鍋城

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鍋城
熊本県
別名 鍋倉城
城郭構造 山城
主な城主 上相良氏、相良氏
廃城年 不明
指定文化財 なし
位置 北緯32度17分09秒 東経130度55分58秒 / 北緯32.2858度 東経130.932641度 / 32.2858; 130.932641座標: 北緯32度17分09秒 東経130度55分58秒 / 北緯32.2858度 東経130.932641度 / 32.2858; 130.932641
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鍋城(なべじょう)は、熊本県球磨郡多良木町にあった中世日本の城山城)。

概要[編集]

熊本県球磨郡多良木町黒肥地字鍋城の丘陵南端の標高222mに位置する。東西にそれぞれ小椎川と栖山川が流れ、南麓で合流している。南西側の登城口に大手下の字名が残る。丘上にはかつて長さ43m、底幅5.5mの堀切があり、南側が本丸と二の丸の2区画に分かれていた。

歴史[編集]

当城は上球磨の要地にあり、古くから上相良氏(多良木氏)の本拠地だった。文安5年(1448年)に多良木頼観頼仙永留長続に雀ケ森で討ち取られると、上相良氏は滅亡した。これにより相良氏本宗は長続が継ぎ、多良木氏の旧領は子の頼泰に与えられた。

長享元年(1487年)に陰謀が発覚して頼泰が殺されると、多良木城や鍋城は宗家の相良為続の支配下に戻った。天文14年(1545年)には、頼泰の孫で八代岡の地頭相良治頼を推戴して人吉衆が反乱を起そうとしたが、計画が漏れて治頼は鍋城に拠ろうとした。しかし城代の税所源兵衛尉が入城を拒み、治頼は耳取原で戦って敗れた。永禄2年(1559年)の獺野原の戦いでは東長兄ら人吉勢が当城を本拠とし、湯前城丸目頼美らに対峙している。

参考文献[編集]

関連項目[編集]