開国進取

開国進取(かいこくしんしゅ)とは、江戸幕府鎖国攘夷に次ぐ、大日本帝国の国是であり[1]、1868年の五箇条の御誓文に基づくものである。大隈重信は「開国進取」について「外國に向つて萬國と併立すると云ふ主義」であると述べている[2]

歴史[編集]

幕末に幕府大老として開国を主導した井伊直弼は、海防について鎖国を籠城に見立て、以下のように述べていた:[3]

籠城も橋を引候得ば、居すくみに成、終始は難保、又川を隔戦ひ候にも、渡りて打て掛り候方勝利を得ると伝承候。行く者は進取之勢あり、待つ者は退縮之姿にて、古今之勢、必然に相見え候。祖宗閉洋之御法には候得共、支那和蘭之橋ばかりは残し被置候。今此橋を幸ひに、外国之御所置可之事、暫く兵端を不開、年月を経て、必勝万全を得るの術計に出可申哉。

—  井伊直弼の海防論[4][3]

1894年発行の訳書「今世国家論」の陸羯南による前書き(日新叢書叙)には、「近日世ニ言フ所ノ開國進取ノ國是」とある[5]

1897年の大隈重信は外交方針演説で、「此の國是、所謂開國進取、言換れは即ち外國に向つて萬國と併立すると云ふ主義からして、日本が導かれて今日大に文明が進んで、世界に重んせられ、尊敬さるると云ふ國にまで進んだのは、皆其主義に從つたものであると存じます」と述べた[2]

1907年の帝国国防方針でも使われる。

出典[編集]

  1. ^ 修身要領講演 福澤諭吉 1900年
  2. ^ a b 第6代第2次松方正義内閣 (帝国)第10回(通常会) 大隈重信外務大臣 外交方針演説 大隈重信 1897年2月16日
  3. ^ a b 訂正増補大日本時代史 幕末史』 P.183 小林庄次郎 1915年
  4. ^ 『大西郷全伝 第一巻』 P.295 雑賀博愛 1937年
  5. ^ 今世国家論: 全 Paul Leroy-Beaulieu 1894年