黄色靭帯骨化症

黄色靭帯骨化症(おうしょくじんたいこっかしょう、: ossification of the yellow ligament;OYL)は、特定疾患である脊椎靭帯骨化症の一種であり、脊椎の後方にある椎弓をつなぐ黄色靭帯が厚くなり骨化することにより次第に靭帯が圧迫される疾病。原因は特定されておらず、難病に指定されている。

症状[編集]

骨化した黄色靭帯が脊髄を圧迫することにより、下肢のしびれ、脱力などの症状が発生し、ひどい場合には両下肢麻痺などの症状をきたすこともある[1]。また、間欠性跛行が生じることもある。

検査[編集]

治療[編集]

原因が不明であるため、経過が予測できないことから消炎鎮痛剤などを投与して経過を観察する。痛みが強い場合には硬膜外ブロック注射を行うこともある。

また、経過観察中に進行が見られる場合、神経症状が強い場合には骨化巣を取り除く手術を行う場合もあるが、脊椎の一部を切除することから不安定になりボルトで補強する必要がある[1]

対策として脊椎に直径1cm程度の穴を開け、CTの3次元画像を参照しながら差し込んだ器具の位置を赤外線で把握することで骨化巣のみを取り除く「マイクロウインドウ骨化切除術」が最小侵襲脊椎治療学会のグループにより2022年に実施された[1]。この手法は世界初の事例でもあったため、スイスの学術誌にも掲載され三嶋一輝が対象だったことから「MISHIMA手術」と命名された[1]

著名な発症者[編集]

現役時代に発症したスポーツ選手
  • 酒井勉 - 野球選手(投手)。現役時代の1993年に、この病気を発症したことから手術。リハビリに専念する目的で、シーズン終了後には、オリックス球団との間でNPB史上初の複数年契約(3年契約)を結んだ。しかし、一軍への復帰を果たせないまま、1996年の契約期間満了を機に引退。
  • 宮本大輔 - 野球選手(投手)。2006年に発症、手術とリハビリで2年以上のブランクを経た後に、2008年7月に一軍へ復帰(公式戦2試合に登板)、翌2009年限りで引退[2]
  • 志賀賢太郎 - プロレスラー。この病気によって長期休養を余儀なくされたが、克服してリングに復帰。
  • 越智大祐 - 野球選手(投手)。2012年シーズンの開幕直後にこの病気を発症していることが判明したため、シーズン中の6月に手術を受けた[3]。リハビリを経て、2013年末から実戦に復帰したが一軍への復帰を果たすことなく、2014年に引退を余儀なくされた。
  • 井坂亮平 - 野球選手(投手)。2012年の春先から左脚に違和感を覚え、次第に脚が上がらなくなるほどに症状が悪化。シーズン終盤の10月にこの病気の症状だったことが判明し同年12月に手術を受け育成契約になり、翌2013年終盤の9月の二軍戦に復帰したものの、支配下登録までは復帰を果たせず、2014年引退[4]
  • 大隣憲司 - 野球選手(投手)。2013年シーズンの開幕直後にこの病気を発症していることが判明したため、シーズン中に手術を受けた[5]。リハビリを経て、同年末から実戦に復帰。翌2014年7月に一軍に復帰し7月27日のオリックス戦で422日ぶりに復帰後初勝利。国指定の難病を乗り越え勝利を手にしたのはプロ野球史上初めてだった。その後引退までに9勝を挙げた。2018年引退。
  • 琴国晃将 - 大相撲力士。この病気により手術を行い、土俵に立てるまでは回復したが、結局引退に追い込まれた。
  • 花城直 - アマチュア野球選手(投手)。2014年1月、亜細亜大学在学中にこの病気にかかり、手術を行い成功した[6]。卒業後西部ガスに入社、同社硬式野球部でプレー[7]。2020年引退[8]
  • 徳山武陽 - 野球選手(投手)。2016年シーズン中の9月に左太腿の内側にしびれを覚え、その後の精密検査で判明、11月22日に手術を行いリハビリでの全治を目指したが[9]2017年限りで引退した。
  • 舛ノ山大晴 - 大相撲力士。2018年に発症が判明、同年6月に手術を受け、9月に復帰[10][11]したが、その後再び休場が続き、2021年5月場所をもって引退した。
  • 南昌輝 ‐ 野球選手(投手)。2018年に発症し、手術を行った[12]2019年8月15日に一軍復帰登板を果たした。2021年限りで引退。
  • 大藏彰人 - 野球選手(投手)。2019年3月に発症が判明、手術を受けた[13]2020年限りで引退した。
  • 三嶋一輝 - 野球選手(投手)。2022年8月に手術を公表[14]。手術直前は下半身の痺れで歩行困難になるほど病状が悪化していたが、術後の経過は非常に良く、2023年4月9日には1軍復帰登板を果たしている[15]。前述のように三嶋が初となった新たな手術法は「MISHIMA手術」と命名された[1]
  • 福敬登 - 野球選手(投手)。2022年10月に手術を公表[16]。三嶋と同様に術後の経過が良く、2023年5月5日に1軍復帰登板[17]
  • 谷岡竜平 - 野球選手(投手)。2023年10月に手術を公表[18]
  • 岩下大輝 - 野球選手(投手)。2023年10月に手術を公表[19]
  • コマンド・ボリショイ - 女子プロレスラー。2011年に発症が判明、その後症状の悪化により2019年4月21日の後楽園ホール大会をもって引退した。引退後は所属していたPURE-J女子プロレスの団体運営会社である株式会社PURE DREAM代表取締役社長に就任。
現役引退後に発症したスポーツ選手
その他現役時代に発症した人物

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 日本放送協会 (2023年7月16日). “DeNA三嶋投手が受けた国指定難病の手術「MISHIMA手術」と命名 | NHK”. NHKニュース. 2023年7月16日閲覧。
  2. ^ ソフトB大隣復活星に宮本大輔さんも祝福日刊スポーツ 2014年7月28日掲載
  3. ^ 巨人軍投手 越智大祐さん黄色靱帯骨化症(3)手術後 骨に壮絶な痛み読売新聞 2013年3月28日掲載
  4. ^ 楽天井坂、難病経験も「プラス」に就活中日刊スポーツ 2015年1月4日掲載
  5. ^ 【ソフトB】大隣手術は無事に終了日刊スポーツ 2013年6月21日掲載
  6. ^ 亜大・花城直選手、難病「黄色靭帯骨化症」の手術成功”. nikkansports.com (2014年5月24日). 2016年5月21日閲覧。
  7. ^ 西部ガス 都市対抗2年連続切符 難病乗り越え花城が力投スポニチアネックス 2016年6月10日 同日閲覧
  8. ^ 2020年引退者のお知らせ”. 西部ガス. 2021年10月18日閲覧。
  9. ^ ヤクルト徳山、大隣助言を力に難病克服3月復帰誓う日刊スポーツ 2016年12月17日掲載
  10. ^ 難病患っても「頑張っていれば、いいことがある」舛乃山が目指す“照ノ富士超え”序ノ口からの復活劇中日スポーツ 2020年8月21日
  11. ^ 相撲 2018年11月号 82ページ ベースボール・マガジン社
  12. ^ 【ロッテ】南、難病で手術 復帰まで半年以上スポーツ報知 2018年8月19日掲載
  13. ^ 中日の育成・大蔵がナゴヤドームで“初登板”難病から回復、初のシート打撃に「楽しかった」スポーツニッポン 2019年8月13日掲載
  14. ^ DeNA・三嶋が胸椎黄色靭帯骨化切除術「もっと強くなって帰ってきます」 | BASEBALL KING”. BASEBALL KING. 2022年8月30日閲覧。
  15. ^ 「福投手もきっと大丈夫」DeNA三嶋一輝は同じ難病に苦しむ“闘病仲間”の名をボールに記した…本人が明かす「本当はヒーローインタビューで言いたかったんですけど…」(石塚隆)”. Number Web - ナンバー. 2023年5月21日閲覧。
  16. ^ 【中日】福敬登が手術 国指定の難病「黄色靱帯骨化症」で - 中日スポーツ 2022年10月25日
  17. ^ ボールに書かれた「きっと大丈夫」と「もう大丈夫」の意味 難病から帰ってきたDeNA・三嶋一輝と中日・福敬登の知られざるエピソード - 記事詳細|Infoseekニュース”. Infoseekニュース. 2023年5月21日閲覧。
  18. ^ 【巨人】育成右腕・谷岡竜平が黄色靭帯(じんたい)骨化症で手術 国指定の難病 - スポーツ報知 2023年10月3日
  19. ^ 【ロッテ】岩下大輝が胸椎黄色靱帯骨化症で手術 約1週間入院後リハビリへ - スポーツ報知 2023年10月4日
  20. ^ 楽天星野監督、難病でシーズン中にも手術日刊スポーツ 2014年5月28日掲載
  21. ^ 木村健悟氏、星野監督と同じ故障で手術デイリースポーツ 2014年9月18日掲載
  22. ^ 『吸血鬼すぐ死ぬ』作者、難病であることを明らかに 胸椎黄色靱帯骨化症で「数ヶ月前から背中がハゲるかってくらい痛み続けてあちこち検査」”. ねとらぼ. ITmedia (2023年10月25日). 2024年1月22日閲覧。

関連項目[編集]

リンク[編集]

黄色靭帯骨化症 特定疾患情報 - 難病情報センター