長興島 (上海市)

赤色の島が長興島

座標: 北緯31度24分01秒 東経121度41分33秒 / 北緯31.4003度 東経121.6925度 / 31.4003; 121.6925 (長興島) 長興島上海市崇明区に属す、長江河口の中州島である。

概要[編集]

面積は76.3km2、 島内の人口は約5万人(2009年時点)である。

崇明島と上海浦東の間の長江河口に露頭する中州島である。上海浦東とは上海長江トンネル、崇明島とは上海長江大橋で結ばれている。東には横沙島という中州がある。

崇禎十七年(1644年)にこの水域に砂州が現れ、その後、土砂の堆積で島が次々と形成された。道光二十二年(1842年)に瑞豊沙(原名は崇宝沙といった)・潘家沙・鴨窩沙が形成され、光緒六年(1880年)に石頭沙・円円沙が形成された。民国十六年(1927年)に金帯沙が形成された。これらの島々(長興六沙)は、1960年代から1970年代にかけての堤防整備事業で一体化し、現在の長興島となった。

長興島地域に住民が入ったのは清の道光二十四年(1844年)で、鴨窩沙で干拓と水田造成が開始された。本格的な開発と住民流入は中華民国時代に入ってからで、当初は淡水漁業と葦などの収穫を主な産業としたが、後に農地が開墾されて農村が形成されるようになった。島の生活風習は基本的には崇明島や横沙島と同様で、川に囲まれ交通が不便であったために、周囲から独立した古風を残す文化や方言が形作られた。

中華人民共和国時代に入り、浦東地区の漁民が移転させられ農業を営むようになり、新農民と呼ばれるようになった。行政上は宝山県の管轄下にあったが、2005年に宝山区から崇明区に移管された。

長興造船基地に停泊中の052D型ミサイル駆逐艦「昆明」

2005年より、中国最大の造船所となる長興造船基地(上海長興島船舶制造基地)の建設が開始された。2008年6月、国有持株会社中国船舶工業集団公司傘下の江南造船(集団)有限責任公司は長興造船基地内に移転し、軍用船および民間船の製造を開始した[1]。2009年10月末に滬陝高速道路(G40)の一部となる上海長江隧橋(上海長江トンネルおよび上海長江大橋)が開通し、長江の南北と陸路で結ばれるようになった。

脚注[編集]