陸軍総司令部 (ドイツ)

陸軍総司令部(りくぐんそうしれいぶ、ドイツ語: Oberkommando des Heeres, 略号:OKH)は、ドイツ国防軍陸軍の最高指揮機関。海軍の海軍総司令部や空軍の空軍総司令部に相当する。陸軍最高司令部とも訳されるが、第一世界大戦時の陸軍最高司令部(OHL)とは異なる。

隷下には参謀本部、人事局、兵器局国内予備軍、各軍集団がある。

陸軍総司令部
Oberkommando des Heeres
1938年から1942年までの陸軍総司令部旗
創設1935年2月26日 - 1945年5月8日
国籍ナチス・ドイツの旗 ドイツ国
軍種ドイツ陸軍
タイプ司令部
上級部隊総統大本営
基地 ヴュンスドルフドイツ語版
渾名Maybach I
主な戦歴第二次世界大戦欧州戦線
指揮
現司令官ヴェルナー・フォン・フリッチュ
ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ
アドルフ・ヒトラー
フェルディナント・シェルナー
参謀長ルートヴィヒ・ベック
フランツ・ハルダー
クルト・ツァイツラー
ハインツ・グデーリアン
ハンス・クレープス

国防軍最高司令部との関係[編集]

1938年になって新設された国防軍最高司令部との関係については明確に規定されていないが、独ソ戦の開始に伴い陸軍総司令部は東部戦線に展開する軍(Ostheer)の指揮に専念、それ以外の北アフリカ地中海バルカンフランスにおける作戦指導を国防軍最高司令部に譲った。

地下司令部[編集]

陸軍総司令部は、1939年の開戦直前に完成したベルリン郊外のヴュンスドルフドイツ語版に設けられた地下ブンカー施設に移された。当時から既に防空意識が高く、すべてが地下に構築され、地上は長閑な農村風景が演出されていた。秘匿名称は Maybach I である。国防軍最高司令部のそれは Maybach II と呼ばれていた。1940年4月20日からは2個指揮通信連隊が追加されて陸軍総司令部と軍集団司令部、軍司令部との長距離通信網を充実させた。共用の長距離指揮通信施設(Zeppelin、あるいはAmt 500)である。戦後も駐留ソ連軍司令部が1990年のドイツ再統一まで利用した。現在、ブンカー跡を見学することが出来る。

ベルリン市内のベンドラー街英語版に残された国防省ビルには国内予備軍司令部なとが入っていた。ここは1944年7月20日におけるヒトラー暗殺未遂事件の舞台となった。

陸軍総司令官[編集]

陸軍統帥部長官旗(1933-1935)
陸軍総司令官旗(1935-1941)
陸軍総司令官旗(1944-1945)

陸軍総司令官Oberbefehlshaber des Heeres、OBdH)。

歴代の陸軍総司令官
画像 氏名 階級 期間
1 ヴェルナー・フォン・フリッチュ 陸軍上級大将 1935年 - 1938年
2 ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ 陸軍元帥 1938年 - 1941年12月19日
3 アドルフ・ヒトラー ドイツ国総統 1941年12月19日 - 1945年4月30日
4 フェルディナント・シェルナー 陸軍元帥 1945年4月30日 - 1945年5月8日

陸軍参謀総長[編集]

陸軍参謀総長(Chef des Generalstabes des Heeres)。旧プロイセン参謀総長相当。

歴代の陸軍参謀総長
画像 氏名 階級 期間
1 ルートヴィヒ・ベック 陸軍上級大将 1935年 - 1938年
2 フランツ・ハルダー 陸軍上級大将 1938年 - 1942年9月
3 クルト・ツァイツラー 陸軍上級大将 1942年9月 - 1944年7月
4 ハインツ・グデーリアン 陸軍上級大将 1944年7月 - 1945年3月
5 ハンス・クレープス 陸軍歩兵大将 1945年3月 - 1945年5月1日

組織(1938年-1939年)[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

文献[編集]

  • ゲハルト・ボルト[1]『ヒトラー 最後の十日間』松谷健二(訳)、TBS出版会、1974年
  • バリー・リーチ 『ドイツ参謀本部』戦史刊行会(訳)、原書房、1979年
  • ヴァルター・ゲルリッツ『ドイツ陸軍参謀本部興亡史』守屋純(訳)、学習研究社、1998年

外部リンク[編集]

  1. ^ ハインツ・グデーリアン陸軍参謀総長の副官。