1984年の南海ホークス(1984ねんのなんかいホークス)では、1984年の南海ホークスにおける動向をまとめる。
このシーズンの南海ホークスは、穴吹義雄監督の2年目のシーズンである。
1960年代の黄金時代の輝きを取り戻すべくユニフォームはこの年から深緑となり、プルオーバー式を廃止してボタン式を復活。新ユニフォーム採用のチームは4月を首位と1ゲーム差の3位で終えると、6月まではAクラス争いに加わった。しかし、前年同様夏場に弱く7月後半から勝ったり負けたりの繰り返しで、8月に10連敗を記録するなど(10連敗中3試合で2桁失点)6勝16敗1分の借金10でAクラス争いから脱落。チームは西武に抜かれて5位に転落すると、そのまま全日程を終了した。投手陣は抑えの金城基泰が不調だったものの、先発陣はダブル山内(山内和宏・山内孝徳)の活躍に加えて畠山準や藤本修二がローテ入りするなど、明るい話題もあったが、チーム防御率4.89はリーグ5位。打撃陣では新外国人のジェフ・ドイルとクリス・ナイマンをはじめ、新井宏昌や門田博光もそれなりの成績を収め633得点はリーグ2位で、本塁打は159本でリーグ3位と健闘するも守備が粗く、近鉄とともにリーグ最下位の115失策を記録した。この年入団のナイマンが192cmと大柄だったのに対し、ドイルは20cm低い172cmと小柄だったため、凸凹コンビとしてファンに親しまれた。
チーム成績[編集]
レギュラーシーズン[編集]
1984年パシフィック・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 |
1位 | 近鉄 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- |
2位 | 阪急 | 0.5 | 近鉄 | 4.0 | 近鉄 | 7.0 | 近鉄 | 6.5 | ロッテ | 6.5 | ロッテ | 8.5 |
3位 | 南海 | 1.0 | 南海 | 6.5 | ロッテ | 7.5 | ロッテ | 7.0 | 近鉄 | 12.5 | 西武 | 14.5 |
4位 | 西武 | 2.0 | ロッテ | 8.5 | 南海 | 9.5 | 南海 | 11.5 | 西武 | 14.0 | 近鉄 | 16.5 |
5位 | ロッテ | 2.5 | 西武 | 9.0 | 西武 | 12.0 | 西武 | 13.0 | 南海 | 20.0 | 南海 | 21.0 |
6位 | 日本ハム | 3.0 | 日本ハム | 14.0 | 日本ハム | 15.0 | 日本ハム | 19.0 | 日本ハム | 25.0 | 日本ハム | 29.5 |
オールスターゲーム1984[編集]
できごと[編集]
選手・スタッフ[編集]
表彰選手[編集]
ドラフト[編集]
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1930年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |