高丘王 平安時代初期の平城天皇の皇子である「高岳親王」とは別人です。 高丘王(たかおかおう、生年不詳 - 天平21年3月3日(749年3月25日))は、奈良時代の皇族。出自は詳らかではないが、天智天皇第二皇子の川島皇子の子とする系図がある。官位は従四位下・左大舎人頭。 来歴[編集] 天平15年(743年)无位から従五位下に直叙され、右大舎人頭に任じられる。天平18年(746年)4階昇進して従四位下に叙せられる。 天平21年(749年)3月3日卒去。最終官位は左大舎人頭従四位下。 官歴[編集] 『続日本紀』による。 天平15年(743年) 5月5日:従五位下(直叙)。6月30日:右大舎人頭 天平18年(746年) 6月11日:従四位下(越階) 天平21年(749年) 3月3日:卒去(左大舎人頭従四位下) 系譜[編集] 父:川島皇子[1] 母:不詳 生母不詳の子女 男子:吉並王[1] 出典[編集] ^ a b 鈴木真年『百家系図稿』巻10,天智天皇御流 参考文献[編集] 宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社学術文庫、1995年 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年