陸奥総社宮

陸奥総社宮
陸奥総社宮
拝殿
所在地 宮城県多賀城市市川字奏社1番地
位置 北緯38度18分39.82秒 東経140度59分35.95秒 / 北緯38.3110611度 東経140.9933194度 / 38.3110611; 140.9933194 (陸奥総社宮)座標: 北緯38度18分39.82秒 東経140度59分35.95秒 / 北緯38.3110611度 東経140.9933194度 / 38.3110611; 140.9933194 (陸奥総社宮)
主祭神 八塩道老翁神
八塩道老女神
社格 陸奥国総社
村社
創建 不詳
本殿の様式 流造
別名 奏社宮
例祭 4月第3日曜
地図
陸奥総社宮の位置(宮城県内)
陸奥総社宮
陸奥総社宮
陸奥総社宮 (宮城県)
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鳥居

陸奥総社宮(むつそうしゃのみや/むつそうじゃぐう)は、宮城県多賀城市市川にある神社陸奥国総社で、旧社格村社

祭神[編集]

主祭神は次の2柱[1]

  • 八塩道老翁神
  • 八塩道老女神

また、陸奥国内31式内社100社の神霊を合わせ祀る。

歴史[編集]

古代国司には各国内の神社を巡拝する任務があった。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。この制は平安時代に広まったものであるが、陸奥国の総社について当時の記録はない。陸奥国府(多賀城)の近く、「奏社宮」と呼ばれていた当社を総社に比定する説が江戸時代から有力視されているが、当社で伝える古記録は失われており明らかでない[2]。なお、鹽竈神社を総社とする説があるほか[3][2]、『延喜式神名帳に載る「多賀神社」を当社に比定する説もある[2]

鎌倉時代には、陸奥留守職に任じられて「留守」姓を名乗るようになった伊沢氏により崇敬を受け、祭祀料として3,000刈の社地が寄進されたという[4]江戸時代になると仙台藩初代藩主の伊達政宗による領内寺社整備が行われ、法蓮寺鹽竈神社別当)末寺の市川山神奏院が別当として置かれ社務が行われた[4]。『宮城県神社名鑑』[5]によれば、奏社宮には歴代藩主の尊崇が篤く、親拝代参などがあったという。

明治維新後、明治4年(1871年)10月に近代社格制度において村社に列した[4]。明治41年(1908年)に貴船神社など7社が合祀されたほか、大正12年(1923年)8月には神饌幣帛料供進神社に指定された[4]

現在も安産守護・海上守護・歳徳・武徳・大難除けの神として崇敬されている。

境内[編集]

社殿は本殿・拝殿からなる。

境内には多賀城市の保存樹木が2本ある[6]

  • 陸奥総社宮の白木蓮(ハクモクレン) - 1985年調査での推定樹齢約220年(江戸時代)、樹高16.8メートル、周囲2.2メートル。
  • 陸奥総社宮の老杉(スギ) - 1985年調査での推定樹齢約600年(室町時代)、樹高25.6メートル、周囲4.88メートル。神社の神木で、正月にしめ縄をかける。

祭事[編集]

陸奥総社宮で年間に行われる祭事は次の通り[7]

  • 初詣・元旦祭 (1月1日-3日)
  • どんと祭 (1月14日)
  • 節分祭 (2月第1土曜・日曜、第2土曜・日曜)
  • 例大祭 (4月第3日曜) - 神輿渡御。
  • 七五三祭 (10月下旬-11月中)

現地情報[編集]

所在地

  • 宮城県多賀城市市川字奏社1

交通アクセス

脚注[編集]

  1. ^ 陸奥総社宮(宮城県神社庁)。
  2. ^ a b c 中世諸国一宮制 & 2000年, p. 310.
  3. ^ 『多賀城市史』第1巻458頁。
  4. ^ a b c d 陸奥総社宮について(公式サイト)。
  5. ^ 宮城県神社庁編 『宮城県神社名鑑』 宮城県神社庁、1976年1月。
  6. ^ 『多賀城市史』第1巻27頁。以下の樹齢等の数値も同じ。
  7. ^ 祭神のご案内(公式サイト)。

参考文献[編集]

  • 多賀城市史編纂委員会 編 『多賀城市史』第1巻(原始・古代・中世)、多賀城市、1997年。
  • 宮城県神社庁 編 『宮城県神社名鑑』 宮城県神社庁 1976年10月
  • 「市川村」『日本歴史地名大系 4 宮城県の地名』平凡社、1987年。ISBN 4582490042 
  • 中世諸国一宮制研究会編 編『中世諸国一宮制の基礎的研究』岩田書院、2000年。ISBN 978-4872941708 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]