長嶺高文

ながみね たかふみ
長嶺 高文
本名 長嶺 高文
生年月日 (1953-12-29) 1953年12月29日
没年月日 (2014-10-07) 2014年10月7日(60歳没)
出生地 日本の旗 日本・東京都台東区谷中
職業 映画監督
ジャンル 映画
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長嶺 高文(ながみね たかふみ、1953年12月29日 - 2014年10月7日)は、日本映画監督、テレビディレクター、脚本家、演出家。

略歴[編集]

東京都台東区谷中生まれ。東京都立板橋高等学校武蔵大学経済学部卒業。武蔵大学在学中より、自主映画製作をはじめる。卒業後、ピンク映画の獅子プロダクションに助監督として入社するが、1977年独立して、自主制作映画集団「パノラマフィルム」を設立。

1978年「喜談 南海燮化玉」を監督し、続いての2作目「歌姫魔界をゆく」は高田馬場パール座上映が連日の盛況から、自主映画としては異例の話題となり、各メディアにもとりあげられる。

大阪11PM「自主映画監督特集」で荒戸源次郎と出会い、1982年シネマ・プラセット製作にて、遠藤賢司主演のスーパー・SFミュージカル・コメディ映画『ヘリウッド』を上映、熱烈な支持と強い反発という両極の反響からカルト映画と評される。

その後、ラジオドラマやテレビアニメなどの多くの脚本に携わり、エフエム愛知「地獄八景亡者戯より夢の中」(日本民間放送連盟賞優秀賞)、アニメでは「オズの魔法使い」の全50話中、後半の23話などを執筆。

また、日本テレビ「追跡」(チャーハンの逆襲)にてディレクターとしてデビューし、バラエティーから、相撲や競歩などのスポーツドキュメンタリーなど数々のテレビ演出や、音楽PVの演出を手掛ける。

映画は2003、2004年「けっこう仮面」シリーズ四部作にて復活。

その後は「ぶらり途中下車の旅」のディレクターとして活躍していた。

2014年10月7日死去[1]

監督作品[編集]

映画[編集]

テレビ演出[編集]

  • 追跡』 (1988年~1994年 日本テレビ)
  • 『バンドマンの生活と意見』 (1990年 関西テレビ/鼓太郎、尚舞、みのすけ、田口トモロヲ、木下ほうか
  • 『火曜イチバン』涙の新弟子物語 365日 (テレビ東京)
  • 『ドキュメンタリー人間劇場』競歩選手を追う(テレビ東京)
  • 特ダネ!歩くテレビ』(テレビ東京)

など多数

  • 『ぶらり途中下車の旅』(2001年~ 日本テレビ)

 (旅人:阿藤快車だん吉太川陽介タケカワユキヒデつのだ☆ひろ寺田農なぎら健壱西岡徳馬林家たい平舞の海秀平松岡充宮川一朗太目黒祐樹八名信夫米倉斉加年渡辺哲 など)

  • 『夜汽車紀行 ~大杉漣が行く酒と涙のノスタルジック旅情~』(2013年10月 BSジャパン)

Webドラマ[編集]

音楽PV[編集]

  • C-C-B『元気なブロークン・ハート』(1986年)
  • PERSONZ『CAN'T STOP THE LOVE』(1988年)
  • ばちかぶり『大丈夫』(1990年)
  • SOFT BALLET『TWIST OF LOVE』(1990年)

など多数

舞台演出[編集]

脚本作品[編集]

映画[編集]

  • 『喜談 南海變化玉』 (1978年)
  • 『歌姫魔界をゆく』 (1980年)
  • 『ヘリウッド』 (1982年)
  • 『プリティ・ボディ~フランケンシュタインの恋』 (1988年) ※羽仁未央と共著
  • 『女衒Ι 荷物たちの卒業』 (2003年)

アニメ[編集]

ラジオドラマ[編集]

  • 竹中直人のラジオ百面相 (エフエム愛知)
  • 『地獄八景亡者戯より夢の中』 (1986年、エフエム愛知/日本民間放送連盟賞優秀賞)
  • 野村宏伸メニコン・グッドフィーリングマイヒーロー(1989年、エフエム愛知)

出演作品[編集]

テレビ[編集]

参考文献[編集]

  • 『ヘリウッド』2008年2月22日発売DVD 長嶺高文インタビュー(取材:木全公彦)
  • 『シナリオ』1981年3 通巻392号・第37巻第三号
  • 『シナリオ』1981年4 通巻393号・第37巻第四号
  • 『初期のおとなクラブ OTONA・FIRST・THREE・YEARS』
  • 『別冊宝島「このビデオを見ろ!」』1990年1月2日発行
  • https://d.hatena.ne.jp:443/keyword/%E9%95%B7%E5%B6%BA%E9%AB%98%E6%96%87

脚注[編集]

  1. ^ 訃報 久保新二 Facebook 2014年10月7日閲覧