長谷川祥之

長谷川 祥之
名前
愛称 ハセ
カタカナ ハセガワ ヨシユキ
ラテン文字 HASEGAWA Yoshiyuki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1969-02-11) 1969年2月11日(55歳)
出身地 京都府宇治市
身長 179cm
体重 69kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1992 本田技研工業 22 (3)
1992-2003 鹿島アントラーズ 261 (89)
代表歴2
1995-1996[1] 日本の旗 日本 6 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2003年12月31日現在。
2. 1996年5月29日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

長谷川 祥之(はせがわ よしゆき、1969年2月11日 - )は、京都府宇治市出身の元サッカー選手ポジションFW。現在は鹿島アントラーズスカウト担当を務めている。JFA 公認B級コーチライセンス所持。

人物[編集]

黒崎比差支奥野僚右大野俊三本田泰人サントス、そしてジーコなどとJリーグ開幕当初の鹿島アントラーズの黄金期を築いた功労者の一人。リーグ戦では長谷川が点を入れた試合は34連勝で、「長谷川が決めればチームは負けない」という伝説も残している。その後も息の長い活躍を続け、マジーニョ柳沢敦平瀬智行らと先発ポジションを争い続けた。1999年頃から先発出場の機会は減ったが、その後もスーパーサブとして存在感を保ち、選手としてはもうピークを過ぎているであろう後も鹿島のサポーターの間では長い間人気を博していた。2003年7月27日、1stステージホーム最終戦のセレッソ大阪戦で現役を引退。その後、鹿島の下部チームのコーチに就任。

選手時代の特徴[編集]

ヘディングが得意。「空中に留まることができる」と言われたジャンプ力で数多くのゴールを生み出した。

レオナルドジョルジーニョが在籍していた時期には、彼らが繰り出すロングフィードの受け手であるポスト役は常に長谷川の役目であり、ターゲットマンとしても貴重な存在だった。

現役末期には慢性的なの故障を抱え往年のジャンプ力を失ったが、ファイト溢れるプレーと持ち前の決定力でスーパーサブの役目を果たし、2002年日韓ワールドカップに向けて改修されたカシマスタジアムのこけら落とし試合(2001年5月19日柏レイソル戦)では、満員のサポーターの前で劇的な延長Vゴールを決めている。

所属クラブ[編集]

指導歴[編集]

  • 2004年 - 2006年 鹿島アントラーズジュニアユースコーチ
    • 2005年 ナショナルトレセンコーチ北信越担当
    • 2006年 U-18/U-15 GK・U-15ストライカーキャンプ ストライカーコーチ
  • 2007年 - 2010年 鹿島アントラーズユースコーチ
  • 2011年 鹿島アントラーズアカデミートレセン
  • 2012年 - 2020年 鹿島アントラーズスカウト

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990-91 本田 26 JSL1部 0 0 - - 0 0
1991-92 10 22 3 3 0
1992 鹿島 - J - 9 7 3 1 12 8
1993 30 9 5 3 5 4 40 16
1994 43 21 0 0 1 0 44 21
1995 42 16 - 4 2 46 18
1996 25 12 11 0 3 0 39 12
1997 11 27 7 11 4 2 1 40 12
1998 26 14 4 3 4 0 34 17
1999 J1 21 4 7 2 0 0 28 6
2000 8 1 5 0 1 0 14 1
2001 11 2 6 1 1 0 18 3
2002 25 3 8 3 3 0 36 6
2003 3 0 0 0 - 3 0
通算 日本 J1 261 89 66 23 27 8 354 120
日本 JSL1部 22 3 3 0
総通算 283 92 69 23

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2002-03 鹿島 11 1 0
通算 AFC 1 0

その他の国際公式戦

主な受賞歴[編集]

  • 2009年 アントラーズ功労賞

代表歴[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 6試合 0得点(1995年 - 1996年)[1]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
1995 4 0
1996 2 0
通算 6 0

関連項目[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]