鹿室

鹿室
鹿室地区のコスモス(2014年11月)
鹿室地区のコスモス(2014年11月)
■鹿室の位置(埼玉県内)
■鹿室
鹿室
鹿室の位置
北緯35度59分33.81秒 東経139度41分51.78秒 / 北緯35.9927250度 東経139.6977167度 / 35.9927250; 139.6977167
日本の旗 日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
岩槻区
人口
2017年平成29年)10月1日時点)[1]
 • 合計 1,201人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
339-0001[2]
市外局番 048[3]
ナンバープレート 大宮

鹿室(かなむろ)は、埼玉県さいたま市岩槻区大字郵便番号は339-0001[2]。さいたま市の難読地名の一つに数えられる[4]

地理[編集]

さいたま市岩槻区およびさいたま市最北端の大宮台地(慈恩寺支台)上に位置する。東部の低地はかつての黒沼である。地内を黒沼用水が流れ、その支流の豊春用水がかつての黒沼の縁に沿うように流れる。最寄りの東武野田線(東武アーバンパークライン)東岩槻駅からは3 km程度離れている。住宅は日光御成街道沿いに集まり、北海製缶や曙ブレーキなどの大きな工場が西部に集まる。東北自動車道蓮田スマートインターチェンジまではそう遠くない立地である。鹿室地区で毎年秋季にはコスモスまつりが開催される[5]

歴史[編集]

もとは江戸期より存在した武蔵国埼玉郡岩槻領に属する鹿室村であった[6]。このあたり一帯は中世末期頃より見出せる太田荘(おおたのしょう)の箕輪郷(みのわごう)に属していたと云われている[7]。村高は正保年間の『武蔵国田園簿』では163余(田14石余、畑148石余)、『元禄郷帳』では171石余、『天保郷帳』では282石余であった。化政期の世帯数は60軒余で、村の規模は東西10、南北12町余であった[6][7]。持添新田の日川新田を領していた[7]

世帯数と人口[編集]

2017年平成29年)10月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
大字鹿室 549世帯 1,201人

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[10]

区域 小学校 中学校
全域 さいたま市立慈恩寺小学校 さいたま市立慈恩寺中学校

交通[編集]

鉄道[編集]

道路[編集]

施設[編集]

  • さいたま市立鹿室南集会所(同和教育集会所
  • 鹿室自治会館
  • 鹿室めぐみ保育園
  • 宝国寺 - 永正年間創設[6]
  • 宝国幼稚園
  • 城址岩槻霊園
  • 白山神社
  • 和泉三社明神
  • 鹿室土地改良区こども広場 - 真下を水路トンネルで新堀排水路が流れる。

脚注[編集]

  1. ^ a b さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年10月5日). 2017年10月5日閲覧。
  2. ^ a b 埼玉県 さいたま市岩槻区 鹿室の郵便番号 - 日本郵便”. www.post.japanpost.jp. 2021年8月27日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. ^ さいたま来ぶらり通信 第20号” (PDF). さいたま市役所. pp. 1-2 (2012年11月15日). 2019年10月19日閲覧。
  5. ^ 2019 コスモスまつりのお知らせ”. さいたま市 (2019年10月18日). 2019年10月19日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』238頁。
  7. ^ a b c d 新編武蔵風土記稿 鹿室村.
  8. ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
  9. ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1429頁。
  10. ^ さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。

参考文献[編集]

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104 
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 「鹿室村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ201埼玉郡ノ3、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764007/85 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]