1981年のスポーツ

1981年(昭和56年)のスポーツについて記述する。

できごと[編集]

総合競技大会[編集]

アイスホッケー[編集]

アメリカンフットボール[編集]

大相撲[編集]

競馬[編集]

ゴルフ[編集]

世界4大大会(男子)[編集]

日本[編集]

サッカー[編集]

自転車競技[編集]

トラックレース[編集]

ロードレース[編集]

テニス[編集]

グランドスラム[編集]

ボルグが全仏オープンで史上最多の6勝目を飾るが、ウィンブルドン選手権の決勝でマッケンローに敗れ、大会6連覇を逃す。全米オープンの男子決勝でもマッケンローがボルグを破る。結果として、この年の全仏オープンがボルグの最後の4大大会優勝となった(通算11勝)。全米女子シングルス優勝のオースチンは、ほどなくして背中の故障から“燃え尽き症候群”にかかって現役を引退する。ナブラチロワは1981年7月にアメリカ市民権を取得し、この年の全豪オープンからアメリカ国籍での優勝となる。

バスケットボール[編集]

バレーボール[編集]

ボクシング[編集]

  • 三原正がロッキー・フラットに判定勝ちで新王者に(世界ジュニアミドル級)。アメリカ・ロチェスターでのタイトル獲得だった。

野球[編集]

ラグビー[編集]

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 三河賢文. “日本人初!宮地静香選手がプロクリケット選手として海外リーグと契約”. New Road. ネットワークコミュニケーションズ. 2022年5月18日閲覧。
  2. ^ Shizuka Miyaji”. Cricinfo. 2022年5月18日閲覧。