金野岩治

金野 岩治(こんの いわじ、1887年(明治20年)1月10日 - 1969年(昭和44年)5月29日)は、日本政治家、旧鶴岡市第2代市長

略歴[編集]

1888年(明治21年)3月1日山形県西田川郡加茂村(現・鶴岡市加茂)に飛塚元次郎の次男として生れる。その後、東田川郡広瀬村(現・鶴岡市羽黒町)の酒造業経営・今野岩治の婿養子となり、「岩治」を襲名する。 1905年(明治38年)、荘内中学校(山形県立鶴岡南高等学校)を卒業し(同窓生小林鉄太郎がいた。)、 大阪工業高等学校で学ぶ。その後は、 会社員を経て、鶴岡市会議員となる。 1927年(昭和2年)5月 鶴岡市長選挙に立候補して初当選。同年10月、 同職を辞任し山形県会議員選挙に立候補するが落選。 再び同市会議員に就任する。 1969年(昭和44年)5月29日死去。享年82。鶴岡市の禅源寺に墓がある。

参考資料[編集]

公職
先代
林茂政
鶴岡市長
第2代:1927年5月-1927年10月
次代
黒谷了太郎