1968年ドイツグランプリ

西ドイツ 1968年ドイツグランプリ
レース詳細
1968年F1世界選手権全12戦の第8戦
ニュルブルクリンク北コース (1967–1972)
ニュルブルクリンク北コース (1967–1972)
日程 1968年8月4日
正式名称 XXX Großer Preis von Deutschland
XXVIII Grand Prix d'Europe
開催地 ニュルブルクリンク
西ドイツの旗 西ドイツ ニュルブルク
コース 恒久的レース施設
コース長 22.835 km (14.189 mi)
レース距離 14周 319.690 km (198.646 mi)
決勝日天候 雨/濃霧(ウエット)
ポールポジション
ドライバー フェラーリ
タイム 9:04.0
ファステストラップ
ドライバー イギリス ジャッキー・スチュワート マトラ-フォード
タイム 9:36.0 (8周目)
決勝順位
優勝 マトラ-フォード
2位 ロータス-フォード
3位 ブラバム-レプコ

1968年ドイツグランプリ (1968 German Grand Prix) は、1968年のF1世界選手権第8戦として、1968年8月4日ニュルブルクリンクで開催された。

28回目の「ヨーロッパグランプリ」の冠がかけられた[注 1]本レースは濃霧の中で行われ、ジャッキー・スチュワートは手首を骨折したまま走ったが、2位に4分以上の大差を付けて完勝した[1][2][3]

本レースは、ダン・ガーニーがF1で初めてフルフェイスヘルメットを着用したことでも注目に値するものであった[4]

背景[編集]

ブランズ・ハッチで行われた前戦イギリスGPジョー・シフェールが予想外な勝利を挙げた後、ニュルブルクリンクに舞台を移したが、顔ぶれはほとんど変わらなかった。天候も変わらず週末を通して雨が降り続き、5戦連続で雨の影響を受けた[5]

エントリー[編集]

この年はF2部門の混走はなかったが、BMWはF1での競争力を評価するため、ローラのF2マシンT102にBMWアッフェルベック直列4気筒エンジンを2リッター化し、フーベルト・ハーネ英語版がドライブする[5][6]

エントリーリスト[編集]

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
イギリスの旗 ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 1 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン M7A フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
2 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン
イギリスの旗 ゴールドリーフ・チーム・ロータス 3 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス 49B フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
21 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー
イギリスの旗 ブラバム・レーシング・オーガニゼーション 4 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム BT26 レプコ 860 3.0L V8 G
5 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント
イギリスの旗 マトラ・インターナショナル 6 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート マトラ MS10 フォードコスワース DFV 3.0L V8 D
日本の旗 ホンダ・レーシング 7 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ RA301 ホンダ RA301E 3.0L V12 F
イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 8 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン フェラーリ 312/68 フェラーリ 242C 3.0L V12 F
9 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス
イギリスの旗 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 10 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM P133 BRM P142 3.0L V12 G
11 イギリスの旗 リチャード・アトウッド P126
フランスの旗 マトラ・スポール 12 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ MS11 マトラ MS9 3.0L V12 D
アメリカ合衆国の旗 アングロ・アメリカン・レーサーズ 14 アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー イーグル T1G ウェスレイク 58 3.0L V12 G
スイスの旗 ヨアキム・ボニエ・レーシングチーム 15 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ 1 マクラーレン M5A BRM P142 3.0L V12 G
イギリスの旗 ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム 16 スイスの旗 ジョー・シフェール ロータス 49B フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
オーストラリアの旗 カルテックス・レーシングチーム 17 西ドイツの旗 クルト・アーレンス ブラバム BT24 レプコ 740 3.0L V8 D
西ドイツの旗 バイエリッシュ・モトーレン・ヴェルケ AG 18 西ドイツの旗 フーベルト・ハーネ ローラ T102 BMW M12/1 1.6L L4 D
イギリスの旗 クーパー・カー・カンパニー 19 ベルギーの旗 ルシアン・ビアンキ クーパー T86B BRM P142 3.0L V12 F
20 イギリスの旗 ビック・エルフォード
イギリスの旗 レグ・パーネル・レーシング 22 イギリスの旗 ピアス・カレッジ BRM P126 BRM P142 3.0L V12 G
スイスの旗 シャルル・ホーゲル・レーシング 23 スイスの旗 シルビオ・モーザー ブラバム BT20 レプコ 620 3.0L V8 G
ソース:[7]
追記
  • ^1 - エントリーのみ[8]

練習走行・予選[編集]

BMWの2Lエンジンを搭載したローラ・T102をドライブするフーベルト・ハーネ(練習走行にて)

土曜日のコンディションは非常に悪く、視界はわずか10ヤード (9.1 m)に過ぎなかったため、レース主催者は日曜日の朝に練習走行の追加を予定していた。まだ午前中のセッションで多くのドライバーがコースアウトを喫した[2]

最終的にフェラーリジャッキー・イクスがチームメイトで2位のクリス・エイモンに10秒差を付けてポールポジションを獲得し[5]マトラ・MS10を駆るジャッキー・スチュワートは6番手となった[5]。イクスは23歳216日で当時のF1史上最年少ポールシッターとなり、14年後の1982年アメリカ西グランプリアンドレア・デ・チェザリスが22歳308日に更新するまで、記録を保持し続けた。

予選結果[編集]

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 9 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 09:04.0 - 1
2 8 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン フェラーリ 09:14.9 +10.9 2
3 5 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ブラバム-レプコ 09:31.9 +27.9 3
4 3 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード 09:46.0 +42.0 4
5 20 イギリスの旗 ビック・エルフォード クーパー-BRM 09:53.0 +49.0 5
6 6 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート マトラ-フォード 09:54.2 +50.2 6
7 7 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ 09:57.8 +53.8 7
8 22 イギリスの旗 ピアス・カレッジ BRM 10:00.1 +56.1 8
9 16 スイスの旗 ジョー・シフェール ロータス-フォード 10:03.4 +59.4 9
10 14 アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク 10:13.9 +1:09.9 10
11 1 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 10:16.0 +1:12.0 11
12 12 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 10:17.3 +1:13.3 12
13 21 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー ロータス-フォード 10:18.7 +1:14.7 13
14 10 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM 10:19.7 +1:15.7 14
15 4 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 10:23.1 +1:19.1 15
16 2 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 10:33.0 +1:29.0 16
17 17 西ドイツの旗 クルト・アーレンス ブラバム-レプコ 10:37.3 +1:33.3 17
18 18 西ドイツの旗 フーベルト・ハーネ ローラ-BMW 10:42.9 +1:38.9 18
19 19 ベルギーの旗 ルシアン・ビアンキ クーパー-BRM 10:46.6 +1:42.6 19
20 11 イギリスの旗 リチャード・アトウッド BRM 10:48.2 +1:44.2 20
DNS 23 スイスの旗 シルビオ・モーザー ブラバム-レプコ No Time - DNS 1
ソース:[9][10]
追記
  • ^1 - モーザーはオイルポンプの故障により予選に出場せず[8][11]

決勝[編集]

マトラ・MS10で優勝したジャッキー・スチュワート
ジョン・サーティースがドライブするホンダ・RA301

日曜日の午後もコンディションは悪いままだったが、20万人の観衆が詰めかけた[2]。レースはスコットランド人のジャッキー・スチュワートの独壇場となった[5]

展開[編集]

あまりの悪天候のため、スタートは2度にわたり延期された。スチュワートは中止を求めていたドライバーの1人であった。確実に悪化していくコンディションの中[12]、レース主催者は1時間遅れでレースの強行を決めた[13]

雨と霧の中をスターティンググリッドに着いた各車に対し、スターターからエンジン始動の合図が送られ、全車エンジンを始動させたが、ジャック・ブラバムはエンジンを止めてタイヤ交換を行い、さらにスタートは遅れた。ブラバム以外の各車はいつスタートになるかわからず、エンジンを始動させたまま待機した。ジョン・サーティースホンダ・RA301は、始動から6分でオーバーヒートして水蒸気を上げてしまい、ジョー・シフェールクリス・エイモンも白煙を上げ始める。それにもかかわらず、スターターはエンジン停止の合図をしなかった[14]

エンジン始動の合図から8分42秒後にようやくレースがスタートし[14]グラハム・ヒルが首位を奪ったが、1周目が終わるまでにスチュワートは首位に立ち、9秒のリードを築いた。スチュワートは優れたダンロップのウエットタイヤが大きな効果を発揮し、2周目の終わりまでにリードを34秒に広げた。14周後にレースが終了したとき、スチュワートは2位のヒルに4分以上の差を付けていた[5]。ヒルは11周目にスピンを喫したが、マシンを降りて正しい方向に押し、3位のヨッヘン・リントが追いつく前にコースへ復帰することができた[5]。エイモンはヒルと同じ周にスピンアウトを喫してリタイアするまで、ヒルと11周の間2位を争った[2]。サーティースは1周目の半ばで4位まで浮上したが、急激にパワーを失ってピットインした。レース開始前にエンジンをオーバーヒートさせた影響で12リットルの冷却水はほとんど空になり、冷却水を補給してピットアウトしたが既にエンジンはガタガタになっていて、まもなくリタイアせざるを得なかった[14]

反応[編集]

スチュワートは自伝で「歯を食いしばって戦った」[15]とレースについて記した。1周目について:

視界が非常に悪かったので、目の前にクリス(・エイモン)のマシンさえ見えなかった。(中略)私はただ、この巨大なスプレーの壁に走っているだけだった。私は彼をオーバーテイクしたが、スプレーが濃くて目が見えないままドライブした。 — ジャッキー・スチュワート、Winning Is Not Enough

本レースはスチュワートの史上最高のドライブと評されたが、後に自身も同じように感じたことを認めた[16]

レース結果[編集]

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 6 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート マトラ-フォード 14 2:19:03.2 6 9
2 3 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード 14 +4:03.2 4 6
3 5 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ブラバム-レプコ 14 +4:09.4 3 4
4 9 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 14 +5:55.2 1 3
5 4 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 14 +6:21.1 15 2
6 10 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM 14 +6:25.0 14 1
7 1 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 14 +6:31.0 11
8 22 イギリスの旗 ピアス・カレッジ BRM 14 +7:56.4 8
9 14 アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク 14 +8:13.7 10
10 18 西ドイツの旗 フーベルト・ハーネ ローラ-BMW 14 +10:11.4 18
11 21 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー ロータス-フォード 13 +1 Lap 13
12 17 西ドイツの旗 クルト・アーレンス ブラバム-レプコ 13 +1 Lap 17
13 2 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 13 +1 Lap 16
14 11 イギリスの旗 リチャード・アトウッド BRM 13 +1 Lap 20
Ret 8 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン フェラーリ 11 アクシデント 2
Ret 12 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 8 アクシデント 12
Ret 16 スイスの旗 ジョー・シフェール ロータス-フォード 6 イグニッション 9
Ret 19 ベルギーの旗 ルシアン・ビアンキ クーパー-BRM 6 燃料漏れ 19
Ret 7 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ 3 イグニッション 7
Ret 20 イギリスの旗 ビック・エルフォード クーパー-BRM 0 アクシデント 5
DNS 23 スイスの旗 シルビオ・モーザー ブラバム-レプコ オイルポンプ
ソース: [17][18]
ファステストラップ[19]
ラップリーダー[20]

第8戦終了時点のランキング[編集]

  • : トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 当時は毎年各国の持ち回りにより、その年の最も権威のあるレースに対して「ヨーロッパGP」の冠がかけられていた。

出典[編集]

  1. ^ (林信次 1995, p. 59)
  2. ^ a b c d Masterful Stewart tames treacherous Nurburgring”. espnf1.com. 2015年2月5日閲覧。
  3. ^ GRAND PRIX CLASSICS”. dailymail.co.uk. 2015年2月5日閲覧。
  4. ^ Eagle Eye: The Eagle Gurney-Weslake F1 Effort”. Allamericanracers.com. 2012年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月9日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g GRAND PRIX RESULTS: GERMAN GP, 1968”. grandprix.com. 2015年2月5日閲覧。
  6. ^ (林信次 1995, p. 73)
  7. ^ Germany 1968 - Race entrants”. STATS F1. 2019年9月24日閲覧。
  8. ^ a b Germany 1968 - Result”. STATS F1. 2019年9月24日閲覧。
  9. ^ Germany 1968 - Qualifications”. STATS F1. 2019年9月22日閲覧。
  10. ^ Germany 1968 - Starting grid”. STATS F1. 2019年9月22日閲覧。
  11. ^ 1968 German GP - Qualification”. ChicaneF1. 2019年9月24日閲覧。
  12. ^ トップ10:ウエットレース”. ESPN F1 (2010年12月8日). 2019年9月22日閲覧。
  13. ^ (中村良夫 1998, p. 260)
  14. ^ a b c (中村良夫 1998, p. 261)
  15. ^ ジャッキー・スチュワート”. ESPN F1. 2019年9月22日閲覧。
  16. ^ Dougall, Angus (2013). The Greatest Racing Driver: The Life and Times of Great Drivers. Bloomington, IN: BalboaPressAU. p. 85. ISBN 978-1452510965. https://books.google.de/books?id=u8BKAgAAQBAJ&printsec=frontcover&dq=The+Greatest+Racing+Driver:+The+Life+and+Times+of+Great+Drivers&hl=en&sa=X&ei=z5HTVISTLoGwUd_qgogL&ved=0CCIQ6AEwAA#v=onepage&q=The%20Greatest%20Racing%20Driver%3A%20The%20Life%20and%20Times%20of%20Great%20Drivers&f=false 2015年2月5日閲覧。 
  17. ^ 1968 German Grand Prix”. formula1.com. 2015年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月26日閲覧。
  18. ^ GRAND PRIX RESULTS: GERMAN GP, 1968”. grandprix.com. 2016年2月5日閲覧。
  19. ^ Germany 1968 - Best laps”. STATS F1. 2019年9月22日閲覧。
  20. ^ Germany 1968 - Laps led”. STATS F1. 2019年9月22日閲覧。
  21. ^ a b Germany 1968 - Championship”. STATS F1. 2019年3月18日閲覧。

参照文献[編集]

外部リンク[編集]

前戦
1968年イギリスグランプリ
FIA F1世界選手権
1968年シーズン
次戦
1968年イタリアグランプリ
前回開催
1967年ドイツグランプリ
西ドイツの旗 ドイツグランプリ 次回開催
1969年ドイツグランプリ
前回開催
1967年イタリアグランプリ
欧州連合の旗 ヨーロッパグランプリ
(冠大会時代)
次回開催
1972年イギリスグランプリ