阿南鉄道

阿南鉄道株式会社
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
徳島県勝浦郡小松島町大字小松島字高須三ノ一[1]
設立 1913年(大正2年)10月20日[1]
業種 陸運業
事業内容 旅客鉄道事業、バス事業[1]
代表者 社長 多田宗泰[1]
資本金 450,000円[1]
特記事項:上記データは1935年(昭和10年)4月1日現在[1]
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阿南鉄道(あなんてつどう)は、徳島県勝浦郡小松島町(現在の小松島市)と那賀郡羽ノ浦村(現在の阿南市)を結ぶため建設された鉄道路線及びその運営会社である。乗合自動車業も兼営した。後に国有化され、現在の四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の一部となった。

歴史[編集]

1900年(明治33年)那賀郡羽ノ浦村出身の代議士板東勘五郎ら有志により徳島駅より岩脇(羽ノ浦町古庄付近)間に鉄道を敷設することを計画し阿陽鉄道株式会社を設立することになった。しかし有志の多くが徳島鉄道の役員であったことから徳島鉄道の手により敷設することになり、仮免状が下付された[2]。ところが徳島鉄道は1907年(明治40年)国に買収されることになり、計画は立ち消えとなってしまった[3]

1911年(明治44年)石井町の実業家で代議士の生田和平[4]ら有志は徳島市二軒屋を起点とし岩脇に至る路線の敷設と阿南電気鉄道設立の申請をした。これは先の阿陽鉄道と同ルートであった。なお当初の計画では那賀郡新野村が終点であったが那賀川へ架橋するためには多額の費用がかかることから古庄を終点にした[5]。この申請に鉄道院は徳島-小松島間には阿波国共同汽船に対し免許[6][7]しているので重複をさけること、電気鉄道を蒸気鉄道に変更することなど指示があった。このため起点を小松島町とし蒸気鉄道に変更する申請をした。社名は阿南鉄道に変更して1913年(大正2年)に会社を設立し、本社は徳島に置いた。社長は生田和平が就任した。なお起点は小松島と中田の両案があり小松島町を二分する程の騒動となり末松偕一郎知事の調停により起点は中田に決まった[8]

そして小松島軽便線(阿波国共同汽船中田駅[9]より羽ノ浦村古庄に至る路線の敷設工事は1915年(大正4年)12月1月に着工、1916年(大正5年)12月に全線開業した。列車の運転は1日7往復うち4往復は徳島まで直通運転をした[10]。また支線も計画された。ひとつは羽ノ浦駅より分岐して平島村大字大京原村字西ノ口に至る支線で1913年(大正2年)に免許状が下付されたが工事に着手できず免許を取消された。このため1914年(大正3年)10月20日に再度免許されたが結局免許を返納。もうひとつは立江駅より分岐して勝浦郡棚野村へ至る路線で1918年(大正7年)に免許されたが関東大震災後の財界不況により実現できなかった[11]。 やがて乗合自動車の進出により鉄道収入が減少、1927年(昭和2年)乗合自動車兼業を申請し1928年(昭和3年)から営業を開始する[12]。さらに1930年(昭和5年)にガソリンカーを購入。1日15往復(直通8往復)に増便した[10]

しかし乗合自動車業を始めたものの業績回復には至らなかったため代議士でもある生田社長は鉄道買収を政府に働きかけた結果、1928年(昭和3年)1月の閣議[13]で阿南鉄道の買収が決定された[14]。しかし牟岐線羽ノ浦-牟岐間の工事が延期されたため買収案は消滅してしまった[15]。ようやく1933年(昭和8年)工事が再開され[16]、1936年(昭和11年)3月に牟岐線羽ノ浦駅-桑野駅間が開通した[17]。5月に開かれた第69回帝国議会において「岩手輕便鐵道株式會社所屬鐵道外三鐵道及兼業に屬する資産買收の爲公債發行に關する法律案」が政府から提出され法案は可決された[18]。買収日は7月1日となり買収価額は68万6855円(交付公債額71万7775円)。開業線建設費75万3771円に対し91パーセントであった[19]


年表[編集]

阿南鉄道の開通線と未成線の路線図、周辺の国鉄線を含む、国有化時に羽ノ浦-古庄間は旅客営業を廃止して貨物支線となった、後に徳島-中田間が牟岐線に編入され、羽ノ浦-古庄間の貨物支線は廃止、小松島線として残った中田-小松島間も国鉄末期に廃止となった
  • 1912年(大正元年)10月22日 阿南電気鉄道に対し鉄道免許状下付(勝浦郡小松島町大字小松島浦村字東出口-那賀郡羽浦村大字岩脇村字姥ヶ原間、動力電気、軌間1435mm)[20]
  • 1913年(大正2年)
    • 9月1日 阿南鉄道に対し鉄道免許状下付(那賀郡羽ノ浦村-同郡平島村間、動力蒸気、軌間1067mm)[21]
    • 10月20日 阿南鉄道株式会社(社長生田和平)設立[22][23]
  • 1914年(大正3年)10月20日 鉄道免許状下付(那賀郡羽ノ浦村-同郡平島村間)[24]
  • 1916年(大正5年)
    • 10月26日 鉄道免許状返納(1914年10月20日免許 那賀郡羽ノ浦村-同郡平島村間 起業廃止による)[25]
    • 12月15日 中田 - 古庄間を開業[26]
  • 1918年(大正7年)12月12日 鉄道免許状下付(那賀郡立江町-勝浦郡棚野村間)[27]
  • 1926年(大正15年)4月12日 鉄道免許失効(1918年12月12日免許 那賀郡立江町-勝浦郡棚野村間 指定ノ期限内ニ工事施工認可申請ヲ為ササルタメ)[28]
  • 1928年(昭和3年)3月1日 富岡自動車商会より乗合自動車業を継承[29]
  • 1930年(昭和5年)
    • 4月17日 瓦斯倫動力併用認可[22]
    • 6月11日 - ガソリンカー運行開始(中田-古庄間)。12月1日より省線徳島駅まで乗り入れ[29]
  • 1931年(昭和6年)小松島町へ本社を移転[29]
  • 1936年(昭和11年)
    • 6月 丹生谷自動車[30]へ阿南鉄道自動車部の路線と営業権を譲渡[31]
    • 7月1日 阿南鉄道の中田 - 古庄間を国有化し牟岐線に編入[32]。羽ノ浦 - 古庄間の旅客営業を廃止。赤石駅を阿波赤石駅と改称。機関車3両、蒸気動車1両、ガソリンカー4両、客車8両、貨車12両を引継ぐ[33]

駅一覧[編集]

名称 駅間距離(Km) 所在地 備考
中田 勝浦郡小松島町中郷
南小松島 1.8 同郡同町小松島
金磯 1.1 同郡同町芝生 1962年廃止
赤石 2.2 那賀郡立江町立江 国有化後阿波赤石に改称
立江 1.3 同郡同町同字
羽ノ浦 2.2 同郡羽ノ浦町宮倉
古庄 1.9 同郡同町古庄 国有化後貨物専用1961年廃止

輸送・収支実績[編集]

年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1916 78,581 1,677 12,718 8,662 4,056 14,082
1917 306,681 11,518 47,859 32,201 15,658 22,350 22,671
1918 370,584 15,216 51,345 45,351 5,994 繰入800 16,750 17,693
1919 422,967 16,144 74,732 49,704 25,028 20,150 2,859
1920 454,229 13,558 96,597 55,183 41,414 21,723 549
1921 437,432 11,814 102,536 66,398 36,138
1922 479,445 10,975 109,734 64,544 45,190
1923 499,083 9,761 114,036 62,386 51,650 21,178 6,477
1924 478,674 9,045 111,722 66,799 44,923 準備金835 雑損金67 20,534 4,379
1925 463,286 8,119 109,715 70,677 39,038 19,973 20,477
1926 482,240 8,782 109,856 68,969 40,887 雑損682 19,350 7,842
1927 424,762 7,770 92,496 57,396 35,100 自動車351 18,700
1928 424,187 6,784 90,213 53,141 37,072 雑損673自動車業5,351 17,951
1929 413,883 5,472 85,712 58,198 27,514 自動車業354 17,201
1930 374,052 3,328 71,859 38,808 33,051 自動車業3,817 19,499
1931 349,865 2,299 61,362 26,632 34,730 自動車業7,686 19,924
1932 362,768 1,854 51,563 20,567 30,996 自動車業9,456 21,339
1933 398,601 5,606 52,332 20,127 32,205 自動車業3,907償却金3,798 18,423
1934 436,219 6,592 54,219 20,851 33,368 自動車業4,800 18,003
1935 449,518 10,294 58,615 24,824 33,791 自動車業7,000 17,842
1936 297,414 1,680 27,236 12,595 14,641 自動車業6,000 8,384
  • 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版

車両[編集]

開業時は、機関車1両、客車3両、貨車4両(有蓋2無蓋2)を鉄道院から、蒸気動車を三河鉄道から購入。蒸気動車は三河鉄道では僅か3年しか使用されなかったが、阿南鉄道では主力として活躍した。1930年、ガソリンカー(定員50人)3両を購入。蒸気動車に代わり徳島乗り入れを行う。1931年1両(定員90人)を追加しほぼ全列車、かつ貨車牽引もこなした。その後は牟岐線建設資材輸送で貨物が増加。牟岐線開業により客貨が増加し、ガソリンカーの出番は半減した[34]

車種 使用開始 形式番号 国有化後 製造年 製造所 購入元 備考
蒸気機関車 1916 2 1220 1898 ナスミス・ウィルソン 鉄道院 鉄道院1105。経歴はリンク先を参照
1919 140 140 1875 シャープ・スチュアート 鉄道院 鉄道院140。経歴はリンク先を参照
1922 1200 1200 1896 ナスミス・ウィルソン 鉄道省 鉄道省1200。経歴はリンク先を参照
蒸気動車 1916 ジハ1 車籍なし 1913 汽車製造 三河鉄道 三河鉄道101→阿南鉄道A1
→博多湾鉄道汽船キハ6→西日本鉄道キハ202→104
内燃動車 1930 キハ101 キハ4530 1930 雨宮製作所 新製 国有化後 蒲原鉄道クハ1→ハ2
1930 キハ102 キハ4531 1930 雨宮製作所 新製 国有化後 菊地電気鉄道ハ25
1930 キハ103 キハ4532 1930 雨宮製作所 新製
1931 キハ201 キハ40307 1931 日本車輌製造 新製 国有化後 鉄道省キハ40510→40307→第一海軍航空廠
鹿島参宮鉄道ホハフ402→キハ40402
客車 1916 ハ1→ハフ1 ハ1 1894 平岡工場 鉄道院 総武鉄道は13→鉄道院ハ2500[35]
1916 ハ2→ハフ2 ハ2 1894 平岡工場 鉄道院 総武鉄道は14→鉄道院ハ2501[35]
1916 ハ3 ハ3 1894 平岡工場 鉄道院 総武鉄道は15→鉄道院ハ2502[35]
1917 ハ4 ハ4 1894 平岡工場 鉄道院 総武鉄道は16→鉄道院ハ2503[35]
1917 ハ5 ハ5 1894 平岡工場 鉄道院 総武鉄道は17→鉄道院ハ2504[35]
1917 ハ6 ハ6 1894 平岡工場 鉄道院 総武鉄道は18→鉄道院ハ2505[35]
1917 ハニ1 ハニ1 1898 松井工場 鉄道院 北越鉄道ハブ4→鉄道院ハニ3678[36]
1917 ハニ2 ハニ2 1898 松井工場 鉄道院 北越鉄道ハブ5→鉄道院ハニ3679[36]
貨車 1916 ワ1→ワフ1 ワフ1 1888 鉄道院 鉄道院ワ6420
1916 ワ2→ワフ2 ワフ2 1888 鉄道院 鉄道院ワ6423
1916 ツ1→リ1 - 鉄道院 鉄道院ツ1947 土運車 1936年6月廃車
1916 ツ2→リ2 - 鉄道院 鉄道院ツ1957 土運車 1936年6月廃車
1919 ワ101 ワ101 1896 鉄道院 鉄道院ワ6484
1919 ワ102 ワ102 1895 鉄道院 鉄道院ワ6485
1919 ワ103 ワ103 1894 鉄道院 鉄道院ワ6486
1919 ワ104 ワ104 1891 鉄道院 鉄道院ワ6487
1919 ワ105 ワ105 1895 鉄道院 鉄道院ワ6488
1919 ト101 ト101 1892 鉄道院 鉄道院ト9369
1919 ト102 ト102 1892 鉄道院 鉄道院ト9373
1919 ト103 ト103 1898 鉄道院 鉄道院ト8747
1919 ト104 - 1898 鉄道院 鉄道院ト8754
1919 フト101 - 1887 鉄道院 鉄道院フト7282
ト111 ト111
ト112 ト112
  • 引継車両にト104、フト101が見当たらずト111、112が出現していることから改番したとみられるが鉄道省文書には該当の記録が見当たらない
  • 鉄道省文書『阿南鉄道』、「昭和戦前期,買収客貨車改番一覧」

車両数の変遷[編集]

年度 機関車 蒸気動車 ガソリンカー 客車 貨車
有蓋 無蓋
1916 1 1 3 2 2
1917-1918 1 1 8 2 2
1919-1920 2 1 8 7 7
1921 2 8 7 7
1922-1926 3 1 8 7 7
1927 3 1 7 7 7
1928-1929 3 1 8 7 7
1930 3 1 3 8 7 7
1931-1935 3 1 4 8 7 7
  • 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 「鉄道株式会社仮免許状下付」『官報』1901年6月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『阿南市史』第3巻、643-644頁
  4. ^ 『人事興信録. 5版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 『阿南市史』第3巻、644-645頁
  6. ^ 「私設鉄道株式会社仮免許状下付」『官報』1910年5月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 1913年(大正2年)の開業と同時に国が借上げて、小松島軽便線となった
  8. ^ 『阿南市史』第3巻、645頁
  9. ^ 阿南鉄道開業と同じ1916年(大正5年)12月15日開設
  10. ^ a b 『日本国有鉄道百年史』第9巻、658頁
  11. ^ 『徳島市史』第3巻、644-645頁
  12. ^ 1934年時路線『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 田中義一内閣、政友会、鉄道大臣小川平吉
  14. ^ 「買収さるる各地方鉄道」国民新聞1928年1月19日(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
  15. ^ 『徳島市史』第3巻、660-661頁
  16. ^ 齋藤内閣、鉄道大臣は香川出身の三土忠造『阿南市史』第3巻、648頁
  17. ^ 「鉄道省告示第87号」『官報』1936年3月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 「法律第十八号」『官報』1936年5月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ^ 『日本国有鉄道百年史』第9巻、659頁
  20. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年10月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  21. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年9月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  22. ^ a b 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  23. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  24. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1914年10月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  25. ^ 「軽便鉄道免許状返納」『官報』1916年10月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  26. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1916年12月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  27. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1918年12月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  28. ^ 「鉄道免許失効」『官報』1926年4月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  29. ^ a b c 日本国有鉄道百年史』第9巻、657-659頁
  30. ^ 『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  31. ^ 『阿南市史』第3巻、657頁
  32. ^ 「鉄道省告示第183・184号」『官報』1936年6月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  33. ^ 『鉄道省鉄道統計資料. 昭和11年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  34. ^ 『内燃動車発達史 上巻』279頁
  35. ^ a b c d e f 形式図『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  36. ^ a b 形式図『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献[編集]

  • いのうえ・こーいち『図説 国鉄蒸気機関車全史』、2014年、224-225頁
  • 大幡哲海「昭和戦前期,買収客貨車改番一覧」『RAILFAN』No.519
  • 湯口徹『日本の蒸気動車 下巻』、ネコ・パブリッシング、2008年、20頁
  • 湯口徹『内燃動車発達史 上巻』、ネコ・パブリッシング、2004年、278-279頁
  • 『阿南市史』第3巻、2001年、644-648頁
  • 『徳島市史』第3巻、1983年、640-645、659-661頁
  • 日本国有鉄道百年史』第9巻、657-659頁