N-IIロケット

N-II
N-IIロケット
基本データ
運用国 日本の旗 日本
開発者 NASDA
三菱重工
運用機関 NASDA
使用期間 1981年 - 1987年
打ち上げ数 8回(成功8回)
打ち上げ費用 約46億円(N13F)[1]
約50億円(N16F)[1]
原型 N-Iロケット, デルタロケット
公式ページ JAXA - N-IIロケット
物理的特徴
段数 3段
ブースター 9基
総質量 135.2 トン
全長 35.36 m
直径 2.44 m(本体部分)
軌道投入能力
低軌道 2,000 kg
静止移行軌道 730 kg
静止軌道 350 kg
(燃焼後アポジモータ含)
地球重力圏脱出軌道 500 kg
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N-IIロケット(N-2ロケット)は、宇宙開発事業団(NASDA)と三菱重工業米国デルタロケットの技術や構成要素を基に開発し、三菱重工業が製造した人工衛星打上げ用液体燃料ロケット

概要[編集]

N-IIロケットは前身のN-Iロケットと同じく、実用化を急ぐため、米国のデルタロケットを母体に完成品輸入またはライセンス生産方式で徐々に技術を習得していく方針で開発された。この方式は、打ち上げの際には米国の許可が必要であったり、一部技術がブラックボックスで習得を出来ないなどの弊害も多少あるが、米国の技術を効率よく取得できるという利点があった。

1974年(昭和49年)に大型化する衛星側の要求に答えるためにNロケット(後のN-I)の後継機としてN改良型ロケット計画が決定された。この計画の中でN改良型1型ロケットとされたのがN-IIロケットであり1976年(昭和51年)10月から開発が開始された[2]

当初は、N-Iロケットの開発時に技術導入し国産化した第二段エンジンのLE-3の性能向上により打ち上げ能力を向上する計画であったが、希望期間内に日本国内の技術のみで改良するには技術の蓄積が不足していたため[3]静止軌道(GEO)に350kg級の衛星を送る能力を確保するべく、引き続きデルタロケットの技術導入を行うことになった。こうして第二段エンジンはデルタロケットで使われていた第二段エンジン(AJ10-118F)の改良型を使用することになった。このようにN-IIロケットはライセンス生産品とノックダウン生産品を継ぎ接ぎしているため、N-Iでは53%から65%程度だった国産化率が56%から61%程度へと低下している[4]

1981年(昭和56年)に技術試験衛星「きく3号」を搭載した第1号機が打ち上げられ、1987年(昭和62年)まで合計8機すべての打ち上げに成功し運用を終了した。後継は1986年(昭和61年)に初飛行したH-Iロケットである。

諸元と構成[編集]

デルタ1904と略同型(組み合わせの構成番号としては存在するが米国では打ち上げられていない)。デルタロケットとしては、第1段から第3段まで8フィート直径である"Straight Eight"タイプの初期型である。

主要諸元[編集]

主要諸元一覧[5][6]
諸元\各段 第1段 補助ロケット 第2段 第3段 フェアリング

長さ(m) 22.4 7.3 6.0 2.1 7.9
全長(m) 35.4
外径(m) 2.4 0.8 2.4 1.0 2.4

各段全備重量(t) 86.4
(段間部含む)
40.3
(9本)
6.7 1.3 0.6
全段重量(t) 135.2
(衛星除く)



名称 MB-3-3 キャスターII AJ10-118FJ/AJ10-118FJI スター37E N/A
型式 液体ロケット 固体ロケット 液体ロケット 固体ロケット
推進薬種類
(酸化剤/燃料)
LOX/RJ-1 HTPB NTO/A-50 HTPB
推進薬重量(t) 81.9 33.6
(9本)
5.8 1.1
比推力(s) 249
(海面上)
238
(海面上)
314/319
(真空中)
286
(真空中)
平均推力(tf) 77.1
(海面上)
22.5
(海面上)(1本分)
4.6
(真空中)
6.8
(真空中)
燃焼時間(s) 273 38
推進薬供給方式 ターボポンプ N/A ヘリウムガス押し N/A
制御
シス
テム
ピッチ
ヨー
ジンバル N/A ジンバル(推力飛行中)
ガスジェット(慣性飛行中)
スピン安定 N/A
ロール バーニアエンジン ガスジェット

構成[編集]

3段式の液体+固体ロケット

実績[編集]

機体 打上げ年月日 成否 積荷 目的 軌道 備考
1号機
(N7F)
1981年2月11日 成功 きく3号 技術試験衛星IV型 GTO
2号機
(N8F)
1981年8月10日 成功 ひまわり2号 気象衛星2号 GEO ひまわり1号は1977年NASAデルタ2914で打上げ
打ち上げの際、警戒飛行中のヘリコプターが墜落して6名が死亡する事故が発生[11]
3号機
(N10F)
1983年2月4日 成功 さくら2号a 通信衛星2号a GEO さくら1号1977年にNASAのデルタ2914で打上げ
4号機
(N11F)
1983年8月6日 成功 さくら2号b 通信衛星2号b LEO
5号機
(N12F)
1984年1月23日 成功 ゆり2号a 放送衛星2号a GEO ゆり1号1978年にNASAのデルタ2914で打上げ
6号機
(N13F)
1984年8月10日 成功 ひまわり3号 気象衛星3号 GEO
7号機
(N14F)
1986年2月12日 成功 ゆり2号b 放送衛星2号b GEO
8号機
(N16F)
1987年2月19日 成功 もも1号 海洋観測衛星1号 LEO

当初はN改良型2型ロケット(後のH-Iロケット)までのつなぎとして3機のみの打ち上げ予定であったが、N-II 1号機(N7F)打ち上げ成功とH-I用第2段エンジン(LE-5)の開発難航により8号機まで打ち上げられることとなった[8]

出典[編集]

  1. ^ a b Velupillai, David (1984-01-14). “Commercial Rockets : N-II” (英語). Flight International: pp.99. オリジナルの2015-06-07時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150607071237/http://www.flightglobal.com/pdfarchive/view/1984/1984%20-%200073.html 2009年9月14日閲覧。. 
  2. ^ 宇宙開発事業団(NASDA)沿革 JAXA公式サイト 2023年9月3日閲覧。
  3. ^ 第76回国会 科学技術振興対策特別委員会 第4号 - 1965年11月19日
  4. ^ 第94回国会 科学技術特別委員会 第4号 - 1981年4月17日
  5. ^ 新版 日本ロケット物語 - 大澤弘之 監修 / 2003年9月29日 p.151,162
  6. ^ 松田敬「H-Iロケット開発の現況」『日本航空宇宙学会誌』第32巻第370号、日本航空宇宙学会、1984年11月、pp.603-611、doi:10.2322/jjsass1969.32.603ISSN 0021-46632023年9月3日閲覧 
  7. ^ 宇宙開発事業団史 - 宇宙開発事業団史編纂委員会 / 2003年9月 p.80
  8. ^ a b 『IHI航空宇宙50年の歩み』 / 「IHI航空宇宙50年の歩み」編纂委員会監修・企画・編集 - 石川島播磨重工業株式会社 JP:21302522 P.212-213
  9. ^ 図説 宇宙開発新時代 - 科学技術庁研究開発局宇宙企画課 編 / 1989年7月25日 p.111
  10. ^ 新版 日本ロケット物語 - 大澤弘之 監修 / 2003年9月29日 p.151,162
  11. ^ 航空事故調査報告書 (PDF) (Report). 航空事故調査委員会. 8 December 1982. 2016年1月19日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]