鬼頭洋

鬼頭 洋
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県伊勢市
生年月日 (1943-04-18) 1943年4月18日(81歳)
身長
体重
179 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1965年
初出場 1967年6月17日
最終出場 1974年10月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

鬼頭 洋(きとう ひろし、1943年4月18日 - )は、三重県伊勢市[1]出身の元プロ野球選手投手)。

経歴[編集]

名商大学附属高ではエースとして活躍。高校の1年下に佐藤正治がいた。卒業後は名古屋商科大学に進む。愛知大学野球リーグでは中京大全盛期であり、在学中は優勝には届かず2位2回にとどまる。1963年春季リーグでは南山大から17奪三振を記録している[1]。リーグ通算31試合に登板し15勝10敗、防御率1.31、87奪三振。

名商大を3年で中退し、1965年大洋ホエールズへ入団した[1]

貴重な左腕として期待され、1967年は6月から先発として起用されるがわずか1勝に終わり、その後は一時低迷する。

1970年には開幕から先発陣の一角に喰い込み、6月9日のヤクルトアトムズ戦ではノーヒットノーランを達成[1]。なお球団では2022年6月7日、今永昇太日本ハム戦 (札幌ドーム) でノーヒットノーランを達成するまでに51年363日を要した。この勢いで勝利を重ね、同年は自身唯一の2桁勝利(13勝)を挙げた。

その後も先発として活躍するが、1973年小山正明との交換トレードで安田泰一とともにロッテオリオンズへ移籍[1]。同年も4勝を記録するも、翌年に大洋へ復帰した[1]。故障もあって1975年限りで戦力外となり、現役を引退した[1]

スリークォーターからカーブやフォーク、シュートボールを武器にしていた。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1967 大洋 15 11 0 0 0 1 4 -- -- .200 194 43.1 51 2 13 0 4 38 2 0 18 17 3.56 1.48
1968 4 2 0 0 0 0 1 -- -- .000 27 4.0 9 0 4 0 1 2 0 0 6 1 2.25 3.25
1969 9 4 1 0 0 1 1 -- -- .500 153 40.2 22 2 10 1 1 44 1 1 8 8 1.76 0.79
1970 49 24 5 4 3 13 12 -- -- .520 755 194.2 151 16 28 2 7 151 3 0 56 52 2.40 0.92
1971 33 20 1 1 0 7 12 -- -- .368 552 137.1 124 11 20 2 3 102 3 0 42 37 2.43 1.05
1972 34 16 1 0 0 3 8 -- -- .273 448 111.0 103 14 23 1 8 75 3 1 46 42 3.41 1.14
1973 ロッテ 36 10 3 0 0 4 2 -- -- .667 332 75.1 76 6 39 1 3 30 0 1 40 36 4.32 1.53
1974 大洋 14 3 0 0 0 0 1 0 -- .000 98 21.2 21 3 13 1 0 16 0 0 8 8 3.27 1.57
通算:8年 194 90 11 5 3 29 41 0 -- .414 2559 628.0 557 54 150 8 27 458 12 3 224 201 2.88 1.13

記録[編集]

背番号[編集]

  • 21 (1965年 - 1973年)
  • 13 (1974年 - 1975年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、186ページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]