須藤佐次兵衛

須藤 佐次兵衛(すどう さじべえ、元禄14年(1701年) - 明和7年8月25日1770年10月13日))は、江戸時代中期の一揆指導者[1]。名は規方、屋号は岩船屋[1]

経歴・人物[編集]

越後新潟町の商人[1]

明和5年(1768年)の新潟明和騒動涌井藤四郎と共に指導[1]。頭取として長岡藩に捕らえられ死罪となった[1]

昭和3年(1928年新潟市中央区にある白山公園に2人を祀った明和義人之顕彰碑が建てられた[2]。また、新潟市の上古町商店街にて毎年明和義人祭が開催されている[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『須藤佐次兵衛』 - コトバンク
  2. ^ a b 明和義人祭とは|明和義人祭、2018年10月24日閲覧。