駿河台

歌川広重『名所江戸百景 水道橋駿河台』
名所浮世絵揃物名所江戸百景』の1図。安政3-4年(1857年)作。空高く鯉幟が泳ぐ皐月のころの駿河台。

駿河台(するがだい)とは、日本南関東にある台地の一つ。現在行政区画上では東京都千代田区北部にある[1]地形地域標高約17メートル[1]

秋葉原の南西、千代田区神田駿河台一丁目と二丁目に位置する[注 1]

元来は、北に位置する本郷台地cf. 本郷)の南端に当たる「神田山(かんだやま)」という高台()であった[2]江戸幕府二代将軍徳川秀忠の命を受けた仙台藩祖・伊達政宗1620年元和6年)に仙台堀(神田川)を開削したことにより、湯島台と駿河台とに分離され、孤立した高台となった[3][4][5][6][7]。神田川を挟んで北側に位置する湯島台とは、聖橋お茶の水橋により台地上端の標高で結ばれている。削って下町を埋めたために、今は台地ではないところもある。

特徴[編集]

昭和初期の駿河台
1930年(昭和5年)撮影。左奥に、ニコライ堂明治大学錦華尋常小学校が見える。

「神田四学」[要出典]という私立の法律学校4校(明治・日本・中央・専修)が明治時代に創立され[注 2][8][9]、以来、日本大学理工学部歯学部)や明治大学本部を初めとする私立大学駿台予備学校などの予備校専門学校が多く集まっているほか、神田川の対岸は東京医科歯科大学順天堂大学、近隣には専修大学等が存在し、国内有数の学生街となっている。かつては中央大学東京高等商工学校埼玉工業大学[注 3]なども駿河台に本部を置き、明治時代には法政大学の校舎もあった[注 4][注 5]。なお、明治大学、日本大学[注 6][10]、中央大学[注 7][12]はいずれも法律学校から始まっている[8][9]

キリスト教正教会の一員たる日本ハリストス正教会の本拠ニコライ堂(東京復活大聖堂)が当地にある。

駿河台日本大学病院杏雲堂病院など、病院が多く存在するほか、学生向けから発展したスポーツ用品店、楽器店なども多い。隣接する神田神保町は日本最大級の古書店街である。

1960年代後半の全共闘運動では、多くの大学が存在したことから、「神田カルチェラタン」「日本のカルチエ・ラタン」とよばれ、警察との対決の主戦場となり、一時は「神田解放区」を現出させた。「神田カルチェ・ラタン闘争」も参照のこと。

主な施設など[編集]

明治大学駿河台キャンパス
左:明治大学記念館(2代目)
右:リバティタワー
ニコライ堂
1891年
2019年撮影
1981年(昭和56年)竣工。所有者である日本出版販売は1949年(昭和24年)9月10日に当地で創業。
1983年(昭和58年)3月竣工。2010年(平成22年)解体。
2013年(平成25年)4月12日開業。御茶ノ水セントラルビル(旧・日立製作所本社ビル)の跡地に建てられた。

地名の由来[編集]

江戸時代初期に、駿府(駿河府中、現・静岡市葵区付近)から江戸東京都区部)に移住した徳川家康の家臣が居を構えたことに由来する。

最寄り駅[編集]

出身者[編集]

各地の駿河台[編集]

東京都の「駿河台」の由来になった駿河国は現在の静岡県の中部にあたり、静岡市駿河区登呂遺跡付近に、「駿河台」という住宅街がある。

静岡市以外にも、富士市藤枝市沼津市の郊外に、同じく「駿河台」という住宅街がある。

千葉県船橋市にも同様の地名がある。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 隣接する神田小川町三丁目から三省堂書店神田本店にかけての界隈は、駿河台の高台から下ってきた所に当たるため「駿河台下」と呼ばれる。
  2. ^ 専修学校(専修大学の前身)は1880年に京橋で、明治法律学校(明治大学の前身)は1881年に有楽町で、英吉利法律学校(中央大学の前身)は1885年に神田錦町で、日本法律学校(日本大学の前身)は1889年に飯田町で開校した。
  3. ^ 東京高等商工学校大学ではない。また、埼玉工業大学と駿河台との間に直接のつながりはない。
  4. ^ 1880年9月に駿河台北甲賀町で開校した東京法学社法政大学の前身校のひとつ)は同年12月に神田区神田錦町に移転した。
  5. ^ 「法政大学」と改称した後は駿河台に校舎を構えたことはない。
  6. ^ 日本法律学校が駿河台に校舎を構えたことはない。
  7. ^ 中央大学は1926年(大正15年)まで錦町にあった[11]

出典[編集]

  1. ^ a b kb-Brit.
  2. ^ 千代田区 町名由来板 (2014).
  3. ^ 第五章 神田川山脈「御茶ノ水の茗渓」 (PDF) (川副秀樹 著、『東京「消えた山」発掘散歩』 pp. 80-83)[リンク切れ]
  4. ^ 首都圏みやぎゆかりの地「仙台堀(神田川)」宮城県[リンク切れ]
  5. ^ 『SUBWAY 日本地下鉄協会報 第194号』 (2012), p. 48-50.
  6. ^ 『J-BECレポート 2013 Vol.8』 (2013), p. 33.
  7. ^ 『緑と水のひろば No.68 SUMMER 2012』 (2012).
  8. ^ a b 河岡 1909, p. 127(86/209コマ), 所謂私立大学の現状は、決して多大の尊敬を、払はれて居らぬと言ふ一事である。
  9. ^ a b 石橋 1985, p. 89, 私学出のものが、そのころの日本で、いかに冷遇されたかは、今日の私立大学の卒業生には、たぶん想像もできないことであろう。
  10. ^ 河岡 1909, p. 141(94/209コマ), 砲兵工廠煤煙なびく、神田三崎町一番地=名も堂々たる日本大学は、その一隅にチヨツピリと置かれたるペンキ塗の建造物である。.
  11. ^ 中央大学のあゆみ”. 中央大学. 2020年8月14日閲覧。
  12. ^ 榛名 1933, p. 93(53/160コマ), 教授連の顔ぶれも、近頃でこそ新大学令によつて専任教授も置かねばならず、従って母校出身の新進学徒が相当勢威を張るやうになつて来たが、昔は帝大法学部教授連の出張所であり、判検事や弁護士試験委員の内職稼ぎのお顧客先きであつたものだ。.
  13. ^ 沿革 < (公財)総評会館について”. 連合会館. 公益財団法人総評会館. 2021年3月8日閲覧。
  14. ^ 東京YWCA会館”. officetar.jp. 株式会社スリースター. 2021年3月8日閲覧。

参考文献[編集]

辞事典
書籍、ムック
  • 石橋湛山湛山回想岩波書店岩波文庫 青168-2〉、1985年11月18日https://www.iwanami.co.jp/book/b246177.html ASIN B000J6QQDKISBN 4-00-331682-7ISBN 978-4-00-331682-5OCLC 674500354
雑誌、パンフレット、論文等
インターネット資料

関連項目[編集]

外部リンク[編集]