DML30系エンジン

DML30系エンジン(DML30けいエンジン)は、日本国有鉄道(→JRグループに継承)の気動車用として開発されたディーゼルエンジンである。 なお、日本貨物鉄道2017年平成29年)にJR貨物DD200形ディーゼル機関車おいて採用したFDML30Zエンジンは、コマツ製SAA12V140Eエンジンを国鉄時代の制式名称に当てはめた呼称であり、本稿で解説するものとはまったくの別物である。

キハ183系用DML30HSI形 (440PS/1600rpm)

概要[編集]

キハ181-1床下のDML30HSCエンジン。3気筒単位でシリンダーブロック1組を構成しており、各気筒が独立シリンダー形のDML30HSI以降とはシリンダーヘッド形状も異なる

キハ60系でのDMF31HSAとDW1液体変速機の失敗を受けて1963年昭和38年)に試作された直列6気筒の横形エンジンであるDMF15HS (240 PS/1,600 rpm) を基本とし、翌1964年(昭和39年)にこれをバンク角180度のV型12気筒に設計変更したDML30HSをはじめとして、国鉄と新潟鐵工所ダイハツディーゼル神鋼造機の各社によって共同開発された。

水平シリンダー式(バンク角180度)のV型12気筒[注 1]。で、連続定格出力440 - 660PSのエンジンである。主に高速、高出力を要求される特急形車両急行形車両に使用される。

形式名のDMはDiesel Motorの略、Lは12気筒を意味し(国鉄形機関車動軸数の表記と同じく、A=1、B=2とし、Lはアルファベットの12番目にあたる)、30は総排気量リットルで表したものである。末尾のHは横形機関 (Horizontal cylinder = 水平シリンダー式) を、Sは過給機Super-charger、このエンジンでは排気タービン過給機)を意味し、それに続くアルファベットは改良順にA、B…となる。

国鉄の気動車用量産エンジンは、大別するとDMH17系と、このDML30系(大出力形)/DMF15系(小出力形)エンジンに分けられる。後者のDMF15系は前述の通りこのDML30系エンジンの基本となったもので、両者は内部の消耗部品、動弁系、各種補機を中心として、部品互換性を持つ。

構造[編集]

先行したDMF31系エンジンが、ボアストローク共に過大で、横形(水平シリンダー型の国鉄での呼称、横置きエンジンの意味ではない。)とした場合、シリンダ内部の潤滑が十分ではなく、また、振動・騒音面でも気動車の床下に搭載するには問題が多かった。それを教訓として、実績のあるDMH17系の設計・構造から大きく離れることを避けて計画・設計された、保守的な設計のエンジンである。

このため、最初に試作されたDMF15HSでは、DMH17系と同じストローク (160mm) を踏襲しつつ、ボアを10mm拡大 (130mm→140mm) して1気筒あたりの排気量を約8%増大、さらに定格回転数を100rpm引き上げて (1,500rpm→1,600rpm) ターボチャージャーにより過給を行い[注 2]、排気量あたりの出力を引き上げることで気筒数の削減を図り、回転バランスの良い直列6気筒構成を実現している[注 3]

本系列はこのDMF15HSを2台向かい合わせに組み合わせてクランクシャフトを共用とし、バンク角180度のV型12気筒とすることで出力の倍増と軽量化[注 4]を図ったものである。

その設計方針は単純・堅牢・廉価を狙いつつ、新技術の導入を図ったとされ、1バンク6気筒のシリンダーヘッドを3気筒ずつひとまとめにすることで、消耗品であるヘッドガスケットを1種類で済ませ、かつ、全体の数を減らすなど、保守の容易化に留意した構造が採用され、またエンジン本体と付属圧縮機の一体化による潤滑油の共通化をはじめとして、各種補機の設計にも工夫が凝らされていた。

もっとも、DMH17系エンジンでも問題となっていた排気マニホールドの過熱と排気管の焼損・発火問題を抑止するため、ターボチャージャーによる過給については、姉妹機種であるDMF15HZとは異なり中間冷却器を付加できず、1バンクにつき1基ずつ計2基の石川島播磨重工業製TB15ラジアル形ターボ過給器[注 5]を搭載するに留められている。

また、エンジンの片バンク6気筒分をそれぞれA列とB列として区分し、各列ごとに燃料噴射ポンプを1台ずつ備え、その間に横間制御装置を取付けてA・B各列の燃料噴射ポンプを制御している。

運用状況[編集]

国鉄は当初、DMH17系に代わるエンジンは300PS級のDMF15系が妥当なのか、それとも500PS級の本系列が妥当なのか、どちらとも決めかねていた。そこで実際にこれらの機関を搭載した車両を試作し、長期試験を実施することとした。それがキハ90系である。

1966年(昭和41年)、300PSのDMF15HZAを搭載したキハ90形と、500PSのDML30HSAを搭載したキハ91形が各1両製造され、千葉地区など各地で性能試験が行われた。これらでの試験の結果、今後の優等列車用国鉄気動車では500PS級機関を1基搭載することになり、翌年には営業列車での長期実用試験を行うため、DML30HSBを搭載したキハ91形量産試作車7両と、走行用エンジンを搭載しないキサロ91形が3両製造され、急行「しなの」などで長期実用試験が開始された。

だが、1968年の白紙ダイヤ改正で計画された非電化区間優等列車の速達化プランを実施に移すには、キハ90系試作車での長期試験の結果を待つ時間が残されていなかった。このため国鉄当局は、いわば見切り発車的に、食堂車を除く全車に500PS級のDML30HSCエンジンを装備したキハ181系を製造、1968年(昭和43年)10月1日のダイヤ改正から特急に格上げされた「しなの」で営業運転を開始した。

こうして本格的な量産にゴーサインが出された本系列であるが、その設計は様々な問題点を内包していた。

まず、保守の容易化を狙って採用された3シリンダー1ヘッド構成は、過酷な「つばさ」運用へ充当されていたキハ181系搭載分を中心に、熱変形や公差によるガスケットボルトの締め付け力の不均等が発生しやすく、吹き抜け現象が多発し、本系列のアキレス腱となった。これはガスケットの設計変更を繰り返し、出力のデチューン(抑制)を行うことで一応の解決が図られたが、依然として充分ではなく、キハ66・67系用として設計されたDML30HSH以降では1シリンダー1ヘッド構成としてガスケットをそれぞれに組み付ける従来の設計に戻すことで対処せざるを得なかった[注 6]

また、設計の効率化や合理化を目的として新設計が導入された補機にもトラブルが続出した。特に先に挙げた機関本体と圧縮機の潤滑油共通化設計は、機関の高温環境に曝された潤滑油が変質してゼリー状となり圧縮機の弁に固着する、といった深刻なトラブルを誘発し、これも潤滑油の供給系統を分割し、従来と同様の設計とすることで対処が図られている。

さらに、DMH17系の段階で排気マニホールドの過熱による発火を防止するため、機関の全力運転時間を5分に制限する必要があったにもかかわらず、根本原因である気筒内の燃焼効率を改善し、排気温度の低下を図ることなく、ほぼそのままの構造で出力向上を図った結果、本系列[1]における機関発熱は当初の想定を超える過大なものとなった。

本系列の基本設計が行われた1960年代初頭には、既に燃焼効率が良く、燃焼室や排気の温度を低く抑えられる直噴エンジンの開発が、主として燃費経済性を重視したトラック用ディーゼルエンジンを中心に進められており、1930年代末にすでに直噴式を採用していたGMユニフロー掃気ディーゼルエンジンや、そのライセンス生産版である民生デイゼルのUDエンジンを例外としても[注 7]、日本でもいすゞ自動車日野自動車1950年代末頃からその開発に着手していた。が、直噴式の高い爆発圧力に耐えきれず、エンジンの破損が相次ぎ開発は順調といえなかった。[2] いすゞ (D920)、日野 (EA100) の両社共に直噴エンジンの市販化は1967年だが、両メーカーともに予燃焼室式の新型エンジンを1968年に発表している[3] このような状況下で、国鉄技術陣が直噴式を検討せず、予燃焼室式を採用した理由は、本エンジンが開発された1965年は陸用機関で予燃焼室式一辺倒から脱却する準備が始まった時期であったこと[4]、直噴化の実用化後も低速時の性能が低下する懸念もあり、各自動車メーカーは予燃焼室の開発も続けていたからであった。[5] 長距離トラックや台湾国鉄に直噴式が進出していると言っても、日本の国鉄車両で想定しうる最長踏破距離及びその所要時間(枕崎駅 - 大湊駅2,293.3km[注 8])とは比べ物にならないほど短いものであり[注 9]、そのような運用の想定から、信頼性の観点で高圧噴射ポンプを回避したことが要因の1つとして考えられる。

しかし、元々DMH17形エンジンは渦流燃焼室式であった。渦流式は予燃焼室式の一種だが、圧縮時に燃焼室内にスワール(渦)を発生させるため、燃料事情の悪い日本でも、質の高くない軽油でも安定して稼働するという利点があった。しかし、後述する通り国内の燃料事情が好転したことから始動困難性を伴う渦流式は途中から単純な予燃焼室式に変更されている。
だが、渦流式は高速燃焼するため単純な予燃焼室式よりは回転数が上げやすく、また黒煙発生量も少なく、ノッキングも少ないという利点があった。特に小型自動車用ディーゼルエンジンでは、当時は高い圧縮比に対して直接噴射することが困難だった一方、スロットルレスポンスも早いため渦流式が主流となった(トヨタB型エンジントヨタ・L型エンジンなど)。始動困難性は、バッテリーの高性能化で克服されていった。平成初期に至るまで、小型自動車用ディーゼルエンジンはほとんどが渦流式であった[注 10]

渦流式であれば燃料噴射圧も予燃焼室式と同程度で構わず、その機構上破損しやすい部品も基本的に存在しない。直接噴射式のみならず、渦流式への“回帰”も否定した点は、DMH17B型以降が抱えていた諸問題についてその原因などを国鉄技術陣が正しく認識していなかったことがうかがえる。[注 11][注 12]
結果としてこれは本系列における不具合頻発の一因となった。

本系列でも採用された予燃焼室式が戦前のDMH17B形以降で採用されたのは、当時の国情から、予燃焼室内での噴射燃料の燃焼が緩やかで低圧力に耐えるだけで済み、予燃焼室や気筒部の設計製造が比較的容易であったこと、それに騒音・振動の点で有利であったことなどの理由であり、また、初期型の渦流式からの変更は、渦流式は始動時の抵抗が大きくセルモーターの負担が大きいこと、米軍の放出品等で国鉄での軽油の安定供給にめどが立ったことなどによる。だが、(単純な)予燃焼室式は前述の利点の一方で絞り損失が大きく冷却効率が悪く、ひいては熱効率が悪い、という弱点があり、反面、渦流式のような高速燃焼効果も得られないため、DMH17クラスまでの回転数であればそれでもメリットの陰に隠れて目立たないが、定格使用回転数が上がるに従ってこれらデメリットが顕在化することになる。

DML30系機関搭載車、中でも特に深刻な状況を呈したキハ90・181系における機関のオーバーヒートの頻発は、熱変形に対する配慮の不足した設計や、工作精度の管理不十分、常用速度域の大半を変速段が占める専用変速機の特性[注 13]、結果的に列車運行の継続が危ぶまれるほどの深刻な問題を引き起こしている。本系列の製造上の品質管理の問題は、充分な管理・調整が期待できた試作機の段階では特に目立った不具合が発生しなかったために見過ごされたが、量産段階では設計陣の想定を上回る品質のばらつきが発生し、それらが過酷な使用状況にさらされた結果、一気に表面化したものであった。

この問題は予燃焼室式を採用した各機種では根本的には完治せず、冷却器の強化[注 14]と、後年、検査を担当する国鉄工場で燃料噴射量を一定レベルに調整[注 15]することで一応の解決が図られた。

更にはキハ66・67系以降の後継車種では強制通風式の冷却器を全車に標準搭載すると共に、機関出力を一律12%ダウンの440PSとすることで信頼性の確保を図る方策が採られている[注 16]。これは圧縮比をそれ以前の16.0から14.2へと落とす、常道とは反した大きな効率ダウンを伴った弥縫策であった[注 17]

なお、このキハ66・67系では騒音が著しく、車内で会話できないほどであったことが新聞紙上で取り上げられており[注 18]、同系列では本来予燃焼室式のメリットであったはずの低騒音・低振動さえ満足に実現されておらず、少なくとも予燃焼室式を積極的に採用する理由は事実上皆無であったことになる。

こうして本系列は、改良、あるいは信頼性向上を目的とした出力ダウンを実施され、その後の高出力化要求に対応するための電子制御・直噴化[注 19]等、適宜情勢にあわせた変更を重ねられたが、その機械的信頼性の低さや、整備の面倒な多気筒エンジンであることから、当初の目的であったDMH17系機関を全面的に置き換えるには至らず、他に適切な代替エンジンが開発されなかった[注 20]ことから1990年代まで製造が継続されたものの、その製造実績は少数に留まった[注 21]

ここまで主に本エンジンの欠点が、予燃焼室式である事が重要な要因であると解説した。しかしながら、対比されるカミンズ製直噴エンジンであるDMF14[注 22]を搭載した名鉄キハ8500系においては、動力伝達系を名古屋鉄道時代の仕様のまま、急勾配と曲線の連続する会津鉄道で運用した結果、変速段での連続高回転運用が祟り、エンジンも含めた動力系への過剰な負荷によりそのメンテナンスサイクルを縮めた。結果、同系列はほぼ同じ仕様のJR東海キハ85系よりもかなり早期に、しかもわずかながら本エンジンの象徴的形式であったキハ181系よりも先に運用終了[注 23]となった。結果、DML30HS系エンジン搭載車の問題はエンジンだけではなく、むしろ多段式変速機が開発できなかったがためにエンジンに過剰な負荷をかけた点がより重いとも言える[注 24]

2013年(平成25年)にはDML30系エンジンを搭載したキハ183系が火災事故を起こしたため、36両が運行を停止する措置が執られていた。翌2014年には、特急の高速化に備えてエンジンの設計変更を行った際のミスと判明し、燃料制御装置に改善措置が講じられた[6]

一方、本エンジン量産の原点と言えるキハ181系では、国鉄時代に出力是正措置を受けていたJR西日本所属車は、特に最後まで残った「はまかぜ」では、221系223系と言ったJR世代の電車が新快速として飛び交う山陽本線を全力疾走した後、播但線で中国山地を越えるという「つばさ」以来の過酷な運用となったが、老朽化のためキハ189系に置き換えられて全廃となる2011年までの間、致命的な事故・故障はなかった。

液体変速機[編集]

液体変速機はすべて1段3要素充排油方式であり、逆転機を内蔵している。DW4系をルーツとし、DW9系、DW12系へと改良された。

最初に造られたDW4系は自動クラッチである。DW4Cは爪クラッチ、DW4Eは湿式多板クラッチ(「キハ181系#変速機」も参照)。また、逆転機の切り換え時には出力軸を揺動させる。DW4系を装備したキハ181系では、液体変速機と台車を結ぶ推進軸の他に、反力を吸収するための軸を装備する。 故障が非常に多く、キハ181における故障の62.2%を占めていた[7]。変速機不調を発端とするエンジンカット→MT比低下による出力低下→過負荷→オーバーヒート→速度低下→運転不能になる悪循環を招き、ほかの故障も誘発した[8]

DW9系は、DW4系を手動クラッチに変更したもの。キハ183系で使用されるDW9Aは軽量・耐寒形。

DW12系はDW9系を改良したもので、ダイナミックブレーキを装備するための準備がしてあり、また、よりコンパクトになっている。DW12Aは、エンジン出力増大にともなう回転数増大のため、減速比が変更されたもの。

なお、液体変速機は暫時改良されているため、のちに製造時と異なるものに交換されている場合がある。

諸元[編集]

共通項目[編集]

  • 形式: 180°V型12気筒エンジン
  • シリンダ径×行程 (mm): 140×160
  • 排気量: 29,541cc
  • 燃焼順序: A1→B5→A4→B1→A2→B4→A6→B2→A3→B6→A5→B3
  • 過給の有無: 有

主な共通項目[編集]

  • 1気筒あたり4バルブ。DML30HSJ以降、1気筒あたり2バルブ。
  • 予燃焼室式。DML30HSJ以降、直噴式。

諸元一覧[編集]

主な搭載車種 圧縮比 定格出力 (PS/rpm) 最大出力 (PS/rpm) 組み合わされる液体変速機 長さ×幅×高さ (mm) 乾燥重量 (kg) 備考
DML30HS 試作 500/1600 DW4
DML30HSA キハ91 1 16 500/1600 540/2000 DW4A 2000×1900×810 3500
DML30HSB キハ91 2~8 500/1600 590/2000 DW4B
DML30HSC キハ180 500/1600 590/2000 DW4C、DW4D、DW4E クランク軸一体化
DML30HSD キハ65 500/1600 590/2000 DW4D
DML30HSE キハ181 500/1600 590/2000 DW4E
DML30HSF キヤ191 425/1600 DW4F
DML30HSH キハ66 440/1600 DW9 安定性重視・保守費軽減のため設計変更
出力抑制
シリンダーブロックシリンダーヘッド独立化
ヘッドガスケット吹き抜け対策
DML30HSI キハ182 440/1600 DW9A HSHの極寒地向け
DML30HSJ キハ182-500 550/2000 DW12 直噴・電子ガバナー
DML30HZ キハ182-550[9] 14.3[10] 660/2000[9] DW12A インタークーラー追加

DML30系を搭載している車両[編集]

  • キハ91形(←全車両廃車に伴い形式消滅)
  • キハ181系(←全車両廃車に伴い形式消滅)
  • キハ65形(←全車両廃車に伴い形式消滅)
  • キヤ191系(←全車両廃車に伴い形式消滅)
  • キハ66系(←後にDMF13系に換装)
  • キハ183系のうち、キハ183形500番台、キハ182形(200番台を除く)、キロ182形500番台

走行音[編集]

  • キハ180-1 伊予三島 - 観音寺間、1992年1月4日

  • キハ65 34 香西 - 鬼無間、2007年

  • キハ180-36 富山 - 高岡間、1999年8月3日

  • キハ66 11 若松-折尾間、2000年12月16日

  • キロ182-9 札幌 - 千歳空港(現・南千歳)間、1986年8月7日

  • キハ183-1002 門司港 - 小倉間、1992年3月16日

  • キハ182-2554 札幌 - 南千歳間、2001年5月10日

  • うまく聞けない場合は、サウンド再生のヒントをご覧ください。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ クランクシャフトの形状と、対向するピストンのコネクティングロッドの組み付け方から、水平対向ではない。向かい合うシリンダーのクランクピンが共用ならV型、別々なら水平対向である。
  2. ^ DMH17系はターボ過給器が一般的ではなかった時代に設計されたため、後付でのターボ過給化が難しく、機関車用の縦型機関であるDMH17SBで300PSを実現したものの、気動車用横置き機関への適用は信頼性の面から困難であった。なお、これらDMH17系ターボ過給モデル各種での性能増加状況を考慮すると、本系列は各シリンダーの燃焼効率という観点においては、DMH17系と比較してさほど大きく変わっていないことが見て取れる。
  3. ^ 直列6気筒は一次振動二次振動共に内部で打ち消し合う。
  4. ^ DMF15系が自重2.5t前後とより気筒数が多く排気量も大きいDMH17系と比較して約1tの自重増となったのに対し、本系列はV型構成により自重が3.5t前後に収まっている。
  5. ^ 最高許容回転速度50,000rpm、機関定格点での回転速度41,600rpm、圧力比1.28。
  6. ^ これにより、各シリンダーの間隔を拡幅する必要が生じ、DML30HSE以前のモデルとの寸法面での互換性は失われた。
  7. ^ これらはいずれも2ストローク機関であり、掃気促進のため、ピストン頂部に突起を持つもので、燃焼室表面積も大きく、その後の4ストローク機関の直噴式とは燃焼室形状が大きく異なる。
  8. ^ 鹿児島本線山陽本線東海道本線東北本線経由の最短ルートの営業キロに基づく。これに日豊本線山陰本線北陸本線羽越本線常磐線奥羽本線などの別経由も考慮に入れると、更に長くなる。
  9. ^ とは言っても理論値で、実際には内燃動力車の場合途中で燃料補給は避けて通れず、気動車でこの距離を踏破することは考えにくい。が、国会で予算承認の必要な国鉄としては建前上でもそうとしておかなければならなかった。
  10. ^ さらにこの渦流式の概念はガソリンエンジンにも応用された。代表例がスズキ・F型エンジンである(ただし、DOHC型はヘッド形状の関係で除外される)。
  11. ^ そもそもDMH17の原型機の一つである三菱重工業8150は直噴式であった。また、本系列が設計されていた時期には既に気動車用として使用可能な直噴機関が量産製品として存在しており、例えば台湾鉄路管理局1967年に納入されたDR2700形東急車輛製造製)はカミンズの標準品の一つであるHR-6系エンジン(直列6気筒、直噴、排気量12.2l)のバリエーションモデルであるNHHRTO-6-B1(出力335PS)を搭載していた。
  12. ^ 他方、小型自動車用渦流式高速小型ディーゼルエンジンとしては1969年にトヨタ・B型エンジンを搭載する車種(最初の搭載は3代目トヨタ・ダイナ)が発売されており、トヨタ・B型は本エンジンとほぼ同時期に開発されていたことになる。
  13. ^ 変速段では連続定格 (1,600rpm) を上回る回転数 (2,000rpm) での機関動作を強いられるため、特に山岳線などの勾配区間での長時間にわたる変速段使用は、機関本体に好ましくない結果をもたらした。
  14. ^ キハ90系では屋根上に2列設置された放熱器の間に空冷ファンを追加し、キハ181系では運転台付のキハ181形で屋根上の大型ファンによる強制通風式冷却器を発電用機関室の側面に搭載、また中間の動力車では屋根上の自然放熱式冷却器に加え、床下に強制通風式の補助冷却器を新製時より搭載していた。これは設計を担当した車両設計事務所の公式見解として「補助」冷却器であるとされたが、実際にはこちらの床下冷却器を常用し、本来の自然放熱式冷却器は冷却水温が70℃を超えた場合にのみ冷却水を循環させ補助的に使用する、という設計サイドの見解とはまったく正反対の運用形態となっていた。このことから、常用冷却器とするには配管経路が長大すぎ、発熱に対する即応性に欠ける自然放熱式冷却器が運用サイドから信頼されていなかったことが見て取れる。なお、キハ91形の量産車というべきキハ65形では自重軽減の必要もあり、床下に強制通風式冷却器を搭載するのみとしている。
  15. ^ 実質的にはデチューンであった。
  16. ^ この対策は姉妹機種であるDMF15系にも適用された。もっともキハ66・67系ではこれらは根本的な解決策とはならず、後半はオーバーヒートトラブルが頻発、冷却系に強制循環ポンプを付加するなどの対策が採られた末、製造後20年を前に新型直噴機関への機関換装・発熱量減少に伴う屋根上冷却器撤去という形で抜本的な解決が図られる結果となった。
  17. ^ 坂上茂樹は自著『鉄道車輌工業と自動車工業』で予燃焼室時代のDML30系機関がたどった圧縮比低下変更について「(ディーゼル機関の)高効率の根拠である高い圧縮比を低出力・軽過給機関においてここまで引き下げたやり口は自虐行為に等しい。だが、そうせざるをえないほどの熱的および機械的負荷が存在した……、つまり基本設計が出鱈目であった」「機関の信頼性を高めるためディレーティング(定格切下げ)を行なうだけなら高回転域での燃料供給を控えれば済む。健全な機関にこれほどまで圧縮比を落とす荒療治の必要など生じはしない」と厳しい批判を下し、DML30系・DMF15系がたどった経緯を、国鉄技術陣とその麾下の主力エンジンメーカー(新潟鐵工、振興造機、ダイハツディーゼル、池貝製作所。坂上はこれらを「国鉄ディーゼル一家」と称した)が閉鎖的な体制で「真っ当な開発能力を喪失していたことの証左」と評している。
  18. ^ DMH17系エンジンと比較すると、燃焼音(キンキン、カリカリ、バリバリ音)、排気音(ドコドコ音)共に大きい。
  19. ^ いずれも国鉄分割民営化期以降の実施。
  20. ^ オイルショックによる電化の急速な進展もあって、1970年代以降は気動車の新製需要が激減しており、大出力機関の新規開発コストに見合うメリットが得られなかった。このため、国鉄気動車用エンジンは、国鉄分割民営化直前のキハ37形新潟鐵工所製舶用機関を手直ししたDMF13Sを採用するまで、10年近くに渡って技術的停滞の中に留め置かれることとなった。
  21. ^ 一方で6気筒版のDMF15系は、騒音と燃費に関する改善がそれほど進まぬまま、12系14系客車用発電セットや40系気動車の動力などとして、その後も相応数が製造されている。
  22. ^ 名古屋鉄道での社内名称は「NTA-855-R1」
  23. ^ 定期運用の終了はキハ181系は2010年10月、キハ8500系は同年5月。
  24. ^ 自動進段時のキハ181系の変直切替速度は85km/hであり、急勾配の板谷峠や、速度制限区間の多い中央西線に置いて、エンジンに過剰な負荷がかかっていることは明白である。一方、最急勾配こそ25‰と小さいが、寺前駅より終点の和田山駅まで勾配が連続し、蒸気機関車やキハ80系時代には難所だった播但線では、駅間最大速度が95km/hと直結段に入れられるため、エンジンの負荷は少なかった。

出典[編集]

  1. ^ 直噴化された一部の後期モデルを除く。
  2. ^ 日本の自動車ディーゼルエンジンの基礎を築いた設計者 伊藤正男 P87
  3. ^ 燃料協会誌 48 巻(1969年), 6 号 6.燃焼機器・熱機関 P484
  4. ^ 燃料協会誌 45 巻(1966年), 5 号 昭和40年度における重要な燃料関係事項 P339
  5. ^ 燃料協会誌 47 巻(1968年), 5 号 6.燃焼機器・熱機関 PP441-442
  6. ^ “JR北の特急出火、原因は設計ミス”. 産経新聞. (2014年7月6日). https://web.archive.org/web/20140606181536/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140606/dst14060620450010-n1.htm 2014年7月7日閲覧。 
  7. ^ ディーゼル 1970 4 株式会社 交友社 発行 PP52-58
  8. ^ ディーゼル 1970 1 株式会社 交友社 発行 P100
  9. ^ a b [1] (PDF) - 運輸安全委員会(2015年04月23日付)、2021年1月13日閲覧。
  10. ^ [2] (PDF) - 運輸安全委員会(2015年04月23日付)、2019年12月19日閲覧。

参考文献[編集]

  • 岡田誠一・服部朗宏「石田 啓介氏に聞く 新系列気動車キハ181系のトラブルから学んだ車両開発の要」『鉄道ピクトリアル2008・8月号 No.806』電気車研究会、2008年、pp.10 - 23
  • 坂上茂樹「第10章 鉄道車輌の自動車化と自動車工業の行方」『鉄道車輌工業と自動車工業』(第1刷)日本経済評論社、2005年1月14日、pp. 184-185頁。ISBN 4-8188-1735-X