律には従う必要はありますが)一言だけ。「たとえそれが誤りであっても保存してください」というのは、「質量ともに世界最高/最大の百科事典制作」という全言語版共通のWikipediaの基本理念に真っ向から反するものであり、流石に看過できません。勿論、修正できるならばそのほうがより望ましいのは確かですが(いや、「修正」でも、結局は元の記述は「除去」して別の記述で「加筆」されていませんか?)。そもそも、原文には "did it wrong" とダブルクォーテーションがついている、つまりニュアンス的には「自分ひとりの目から見て誤っている(実際に誤っているかどうかは判らない)」わけですが、それを無視してしまっている時点で誤訳とも言えます(そしてそれは、ある程度以上英語圏の文化に浸かった人でなければ、なかなか解らないところかもしれません)。つまり、「1たす1は3」や「太陽は西から上る」レベルの、誰から見ても明らかな誤りまで保存することは、原文では求められていません。確かに、各種方針を盾に自分の気に入らない記述を除去することが目的で、酷い例では出典を明示しても出典ごと除去していくような、除去荒らしに対しては別途対処は必要です(そしてそのような、方針を盾にした実質荒らし行為はWP:悪用という別の方針で戒められています)。しかし、除去/再加筆で編集合戦になりそうな時に、合意形成をしてくださいとでも言うならまだしも、どんな除去に対しても一律に合意形成を要求するのもまた行き過ぎです。逐一「合意形成」を強いることで、記事の改善よりもノート等での議論のほうに工数と労力を取られるようでは本末転倒です。除去ではないですが、ノート:九州の役ノート:グルジアなどは、「記事の改善よりもノート等での議論のほうに工数と労力を取られる本末転倒」の最たる例と言えましょう。結局、本方針は現状維持とし、方針の悪用等に対しては別の方針を適用してカバーすべき、と考えます。Yassie会話2017年9月13日 (水) 00:27 (UTC)[返信]

返信 「たとえそれが誤りであっても保存してください」については、「"did it wrong" について」節で検討したいと思います。また、「合意形成」についてさえぼーさんの「2017年9月13日 (水) 07:05 (UTC)」の書き込みの下に記載しています。--j8takagi会話2017年9月13日 (水) 23:32 (UTC)[返信]

「不適切な記述は、まずは除去するのではなく、情報を保存する形で修正してウィキペディアにふさわしい記述にすることを検討してください」という記述を入れることについては反対いたしたいと思います。Wikipedia:検証可能性を満たさない無出典記述や出典無効記述などについてはノートでの議論など無しに除去しても良いはずだと考えますが、この文面ではそのことがよくわかりません。また、質が低く長く放置されていて情報が古くなったスタブ記事などを翻訳や強化で完全に改稿するなどということはよく行われていると思いますが、この文面ではそうした改稿をする時にも「情報の保存」(既に時代遅れになった情報や初期の誤報を含むかもしれません)が必要であるように見えます。さらに近年、機械翻訳などによる意味不明な日本語記事が増えており、李家傑などのようにコンテンツ翻訳で投稿された質の悪い記事についてはわかりづらいところは全部除去するなどの手法でないと直せないことも増えています。ノートで合意形成をするにしても、編集合戦になるどころかほとんど誰も見に来ないような専門的な記事について、古い情報やわかりづらいところを削除したいという時にまでノートでの議論や情報の保存が必要であるかのような記述が付け加えられるのは、手間を増やすばかりで記事改善に役立たないと思います。 --さえぼー会話2017年9月13日 (水) 07:05 (UTC)[返信]

返信 (Yassieさん、さえぼーさん宛) 議論への参加、ありがとうございます。「合意形成」の方針では、Wikipedia:合意形成#編集作業の結果としての合意が「ノートページにおける合意形成」とは別に記述されており、この部分は(長い説明が必要なければ)ノートを使わなくても、編集者による要約欄への記載と閲覧者による編集承認により合意形成ができることを示しています。除去についてかんたんに合意形成できるような状態、たとえば、「1たす1は3」や「太陽は西から上る」レベルの、誰から見ても明らかな誤りについてYassieさん、質が低く長く放置されていて情報が古くなったスタブ記事、機械翻訳などによる意味不明な日本語記事についてさえぼーさんは、ノート提案の手間もなく除去すべき記述と見なしていると思います。私が提案した改定案では、Wikipediaの参加者が皆その考えで同じならば、「編集作業の結果としての合意」としてノートでの議論はせずに記述除去ができると考えます。
一方では、記述の内容については意見が分かれる --ある人にとっては事実に反していたり無意味に思える記述でも、別の人にとっては事実と確信しており重要な意味を持った記述である-- ことも多いわけです。たとえば出典がついておらず事実かどうか疑わしい記述の場合、まずは出典を自分で確認し(見つかれば追加)、見つからなければ「要出典」タグを貼付し、(1週間以上?)だれも出典を追加しなければ記述の除去、という手順を現在でも多くの人が慣行としてとっていると思います。ですが、現状の「編集方針」ではこのような手順をとらなくても「配慮」(配慮ってのが具体的に何をすればいいのかわからないのも問題ですが)さえあれば記述を除去できてしまうようにも解釈できます。そして実際にそうした行動をとる人がいて、トラブルになってしまう。そうしたトラブルを防ぎたいというのが今回の提案の動機のひとつです。--j8takagi会話2017年9月13日 (水) 23:32 (UTC)[返信]
であれば尚更、本方針で一律に合意形成を要求するような改訂をする理由にはなりませんよね。「記述の内容については意見が分かれる」ものに対しては、Wikipedia:中立的な観点という方針に従って両論併記するなり、あるいはWikipedia:論争の解決というガイドラインがあるのですから、それに従って、トラブルにならないように論争を解決すればいいのです。また、方針悪用の除去荒らし・記事破壊行為に対しては、WP:悪用を適用して粛々と対処すればいいのです。
また、念の為言っておきますが、「トラブル」と「論争」は違います。真剣に知を探求しようと思えば、「批判」や「論争」はむしろ普通に起こることであり、それを「トラブル」に発展しないように解決することが肝要です。所謂「和を以って尊しと成す」思想の弊害なのかもしれませんが、「批判」や「論争」を悪いものとして捉えていては、知は発展しませんし、それは即ち、Wikipediaの根本理念である、質量ともに世界最高/最大の百科事典制作に逆行することです。Yassie会話2017年9月14日 (木) 00:53 (UTC)[返信]
「であれば」というのはどこの部分をうけてのことでしょうか?また、「一律に合意形成を要求」とのことですが、合意形成自体にさまざまなケース(編集作業の結果としての合意、ノートでの合意)が含まれていることを考慮すると、「一律」という表現はあたらないと考えます。また、「トラブル」「論争」について、記述の除去を巡ってはどうしても感情的な「トラブル」になりがちだと認識しています。特にWikipediaの方針を満たした記述の除去を巡ってはそうです。--j8takagi会話2017年9月14日 (木) 04:32 (UTC)[返信]
J8takagiさんのさらなるご説明はWikipedia:検証可能性と矛盾をきたしていると思います。Wikipedia:検証可能性には「出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません」「信頼できる情報源を欠く編集は、除去されるのもやむを得ません」「存命中の人物に関する記事あるいは情報の場合、情報源が明示されていない情報は直ちに除去してください」とあります。一定の礼儀は要求されていますが、検証可能性の記述からすると「「配慮」さえあれば記述を除去できてしまう」のは当然でしょう。分野によってはトラブル回避のためにルールを作る必要があるところもあるでしょうが、それは個別プロジェクトやポータルなどでやるべきことであり、全体に関する編集方針にWikipedia:検証可能性の記述と齟齬をきたしかねない記述を入れる必要はないと思います。--さえぼー会話2017年9月14日 (木) 03:32 (UTC)[返信]
「出典がついておらず事実かどうか疑わしい記述の場合…」は、現在のWikipediaで行われている「慣行」について説明したものであり、改定案について説明したものではありません。 今回私が示した改定案に沿って言えば、まず存命中の人物に関しては、出典がなく疑わしい記述は議論なしに除去されるべきです。そのうえで、出典が確認できない記述は「除去されてもやむをえない」という形になります。ここまでは、現行の方針でも同じです。今回の改定で意図しているのは、(1).出典が明示されているいないなどWikipediaの方針を満たさない記述があったら、まずは方針を満たすような編集(出典の追加など)を試みる。(2).Wikipediaの方針を満たした記述は合意形成がないかぎり除去しない。ということです。--j8takagi会話2017年9月14日 (木) 04:32 (UTC) 2017年9月15日 (金) 02:57 (UTC)一部修正[返信]
上の返信についてですが、「(1).出典が明示されているなどWikipediaの方針を満たさない記述」というのがよくわかりません。「出典が明示されていないなど」の間違いでしょうか?また、(2)についてはWikipedia:ページの編集は大胆にに従って冗長な文章や古い記述、重複した記述などを整理して大幅改稿するのを妨げるような改訂になりますので、そうした記述を全ての文書に及ぶ編集方針に盛り込むことは反対します(見た目だけは出典やレイアウトなどウィキペディアの方針に合致していても、雑多な内容が冗長に書かれているだけの記事などはずいぶんありますので)。J8takagiさんはスタブ記事や極めて質の低い記事などにはこの記述は及ばないと考えておられるようですが、文書になってしまえば全ての記事に波及すると考えて編集をためらったり、場合によっては悪用する人が出てもおかしくありません。現状の礼儀を求める方針だけで十分、対応可能でしょう。「トラブル」が起こりやすいのであればそれは各プロジェクトなど分野ごとに議論する問題だと思います。--さえぼー会話2017年9月14日 (木) 07:06 (UTC)[返信]
(1). についてはご指摘のとおりの、私の誤りです。修正します。また、(2). について、Wikipedia:ページの編集は大胆にはたしかに「冗長な文章、重複した記述などを整理して大幅改稿する」ことについて記載しています(「古い記述」については言及していません)。ですが、「ただし、配慮を忘れない」節の内容なども含め、「大胆に記述を除去すべき」と記載しているわけではありません。大胆な編集は既存の情報を保持することが前提だと言えます。また、「スタブ記事や極めて質の低い記事など」については、「2017年9月15日 (金) 01:15 (UTC)」にも記載したように実際には判断がむつかしい(複雑な議論が生じ、トラブルの原因にもなる)場合が多いと考えます。--j8takagi会話2017年9月15日 (金) 02:57 (UTC)[返信]
J8takagiさんはスタブ記事や極めて質の低い記事などにはこの記述は及ばないと考えておられるようですが、文書になってしまえば全ての記事に波及すると考えて編集をためらったり、場合によっては悪用する人が出てもおかしくありません。について、さえぼー様と認識を同じくします。ややもすれば、誤字衍字1つ除去/修正するのにさえ、「合意形成」の4文字が振りかざされ、いちいちノート等で、いかにも日本式に「お伺いを立て」、「根回し」をしてからでなければさせないなどという風潮さえ生まれかねません。これでは、スピーディーに編集できるWikiシステム本来のメリットを殺してしまい、質量ともに世界最高/最大の百科事典制作という、Wikipediaの根本理念にも大きな妨げになってしまいます。それでは本末転倒です。
おそらくJ8takagi様は、方針を悪用した除去荒らしの横行に歯止めをかけたいとの思いがおありで、このような提案をなさっているのかもしれませんが、この提案通りに、除去に「合意形成」を必須としたらしたで、逆方向への悪用、つまりいつまでも「納得」しないで、除去も修正も改稿もさせない(修正や改稿にも「除去」が伴うことは、上のほうでも申し上げた通りです)、などという悪用も横行しかねません。勿論、そのような悪用に対しては、再三申し上げているようにWP:悪用を粛々と適用して対処すればよいだけの話ですが、それならば本方針を現状維持としても、方針を悪用した除去荒らし行為に対しては、WP:悪用を粛々と適用して対処すればよいだけの話であることに変わりはありません。結局、せっかくのご提案ではありますが、残念ながらメリットが無く、デメリットが大きいと言わざるを得ません。Yassie会話2017年9月14日 (木) 15:38 (UTC)[返信]
返信 「修正や改稿にも「除去」が伴う」について同意します。その上で、「誤字1つ除去/修正」に近い事例としてWikipedia:井戸端/subj/「関数」か「函数」かがあります。「函数」を「関数」に修正した人は、誤字を修正したのに近い感覚だったと思いますが、実際には複雑な議論の原因となってしまいました。この問題のいわば「和解案」はプロジェクト:数学/函数と関数にあります。この和解案は、「関数」も「函数」も誤りではないという前提を説明した上で、〈「函数」を「関数」に、「関数」を「函数」に変更する編集は推奨されない〉としており、いわば既存の記述を尊重するルールになっているわけです。Wikipediaの編集方針では明らかな誤りは、現行であっても私の改定案であっても、著作権違反や名誉毀損と同じく議論不要で修正あるいは除去できるものになります。問題なのは、編集者の一人は「明らかな誤り」だと信じていても、ほかの人の中にはそうは思わない人もいるというケースです。議論で明らかな誤りということをはっきりさせられればいいでしょうが、関数と函数のようにそうはできない場合もあります。その場合、「既存の記述を尊重する」というルールであれば問題を収めることができます。〈加筆と除去は等価〉のような考え方では、議論で決着をつける以外の問題を収める方法がなくなってしまいます。yassieさんは、除去すべき誤字、スタブ記事、極めて質の低い記事などは明確に判断できると考えているようですが、実際にはそうした判断はむつかしい場合も多いのです。--j8takagi会話2017年9月15日 (金) 01:15 (UTC)(署名追加 2017年9月15日 (金) 01:15 (UTC))[返信]

「ウィキペディアにふさわしい記述は、保持するようにしてください。」って感じの文言って意味ないんだよ。除去するがわにしたら保持 するに値しない内容だって事で除去するわけだし、記述したい側にしたら当然残すべき内容だって事で記述してるんだよ。よくあるパターンだとウィキペディアに記事の無い組織とか内容が薄い組織などで新たな不祥事などが起こった場合によくあるんだけど、組織の概要等より現在進行形の不祥事内容がメインとなってしまっている記事。内容の一つ一つは正しい出典のある記述なんだろうけど、ある程度落ち着いたら内容の重複とかで記述した内容が変わらない程度に記述内容を除去するのは読み手にとって有用な整理だと思う。それをいちいち合意形成を採れってのは、違うんじゃないか?って思うけど。--Vigorous actionTalk/History2017年9月13日 (水) 10:58 (UTC)[返信]

敢えて誰とは言いませんが、誰かさんみたいに「俺様に歯向かう者は許さん」と言わんばかりに方針を悪用する人に対しては、それ相応の対処が必要かとは強く思います。ただそれは、本方針とは別途、WP:悪用など、別の方針への違反行為として対処されるべきではありますね。Yassie会話2017年9月13日 (水) 12:16 (UTC)[返信]
返信 議論への参加、ありがとうございます。「ウィキペディアにふさわしい記述は、保持するようにしてください」。この部分は、〈たとえあなたが気にくわない記述であっても、ウィキペディアの方針を満たした記述ならば除去するな〉ということです。また、合意形成については、上記のYassieさん、さえぼーさん宛の返信も参照にして下さい。合意形成にあたりノートでの議論は必ずしも必要ありません(Wikipedia:合意形成の内容、とくに「編集作業の結果としての合意」についてはもっと知られるべきかも)。一方で記述の除去にあたり、いちいち要約欄に簡潔な理由を書くくらいの手間は必要ではないかと考えます。--j8takagi会話2017年9月15日 (金) 01:06 (UTC)[返信]
J8takagiさんは「Wikipediaの編集方針では明らかな誤りは、現行であっても私の改定案であっても、著作権違反や名誉毀損と同じく議論不要で修正あるいは除去できるものになります。問題なのは、編集者の一人は「明らかな誤り」だと信じていても、ほかの人の中にはそうは思わない人もいるというケースです」であるとおっしゃっておられますが、これは実質的には全ての記述について事前の議論なく除去するなという主張であるように見えます。「明らかな誤り」は議論不要で修正できるが、編集者が「明らかな誤り」だと思ったものでも「明らかな誤り」とは限らないことがあるという意味だと思いますので、実のところ「明らかな誤り」として議論不要で修正できるということがなくなってしまいます。また、「たとえあなたが気にくわない記述であっても、ウィキペディアの方針を満たした記述ならば除去するな」というような意味の記述であるのならば、これはウィキペディアは自由に編集ができる場所であり、良質な百科事典を目指して改善を重ねているという基本的な理念にもそぐわないものだと思います。
また、J8takagiさんはWikipedia:ページの編集は大胆にについて、「「ただし、配慮を忘れない」節の内容なども含め、「大胆に記述を除去すべき」と記載しているわけではありません。大胆な編集は既存の情報を保持することが前提だと言えます」とおっしゃっておられますが、Wikipedia:ページの編集は大胆にには「ウィキペディア内の記事の編集内容の多くは、表記や表現を直したり、リンクを貼ったりするなど、ほんの少し何かを付け加えたり、訂正したり、除去したりというものです」と、小さな除去や訂正は当たり前のものとして記載されており、さらに「ある節(セクション)が冗長な長文になっていれば、余分な箇所を割愛し」とあるように、冗長な箇所を割愛することについても記載がありますので、「大胆に記述を除去すべき」ということが書かれていないだけではなく、「大胆に記述を除去してはいけない」ということも書かれてはおりません。
さらに「要約欄に簡潔な理由を書く」ことも合意形成と見なすというのであれば、現状でもWikipedia:常に要約欄に記入するがあるのですから、それで十分だと言えるでしょう。わざわざ編集方針に誤解や、それこそ「トラブル」を招きそうな記述を付け加える必要はないと考えます。--さえぼー会話2017年9月15日 (金) 07:08 (UTC)[返信]
返信 〈実質的には全ての記述について事前の議論なく除去するなという主張〉はしておりません。「編集方針」の文言に沿って言えば、まずは「名誉毀損、無意味な記述、荒らし、著作権侵害は完全に除去されるべき」というのが前提であり、こうした除去に事前の議論は不要です。もしこうした除去の判断を疑う人がいれば、事後に議論が起こると想定しています。「名誉毀損、無意味な記述、荒らし、著作権侵害」以外の記述を除去するのであれば、「合意形成」が必要だと考えます。この合意形成に事前の議論が必須ではないことはすでに述べたとおりです。--j8takagi会話2017年9月15日 (金) 07:34 (UTC)[返信]

現状でも、「トラブル」(≠論争)に発展するのは数本からせいぜい数十本、全体の0.01%にも満たない記事であり、それも多くは単純な除去/修正/改稿に関するものではなく、自らの政治/思想/信条を押し通して記事の内容に無理矢理反映させようとする、酷い場合にはソックパペットやミートパペット行為さえ行われることによってそうなっています。そしてそういった行為や、方針悪用者(特に常習犯)、荒らしに対しては、もはや本方針やWikipedia:合意形成とはまた別の方針/ガイドラインによって粛々と対処されるべきものです。逆に言えば、Wikipedia:合意形成#編集作業の結果としての合意を持ち込むのであれば、現状でも99.99%以上の記事は、除去/修正/全面改稿を含むいかなる編集においても、既にそうやって回っています(もっとも、ただ単に多数から関心を持たれず、長期間放置されていたり、事実上1人から数人程度の編集者によって成り立っている記事/分野も、メインカルチャー系を中心に多数ありますが)。ですから、本方針を改訂する意味がありません。本方針のような広範囲に影響する方針を意味なく、それもメリットが全く無くデメリットが大きい、「改悪」とさえ言える内容に改訂することには、明確に反対します。Yassie会話2017年9月16日 (土) 03:52 (UTC)[返信]

返信 「数十本、全体の0.01%」という数値は、どのように算出したのでしょうか?あるいは、Yassieさんの勘に基づくものでしょうか?--j8takagi会話2017年9月16日 (土) 04:16 (UTC)[返信]
「そんな程度でしょう」という程度の意味で言っています。仮に1万本あったとしても(実際に1万本あるようにはさすがに見えませんが)、高々全体の1%です。過半数の記事で「トラブル」に発展しているとでも言うならともかく、大多数の記事は現状でも既に、除去/修正/全面改稿を含むいかなる編集においても、明示的な「合意形成」などせずとも問題無く回っていますから、本方針を改訂する意味は無く、意味無く改悪することには明確に反対するという大筋には変わりがありません。Yassie会話2017年9月16日 (土) 04:45 (UTC)[返信]
返信 〈「そんな程度でしょう」という程度の意味で言っています〉。了解です。「トラブル」がどの程度発生しているのかというのは一つの論点になると考えます。よい計測方法があればいいのですが。ほかの論点についても改めて考えます。--j8takagi会話2017年9月16日 (土) 05:21 (UTC)[返信]
"did it wrong" について[編集]

そもそも現在の「この文書の要旨」の"did it wrong"の訳「もし誰かが間違っていても」が誤読を招くのではないでしょうか。"did wrong"なら「間違っていても」でよいかもしれませんが、enwpのnutshellは"did it wrong"なので "did(=added、追加した) it(=the value、意味・内容) wrong(=副詞wrongly, 間違ったやり方で)"、つまり、追加した内容(value)そのものではなく追加の方法が何らかの形でまずい(wrong)ということを意味しているのではないでしょうか?この要旨に対応する記述をenwp本文で探せば、Try to fix problems節の "(article content that is) poorly presented" に当たるのではないかと思います。よって「たとえそれが誤りであっても(j8takagiさん訳)」ではなく「たとえその追加方法or書き方がまずくても」と取るべきではないでしょうか。--miya会話2017年9月13日 (水) 12:01 (UTC)[返信]

いずれにせよ、ダブルクォーテーションがついていますので、「所謂」とか「自称」とか「自分ひとりの目にはそう見えても」とか、それも大抵は揶揄するような意味がこめられていると考える方が、ここでは自然です。英語圏の人と会話すると、よくそういった、揶揄をこめて言う場面で、両手の人差し指+中指をくっつけて上げて、ダブルクォーテーションを描く仕草が見られます。私はよく使いますが、日本の文化圏には無いものですし、従って日本人が日本人と話していて使うことはまずないと思われますし、知っていたとしても日本語の文章にするのも難しいと思われますので、誤訳そのものについて責める気は毛頭ありません。Yassie会話2017年9月14日 (木) 15:38 (UTC)[返信]
返信 議論への参加、ありがとうございます。たとえば、"did wrong"はデタラメな内容を記述していた、"did it wrong"は正しい内容を記述したけれど出典はつけ忘れた、といった感じですかね。既存の文言も私の改定案も、翻訳が不正で方針に悪影響を与えているということも考えられます。本件とは別に、編集方針の修正提案が必要でしょうか。「この文書の要旨」に関連していえば、文書の内容と要旨に整合性があるのかどうかも気になります。本文書が〈「加筆など」と「除去」は等価〉という考えのもとで記述されているとなればなおさらです。--j8takagi会話2017年9月15日 (金) 01:06 (UTC)[返信]