1976年の大洋ホエールズ

1976年の大洋ホエールズ
成績
セントラル・リーグ6位
45勝78敗7分 勝率.366[1]
本拠地
都市 神奈川県川崎市
球場 川崎球場
球団組織
オーナー 中部謙吉
経営母体 大洋漁業
監督 秋山登
« 1975
1977 »

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1976年の大洋ホエールズ(1976ねんのたいようホエールズ)では、1976年の大洋ホエールズにおける動向をまとめる。

この年の大洋ホエールズは、秋山登監督の2年目のシーズンである。

概要[編集]

秋山監督1年目5位のチームはさらなる成績上昇を狙うべく、クリート・ボイヤーコーチの推薦で日本ハムゲーリー・ジェスタッド(ゲーリー)を獲得。投手陣も平松政次山下律夫間柴茂有杉山知隆などが控え、打撃陣でも中塚政幸松原誠長崎慶一などが健在で、チームは5年ぶりのAクラス入りが期待された。しかし、松原・長崎・ジョン・シピンといった破壊力抜群の打線は打ちまくるもリリーフ投手が打ちこまれるなど、投打のアンバランスが現れて開幕から最下位に転落。4月を借金8で終えたチームは5月以降の巻き返しが期待されたものの投手陣の崩壊はどうしようもなく、優勝の巨人に32ゲーム差、5位ヤクルトに8.5ゲーム差つけられて10年ぶりの最下位に沈んだ。カード別成績では5位ヤクルトに13勝11敗2分と勝ち越して全球団負け越しこそ免れるも、巨人には8勝18敗、2位の阪神にも8勝16敗2分と大きく負け越した。投手陣は平松・奥江英幸が13勝、11勝で2ケタ勝利をあげたものの、山下律夫が2勝、ローテ入りの根本隆渡辺秀武がわずか3勝に終わり、前年規定投球回到達の間柴が未勝利に終わるなどの誤算でチーム防御率は4.45のリーグ5位。打撃陣はリーグ2位の172本塁打を放つも得点が巨人と180点差の最下位に終わった。シーズン終了後秋山監督は辞任して二軍監督に降格となり、秋山監督の片腕だった藤田元司投手コーチも辞任。新監督には1972年まで監督だった別当薫が再び就任した。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 中塚政幸
2 山下大輔
3 長崎慶一
4 松原誠
5 福嶋久晃
6 江尻亮
7 ゲーリー
8 米田慶三郎
9 平松政次
1976年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 阪神 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 巨人 3.5 阪神 2.0 阪神 4.0 阪神 3.0 広島 8.5 阪神 3.5 阪神 2.0
3位 中日 6.0 広島 9.0 広島 9.0 広島 9.5 阪神 8.5 広島 15.5 広島 14.0
4位 ヤクルト 7.0 中日 11.5 中日 12.5 中日 14.5 中日 17.0 中日 19.0 中日 21.5
5位 広島 7.0 ヤクルト 14.0 ヤクルト 19.5 ヤクルト 19.0 ヤクルト 22.5 ヤクルト 23.0 ヤクルト 23.5
6位 大洋 9.5 大洋 19.5 大洋 23.0 大洋 28.0 大洋 32.5 大洋 34.0 大洋 37.0


1976年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 76 45 9 .628 優勝
2位 阪神タイガース 72 45 13 .615 2.0
3位 広島東洋カープ 61 58 11 .513 14.0
4位 中日ドラゴンズ 54 66 10 .450 21.5
5位 ヤクルトスワローズ 52 68 10 .433 23.5
6位 大洋ホエールズ 45 78 7 .366 32.0

[1]

オールスターゲーム1976[編集]

ファン投票 選出なし
監督推薦 奥江英幸 福嶋久晃 松原誠 中塚政幸
補充選手 平松政次
  • 取り消し線は出場辞退

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選出なし
ダイヤモンドグラブ賞
選手名 ポジション 回数
山下大輔 遊撃手 初受賞

ドラフト[編集]

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 斉藤明雄 投手 大阪商業大学 入団
2位 丸谷富美幸 投手 日南振徳商業高 拒否・新日本製鐵八幡入社
3位 山村陽一 投手 稲築高 拒否・国士舘大学進学
4位 坂本照彦 内野手 市立銚子高 拒否・駒澤大学進学
5位 安田尚弘 投手 報徳学園高 入団
6位 西連寺隆 投手 水城高 拒否・電電関東入社

出典[編集]