金巾製織

金巾製織株式会社(かなきんせいしょく)は日本初の金巾製織会社。明治期の近江商人創業の紡績企業。現在の東洋紡株式会社の前身のひとつ。

沿革[編集]

滋賀県知事中井弘の勧奨を契機とし、1888年(明治21年)8月に資本金120万円で創業。発起人は第7代阿部市郎兵衛阿部周吉小泉新助山中利兵衛伊藤忠兵衛中村治兵衛西川貞二郎らいずれも有名な近江商人と野村寛(県会議長)等。1890年(明治23年)1月に初代重役を選出し、社長に第7代阿部市郎兵衛、常務に阿部周吉、取締役に第3代阿部市太郎、小泉新助、中村治兵衛、高田義甫、取締役兼商務支配人に田村正寛らが就任。

大阪四貫島に本社を定め2万坪の敷地を確保し、1890年(明治23年)10月に日本初の金巾製織の工場として紡績機13,552錘、力織機50台で開業(後の東洋紡績四貫島工場)。工場設備一式は三井物産が請負い納入。1893年(明治26年)には第二工場が建設され紡機1,472錘、織機142台を増設。当時は不景気であったが業績は順調で開業初期より年6%配当を行うなど資産も大きく伸び、1896年(明治29年)の全国鉱工業企業中8位の総資産規模となる。工場増設では創業初期の大林組も関わる。大林組は金巾製織と同族の阿部製紙所(旧王子製紙の前身のひとつ)の工場受注で創業していた。

1893年(明治26年)小泉新助が社長に就任。1897年(明治30年)第3代阿部市太郎が社長に、阿部周吉が専務に就任。1904年(明治37年)阿部房次郎(第3代阿部市太郎の養子。後に東洋紡績社長、大阪商工会議所顧問、貴族院議員等を歴任)が専務に、田村正寛が常務に就任。

その後、1906年(明治39年)に大阪紡績と合併、続いて1914年(大正3年)に大阪紡績と三重紡績が合併し、東洋紡績となる。

参考文献[編集]