1909年のメジャーリーグベースボール

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以下は、メジャーリーグベースボール(MLB)における1909年のできごとを記す。1909年4月12日に開幕し10月16日に全日程を終え、ナショナルリーグピッツバーグ・パイレーツが6年ぶり4度目のリーグ優勝で、アメリカンリーグデトロイト・タイガースが3年連続3度目のリーグ優勝であった。

ワールドシリーズはピッツバーグ・パイレーツがデトロイト・タイガースを4勝3敗で破り、シリーズを初制覇した。

また個人記録でデトロイト・タイガースのタイ・カッブが三冠王とともにMLB史上唯一の打撃全タイトル制覇を達成している。

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できごと[編集]

アメリカンリーグは、ヒューイー・ジェニングス監督が指揮するタイガースがタイ・カッブサム・クロフォードを擁して依然強く、しかもこの年に20勝以上の投手はリーグでわずか3人で、そのうち2人がミュリン(29勝)とウイルバート(22勝)で、タイガースの両エースであった。コニー・マック監督のアスレチックスは善戦したが2位までだった。

一方ナショナルリーグは、前年まで3連覇したシカゴ・カブスとニューヨーク・ジャイアンツがもたつく間にピッツバーグ・パイレーツが5月5日に首位に立って以降、一度も2位以下に落ちることなく、6年ぶりの優勝であった。選手兼監督のフレッド・クラークや新人のドック・ミラー二塁手が活躍したが、やはり主砲のホーナス・ワグナーの存在が大きかった。

ワールドシリーズは、パイレーツとタイガースは勝ったり負けたりで、最終戦まで持ち込まれたが、パイレーツの控え投手であったベーブ・アダムスがこのシリーズで大活躍し、クリスティー・マシューソン以来のシリーズ3勝をあげ、最終戦を完封勝利した。タイガースは最後は力尽き、0-8で敗れ、カッブは打率.222とパイレーツに抑え込まれ、快足も活かせず2盗塁に終わった。

  • 4連覇ならなかったシカゴ・カブスのモーデカイ・ブラウンは、この年に最多勝27勝を記録し、投球回数が自己最多の342イニングで、完投32も自己最多でリーグ最多でもあった。

ホーナス・ワグナーとタイ・カッブ[編集]

タイガースのタイ・カッブはこの年に打率.377、本塁打9、打点107、盗塁76を記録し、3年連続の首位打者、打点王、最多安打に加え、本塁打王、盗塁王を獲得。今日でいう三冠王となった。現在に至るまで唯一の打撃全タイトル制覇(当時はタイトルでなかったものを含む)を達成。さらに得点数、塁打数、出塁率、長打率、OPSを含め合計10部門でリーグトップであり、得点以外はMLB全体でもトップとなった。

パイレーツのホーナス・ワグナー遊撃手も4年連続で7回目の首位打者と打点王を獲得し、最高出塁率・長打率1位でもあり、パイレーツの6年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。そしてワールドシリーズではアメリカンリーグで三冠王となったタイ・カッブ擁するリーグ3連覇中のデトロイト・タイガースとの対戦になり、ナショナルリーグのホーナス・ワグナーとアメリカンリーグのタイ・カッブの対決は大いに注目を集めた。結果はワグナーは24打数8安打で打率.333、6打点、ワールドシリーズ新記録となる6盗塁を記録(第3戦で二盗・三盗・本盗を成功させている)し、パイレーツ初の世界一に大きく貢献した。この年にワグナーの年俸は1万ドルとなったが彼はその後増額を希望しなかったという。

規則の改訂[編集]

1909年に起きたことでベースボールにとって最も大きな出来事は、ボールの芯がそれまでのゴムからコルクに変わったことである。このためにボールに強い弾力が加わり、ベースボールがこれを契機に守備の競技から打撃の競技に変わり、そして10年後のベーブ・ルースによって野球の黄金時代を到来させるに至ったことである。

  • 暴投、もしくはパスボールで打者が一塁に到達した場合、投手または捕手のいずれかにエラーをつけるようになった。
  • 第3ストライクでのバント失敗は三振とし、捕手に刺殺を記録するようになった。
  • ダブルスチールを試みていずれかの走者がアウトになった場合、二人の走者いずれにも盗塁を記録しないようになった。

その他[編集]

それまでファンサービスの面で改良と進歩が見られた。

  • 試合の始まる10分前までに試合の当事者は当日の先発メンバー及びラインナップを審判に提出しなければならない。
  • 選手交代を必ず観客に報告する義務を審判員に負わせた。そして選手の交代は審判員に必ず通告した後でなければならず、交代は許可されない。
  • この年のワールドシリーズから審判4人制をとるようになった。

最終成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

アメリカンリーグ[編集]

チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 デトロイト・タイガース 98 54 .645 --
2 フィラデルフィア・アスレチックス 95 58 .621 3.5
3 ボストン・レッドソックス 88 63 .583 9.5
4 シカゴ・ホワイトソックス 78 74 .513 20.0
5 ニューヨーク・ハイランダース 74 77 .490 23.5
6 クリーブランド・ナップス 71 82 .464 27.5
7 セントルイス・ブラウンズ 61 89 .407 36.0
8 ワシントン・セネタース 42 110 .276 56.0

ナショナルリーグ[編集]

チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 ピッツバーグ・パイレーツ 110 42 .724 --
2 シカゴ・カブス 104 49 .680 6.5
3 ニューヨーク・ジャイアンツ 92 61 .601 18.5
4 シンシナティ・レッズ 77 76 .503 33.5
5 フィラデルフィア・フィリーズ 74 79 .484 36.5
6 ブルックリン・スーパーバス 55 98 .359 55.5
7 セントルイス・カージナルス 54 98 .355 56.0
8 ボストン・ダブズ 45 108 .294 65.5

ワールドシリーズ[編集]

  • パイレーツ 4 - 3 タイガース
10/ 8 – タイガース 1 - 4 パイレーツ
10/ 9 – タイガース 7 - 2 パイレーツ
10/10 – パイレーツ 8 - 6 タイガース
10/11 – パイレーツ 0 - 5 タイガース
10/12 – タイガース 4 - 8 パイレーツ
10/13 – パイレーツ 4 - 5 タイガース
10/16 – パイレーツ 8 - 0 タイガース

個人タイトル[編集]

アメリカンリーグ[編集]

打者成績[編集]

項目 選手 記録
打率 タイ・カッブ (DET) .377
本塁打 タイ・カッブ (DET) 9
打点 タイ・カッブ (DET) 107
得点 タイ・カッブ (DET) 116
安打 タイ・カッブ (DET) 216
盗塁 タイ・カッブ (DET) 76

投手成績[編集]

項目 選手 記録
勝利 ジョージ・マリン (DET) 29
敗戦 ボブ・グルーム (WS1) 26
防御率 ハリー・クラウス (PHA) 1.39
奪三振 フランク・スミス (CWS) 177
投球回 フランク・スミス (CWS) 365
セーブ フランク・アーレインズ (BOS) 8

ナショナルリーグ[編集]

打者成績[編集]

項目 選手 記録
打率 ホーナス・ワグナー (PIT) .339
本塁打 レッド・マレー (NYG) 7
打点 ホーナス・ワグナー (PIT) 100
得点 トミー・リーチ (PIT) 126
安打 ラリー・ドイル (NYG) 172
盗塁 ボブ・ベッシャー (CIN) 54

投手成績[編集]

項目 選手 記録
勝利 モーデカイ・ブラウン (CHC) 27
敗戦 ジョージ・ファーガソン (BSN) 23
防御率 クリスティ・マシューソン (NYG) 1.14
奪三振 オーバル・オーバラル (CHC) 205
投球回 モーデカイ・ブラウン (CHC) 342⅔
セーブ モーデカイ・ブラウン (CHC) 7

出典[編集]

  • 『アメリカ・プロ野球史』≪第2章 二大リーグの対立≫ 77-78P参照  鈴木武樹 著  1971年9月発行  三一書房
  • 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪1909年≫ 48P参照 週刊ベースボール 1978年6月25日増刊号 ベースボールマガジン社
  • 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪モデカイ・ブラウン≫49P参照 
  • 『オールタイム 大リーグ名選手 101人』132-133P参照 「ホーナス・ワグナー」 1997年10月発行 日本スポーツ出版社 
  • 『オールタイム 大リーグ名選手 101人』158-159P参照 「タイ・カッブ」
  • 『メジャーリーグ ワールドシリーズ伝説』 1905-2000  87P参照 上田龍 著  2001年10月発行 ベースボールマガジン社

外部リンク[編集]