1956年4月自由民主党総裁選挙

1956年4月自由民主党総裁選挙

1956年4月5日
→ 1956年12月

選挙制度 決選投票制
有権者数 党所属衆議院議員:(不明)
党所属参議院議員:(不明)
地方代議員票  :92
合計      :(不明)

 
候補者 鳩山一郎 岸信介 林譲治
投票 394 4 3




選挙前総裁

(不在)※代行委員

選出総裁

鳩山一郎

1956年4月自由民主党総裁選挙(1956ねんじゆうみんしゅとうそうさいせんきょ)は、1956年(昭和31年)4月5日に行われた日本自由民主党党首である総裁選挙である。

概要[編集]

1955年(昭和30年)11月の結党以来、初めて実施された総裁選挙である(結党当初は鳩山一郎緒方竹虎三木武吉大野伴睦の4人による総裁代行委員制)。

旧民主党総裁で内閣総理大臣の鳩山の初代総裁が予想されていたが、旧民主党が「反吉田茂」の寄り合い所帯で「親鳩山」でまとまっていたわけでなく、旧自由党総裁の緒方に票が流れる可能性があった。しかし、緒方が1月28日に心臓衰弱で急逝したため、反鳩山で結束できる候補が不在となり鳩山の初代総裁が確実となった。

選挙データ[編集]

総裁[編集]

投票日[編集]

  • 1956年(昭和31年)4月5日
第2回臨時党大会にて実施。

選挙制度[編集]

総裁公選規程に基づく公選。
投票方法
秘密投票、単記投票、1票制
選挙権
党所属国会議員、党都道府県支部連合会地方代議員[注 1][注 2][1]
被選挙権
党所属国会議員
有権者
(不明)
  • 党所属衆議院議員:(不明)
  • 党所属参議院議員:(不明)
  • 地方代議員   :092[2]

選挙活動[編集]

候補者[編集]

立候補制ではなかったものの、現職の内閣総理大臣である鳩山への信任投票の意味合いが強かった。

鳩山一郎
衆議院議員
(14期・東京1区
内閣総理大臣(1954-現職)
党総裁代行委員(1955-現職)
東京府

選挙結果[編集]

自民党の主要派閥のうち、鳩山一郎派、岸信介派、大野伴睦派、旧緒方竹虎派は首相の鳩山を支持することを決定した。一方、鳩山に反発する池田勇人を中心とした旧自由党吉田茂派や旧緒方派の一部は白票の対応とした[3]

第1回総裁選から1972年(昭和47年)の第12回総裁選までは立候補制ではなかったため、自民党所属の国会議員への票はすべて有効票として扱われた。

候補者別得票数[編集]

e • d  1956年4月自由民主党総裁選挙 1956年(昭和31年)4月5日施行
候補者 得票数 得票率
鳩山一郎 394 95.40%
岸信介 4 0.97%
林譲治 3 0.73%
石橋湛山 2 0.48%
石井光次郎 2 0.48%
益谷秀次 2 0.48%
大野伴睦 2 0.48%
河野一郎 1 0.24%
重光葵 1 0.24%
松野鶴平 1 0.24%
池田勇人 1 0.24%
総計 413 100.0%
有効投票数(有効率) 413 84.46%
無効票・白票数(無効率) 76 15.54%
投票者数(投票率) 489 %
棄権者数(棄権率) ' %
有権者数 ' 100.0%
出典:朝日新聞

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 各都道府県支部連合会に2票ずつ。
  2. ^ 米軍統治下の沖縄県の代議員は選出されてない。

出典[編集]

  1. ^ 上神貴佳「党首選出過程の民主化:自民党と民主党の比較検討」『年報政治学』第59巻第1号、日本政治学会、2008年6月、1_220-1_240、ISSN 054941922023年2月14日閲覧 
  2. ^ 「鳩山初代総裁 実現へ」『北國新聞』、1951年4月5日。2022年8月6日閲覧。
  3. ^ 「鳩山初代総裁 実現へ」『読売新聞』、1951年4月5日。2022年8月6日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]