量子力学の数学的定式化

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本項では相対論的効果を考えない量子力学の数学的定式化(りょうしりきがくのすうがくてきていしきか)を厳密に述べる。本項では量子力学に対する最低限の知識を仮定する。

状態空間のヒルベルト空間による定式化[編集]

量子力学において の(純粋)量子状態は、状態ベクトルと呼ばれる単位ベクトルによって表現され、状態ベクトルとその定数倍のなすベクトル空間を状態空間という。状態空間はヒルベルト空間という数学的概念によって定式化される。そこで本節ではヒルベルト空間の定義を述べる。

ヒルベルト空間[編集]

定義[編集]

ヒルベルト空間の概念を定義するため、まずは複素計量ベクトル空間を定義する:

定義 (複素計量ベクトル空間) ―  を複素ベクトル空間とする。任意のに対して以下の性質を満たす二項演算子上の内積もしくは計量という:

  • (共役対称性)
  • (線形性)に対し、
  • (正定値性) であり、しかもである。

複素ベクトル空間上に内積を一つ指定してできる組複素計量ベクトル空間という。

複素計量ベクトルの元に対し、内積に対応するノルム

により定義し、の間の距離

により定義するとはこの距離に関して距離空間の公理を満たす。

定義 (ヒルベルト空間) ―  複素計量ベクトル空間がノルムから定まる距離に関して完備であるとき、複素計量ベクトル空間複素ヒルベルト空間、あるいは単にヒルベルト空間という。

紛れがなければ以下内積を省略し、記号だけでヒルベルト空間を表すものとする。特に断りがない限り、本項ではヒルベルト空間として可分なもののみを考える

上述の定義より、内積は、第二成分に関しては線形であるが、第一成分に対しては反線形性

  • に対し、

が成立する。なお、ここで提示した内積の定義は量子力学では一般的なものだが、数学の文献では、ここに載せたのとは逆に、第一成分に対して線形、第二成分に対して反線形であるものを用いる事が多い。

ヒルベルト空間の一意性[編集]

ヒルベルト空間に対し、全単射線形写像

が全てのに対して成立するものが存在するとき、同型であるという。

可分な無限次元ヒルベルト空間は同型を除いて1つしか存在しない。すなわち以下が成立する:

定理 (可分なヒルベルト空間の一意性) ―  を任意の可分な無限次元ヒルベルト空間とするとき、は同型である。

前述のように本項ではヒルベルト空間として可分なもののみを取り扱う。よって本項で登場するヒルベルト空間で次元が無限のものは全て同型である。

状態空間[編集]

量子力学では以下の仮定を課す:

仮定 (状態空間に関する仮定) ―  量子力学において状態空間は複素ヒルベルト空間である新井(p210)。状態空間の単位ベクトルを状態ベクトルと呼び、各状態ベクトルは何らかの量子状態に対応している。また2つの状態ベクトルψφa=1を満たす何らかの複素数aφ=という関係を満たすとき、ψφは同一の量子状態を表す新井(p210)

本節では以降、こうした量子力学の仮定を幾つか述べるが、新井の本Hallの本など多くの本ではこうした仮定の事を公理(axiom)と呼んでいる。しかしこうした仮定は数学的な意味での公理ではないH13(p64)ので、本項ではその事を明確化するため、F15に従い、「公理」と呼ばず「仮定 (postulate)」と呼ぶものとする。

L2空間[編集]

すでに述べたように(可分な)無限次元ヒルベルト空間は全て同型なので、任意に一つ無限次元ヒルベルト空間を持って来れば、原理的にはそのヒルベルト空間を状態空間とみなした量子力学を定式化できる。しかし通常の量子力学では、物理的な解釈をわかりやすくするため、L2空間というヒルベルト空間を用いて量子力学を展開する事が多い。そこで本節ではL2空間の定義を述べる。

準備[編集]

L2空間を定義するには、測度論の概念を必要とする。そこでまず測度論を直観的説明する。厳密な説明は当該項目を参照されたい。

測度空間Xとは、Xの部分集合の「大きさ」の概念が定義された空間で、「大きさ」の具体例としては元の個数、面積、体積などがある。測度空間上定義された「大きさ」のことを測度という。Xの全ての部分集合に測度が定義されている必要はなく、測度が定義可能な部分集合を可測な部分集合という。

測度空間上では積分を定義可能な事が知られている。ただし測度の場合と同様、全ての関数に対してその積分が定義できるわけではない。積分概念を定義可能な関数の事を可測関数という。

測度空間X上の2つの可測関数ψφ

Xの可測部分集合AAの測度が0であるものが存在し、

を満たすとき、ψφほとんど至るところ等しいといい、

a.e.

と表記する(「a.e.」は「almost everywhere」の略)。

定義[編集]

Xを測度空間とする。量子力学の文脈ではXの可測部分集合である事が多い。X上の可測関数ψ

となるものを考え、こうした関数全体の集合に

a.e.

という同値類を定義する。

定義 (L2関数、L2空間) ― 記号を上述のように定義し、

と定義する。の元をX上のL2関数という。 さらにL2(X)上の内積を

により定義すると、組はヒルベルト空間をなすことが知られている。このヒルベルト空間をX上のL2空間という。

粒子がk個からなる系の場合、各粒子が3次元分の自由度を持つので、L2(R3k)空間を利用すれば量子力学を自然に展開できる。また例えば(ポテンシャルの壁に遮られるなどして)粒子が有限の区間Iの内部しか動けないようなケースに対しても、X=Iの場合のL2空間L2(I)を利用できる。

注意[編集]

以上で述べたように、量子力学の数学的定式化にはヒルベルト空間、特にL2空間の概念が有効である。ただし、物理学者が量子力学で用いている議論の全てをヒルベルト空間上で数学的に正当化できる事を意味しているわけではない

例えば物理学者が量子力学の記述に通常用いるデルタ関数は、そもそも通常の意味での関数ではないので、L2空間には属さない。後の章でL2空間にさらに元を添加する事でデルタ関数をも取り扱う数学的手法についても述べるが、この手法は万能ではなく、例えばデルタ関数同士の積が定義できないという欠点を抱える。よって特にデルタ関数同士の内積を定義できず、デルタ関数を添加した空間はヒルベルト空間にはならない。

こうした数学的な困難を避けるため、以降の議論は、基本的にデルタ関数のような「関数もどき」は慎重に排除した上で展開するものとする。

有界作用素[編集]

ヒルベルト空間上で定義可能な関数のクラスとして最も自然なものの一つに有界作用素があり、量子力学における主要概念の一つであるユニタリ作用素は有界作用素の一つである。そこで本節では有界作用素の概念とユニタリ作用素の概念を定式化する。

定義 (有界作用素) ― をヒルベルト空間とする。線形作用素有界線形作用素、もしくは単に有界作用素であるとは、実定数C≧0が存在し、任意のに対し、

 

が成立する事を言う。ここでの内積に対応するノルムである。Tが有界とは限らないときT非有界作用素というH13(p56)

次の事実が知られている:

定理 ― 線形作用素Tが有界である必要十分条件は、Tが連続であることである新井(p65)

したがって有界線形作用素とは、連続線形作用素と言い換えても良い。

有界線形作用素の例としてユニタリ作用素がある。後述するように量子力学ではユニタリ作用素は時間発展を記述するのに用いられる。

定義 (ユニタリ作用素) ―  をヒルベルト空間とする。全射線形作用素が任意のに対し、

を満たすとき、Uユニタリ作用素という。

上記の条件をみたすときは、明らかにUは単射なので、Uは全単射である事になる。したがってユニタリ作用素とはから自分自身への同型写像(自己同型写像)である。

なお、が有限次元の場合には、単射性から全射性が従うため、ユニタリ作用素の定義において全射という条件は必要ない。しかしが無限次元の場合には、全射ではない単射線形作用素も存在するため、全射の条件は必須となる。


定義から明らかに次が成立する:

定理 ― ユニタリ作用素は有界作用素である

ブラベクトルとケットベクトル[編集]

本節では共役ベクトル空間の概念を定義することでディラックのブラベクトル、ケットベクトルの概念を数学的に定式化し、さらにリースの表現定理を導入することで、ブラベクトルの概念を別の角度から再定式化する。

共役ベクトル空間[編集]

ヒルベルト空間で使われている足し算「」、(スカラーとの)掛け算「」、および内積を明示して、と書くことにする。

定義 (共役ベクトル空間) ―  ヒルベルト空間の元と定数 aC、に対し、

と定義すると、もヒルベルト空間になる。ここでaの複素共役である。共役ベクトル空間英語版という。

定義より、共役ベクトル空間は掛け算以外は元の空間と同一である。以下、掛け算を明示しなくても共役ベクトル空間を区別できるようにするため、の共役ベクトル空間をと表記する。またの元である事が文脈から明らかな場合は、を略記して単にと表記する。

ブラベクトルとケットベクトル[編集]

ヒルベルト空間上の内積は、第一成分に対して反線形、第二成分に対して線形であった。しかし内積の第一成分を共役ベクトル空間をとみなして

だとすれば、内積は、第一成分、第二成分双方に関して線形である事になるので便利である。そこで量子力学ではの元との元とを区別して考え、以下のように呼ぶ:

定義 (ブラベクトルとケットベクトル) ―  の元をブラベクトルの元をケットベクトルと呼ぶF15(p23)[注 1]

リースの表現定理[編集]

ブラベクトルに対し、線形作用素

を考えると、コーシー=シュワルツの不等式

より、この作用素は有界作用素である。実は複素数値の有界線形作用素はこの形のものに限られる事が知られている:

定理 (リースの表現定理) ―  を有界線形作用素とすると、以下の性質を満たすが一意に存在する

任意のに対し、

なおが有限次元であれば上に述べた事実は自明であるが、無限次元であってもこの事実が成り立つ所にこの定理の主眼がある。以上の事実から、ブラベクトルを以下のように特徴づけられる事がわかる:

 ―  ブラベクトルと複素数値の有界線形作用素は1対1に対応する。

オブザーバブル[編集]

既に述べたように作用素が有界である事はその作用素が連続である事を意味している為、有界性はヒルベルト空間上の作用素の最も自然な概念の一つである。しかし量子力学で用いられる作用素の多くは有界ではないし、しかもの部分領域でしか定義できない。この原因は、量子力学で用いられる作用素の多くが微分を用いて定義されており、微分作用素が有界でもなければ全域で定義できるわけでもない事にある。

幸運な事に、これら量子力学で用いる作用素は「稠密に定義された可閉作用素」という、比較的扱いやすいクラスに属している事が知られている。そこで本節では、まず「稠密に定義された」という概念と「可閉」という概念を定式化する。

次に本節では、この「稠密に定義された可閉作用素」の概念をベースとして、量子力学におけるオブザーバブルの概念を定式化する。すなわち、稠密に定義された可閉作用素の共役作用素の概念を定式化し、共役作用素の概念を用いて自己共役作用素の概念を定式化し、最後に量子力学におけるオブザーバブルの概念を自己共役作用素により定式化する。

稠密に定義された作用素[編集]

オブザーバブルは状態空間の全域で定義されているとは限らないが、状態空間の稠密部分集合上では定義が可能である。そこでまず、稠密に定義された作用素の概念を導入する。

定義 (稠密に定義された作用素) ―  をヒルベルト空間とする。の部分集合Dom(T)で定義された線形作用素稠密に定義されているとは、Dom(T)の稠密部分集合である事をいい新井(p71)、以下のように書き表す。

 (稠密に定義されている)

紛れがなければ上稠密に定義された作用素を単に

 

と書く[注 2]

特にが成立しているとき、T全域で定義されているという。

稠密に定義された作用素に対し以下の拡大の概念を定義できる:

定義 (稠密に定義された線形作用素の拡大) ―  稠密に定義された2つの線形作用素が、 Dom(S) ⊂ Dom(T) かつT|Dom(S) = Sを満たすとき、TS拡大であるといい、以下のように書き表す:

ST

有界作用素に関しては、次の重用な性質が知られている:

定理 (BLT定理) ―  稠密に定義された作用素 Tがその定義域において有界な線形作用素であれば、Tを全域に一意に拡張可能である。すなわち、全域で定義されたが一意に存在し、である新井(p71)

したがって有界作用素に限定すれば、稠密に定義されている事は全域で定義されている事と実質的な差がない。しかし量子力学で用いる作用その多くは有界ではないので、この定理を用いる事ができない。

可閉作用素[編集]

定義 (閉作用素、可閉作用素、閉包作用素) ―  稠密に定義された線形作用素が以下を満たすとき、T閉作用素であるという:

点列となる(φ,χ)を持てば、であり、しかもχ=T(φ)が成立する新井(p86-87)。 

また稠密に定義された線形作用素が、拡大Sが閉作用素であるものを持つとき、T可閉作用素であるという新井(p86-87)

Tが可閉作用素であるとき、Tの拡大線形作用素で上記の性質を満たす(包含関係に関する)最小のものが必ず存在することが知られており、T閉包作用素という新井(p86-87)


Tが可閉作用素である必要十分条件は、任意の点列ψn∈Dom(T)に対し、n→∞のときψn→0かつT(ψn)→χであればχ=0が成立する事である新井(p87)

共役作用素[編集]

を稠密に定義された線形作用素とする。ベクトルに対し、以下の性質を満たすを考える:

任意のに対し、 

このようなは常に存在するとは限らないが、存在すれば一意である事を示せる新井(p82-83)[注 3]。そこで共役作用素を以下のように定義する:

定義 (共役作用素) ― 

上述の性質を満たすが存在する

とし、線形写像T*

により定義し、T*T共役作用素という新井(p82-83)

定義より明らかに

任意のに対し、

であるが、Tが有界とは限らない時、Tが稠密に定義されていたとしてもT*が稠密に定義されることもT**Tの定義域が一致する事も無条件には保証されない新井(p83-84)が、Tが可閉であればこれらは保証される:

定理 ―  Tが可閉であれば以下が成立する:

  • T*が稠密に定義される⇔Tが可閉作用素新井(p90)

自己共役作用素とオブザーバブル[編集]

定義 (自己共役作用素とその関連概念) ―  をヒルベルト空間とし、を稠密に定義されているとは限らない線形作用素とする。

  • 任意のφ, ψ∈Dom(T)に対し、が成立するとき、Tエルミート作用素という新井(p102)
  • Tが稠密に定義されたエルミート作用素であるとき、T対称作用素であるというH13(p56)
  • Dom(T) = Dom(T*)を満たす対称作用素T自己共役作用素という新井(p102)
  • Tが可閉作用素で、その閉包が自己共役であるとき、T本質的に自己共役であるという新井(p165)

量子力学では以下の仮定を課す:

仮定 (オブザーバブルに関する仮定) ―  量子力学におけるオブザーバブルは自己共役作用素として表現される。

自己共役作用素とその関連概念の性質[編集]

明らかに次が成立する:

命題 ― 

Tは自己共役作用素⇒Tは対称作用素⇒Tはエルミート作用素

しかし逆向きは一般には成り立たない。与えられた作用素が自己共役かどうかを決定する問題を自己共役性の問題といい、それだけで一冊の本が書けるほど難しい問題である新井(p228)

自己共役作用素とその関連概念に対し以下が知られている:

定理 ― 

  1. Tは本質的に自己共役作用素なら、Tの閉包は自己共役であり、しかもTの拡大で自己共役なものはに限るH13(p173)
  2. Tがエルミート作用素なら、共役作用素T*Dom(T)上で定義でき、しかもをDom(T)上でT*=Tである。      …(B1)
  3. Tが対称作用素⇒Tは可閉作用素      …(B2)
  4. Tが自己共役作用素⇒Tは閉作用素
  5. Tが対称作用素⇒かつ新井(p90,101)

上記定理の性質3はTが可閉作用素である必要十分条件はT*が稠密に定義されることと性質2から従う新井(p90)

性質1より、以下本項ではTが本質的に自己共役な場合には、紛れがなければTを混用する

自己共役作用素は必ず掛け算作用素として表現できる事が知られている:

定理 (掛け算作用素によるスペクトル定理H13(p207)) ―  を自己共役作用素とする。このときσ-有限英語版な可測空間(X,μ)とユニタリ作用素と可測な実数値関数が存在し、TU:=UTU-1とすると以下が成立する:

オブザーバブルの具体例[編集]

本節では

 

の場合に対して、オブザーバブルの具体例を述べる。

微分作用素[編集]

量子力学で登場する代表的なオブザーバブルは、いずれも偏微分を用いて表現できるので、まず本節では微分作用素の定義と性質を述べる。

定義 (微分作用素) ―  非負整数α1、…、αd≧0からなるベクトル(α1、…、αd)に対し、

とする(この記法を多重指数表記という)。

 

の形で書ける作用素をm次の微分作用素という。ここで添え字αは非負整数の組で、和は有限和であり、ψα(x)Rd上の複素数値の局所自乗可積分な関数である。なおDの定義において、α1=…=αd=0の項ψ0(x)倍する演算子とみなす。

本節の目標は、微分作用素Dのうち性質の良いものを上定義されたオブザーバブルとみなす事である。しかしそもそも偏微分が可微分でなければそもそも定義できないので、単純にDの元に作用させることはできない。そこで以下の事実を用いる:

定義・定理 (C
0
(Rd)
における稠密性
)
 ―  の部分集合C
0
(Rd)

C級関数 s.t. ある有界閉集合Kが存在し、ψRdK上で恒等的に0である  

と定義すると次が成立する:

C
0
(Rd)
の稠密部分集合である新井(p43) 

微分作用素DC
0
(Rd)
上で明らかに定義可能であり、しかもC
0
(Rd)
の元をL2(Rd)に写すので、以下の系が従う:

 ―  微分作用素D上稠密に定義された線形作用素とみなす事ができる。

位置作用素[編集]

定義 (掛け算作用素・位置作用素) ―  実数値可測関数

に対して線形作用素Mf

 

と定義し、Mfの閉包を掛け算作用素という。ここで

 

である。

特にj = 1,...,df(x)=xjという形の掛け算作用素を第j位置作用素という。

定理 ―  掛け算作用素は自己共役作用素である。

上記の定理は以下のように証明できる。可測性から

 

なのでMfは稠密に定義された作用素であり、しかも明らかにMfは対称作用素である。さらにとすれば、任意のに対し、をみたすので、

 

である。の任意性より、これは a.eを意味する。χ自乗可積分性Dom(Mf)の定義より、である。よってDom(Mf*)=Dom(Mf)であり、掛け算作用素Mjは自己共役作用素である。

運動量作用素、軌道角運動量作用素[編集]

定義 (運動量作用素) ―  線形作用素

 

の閉包を第j運動量作用素という。

定理・定義 ― jに対し第j運動量作用素Pjは本質的に自己共役である。より一般に

   …(A1) 

という形で書ける微分作用素は本質的に自己共役である新井(p198)。特に

 

の閉包として書ける軌道角運動量作用素も自己共役である。


(A1)の形の微分作用素Dが自己共役である事の証明は本項の範囲を超えるため省略するが、Dが対称作用素である事は以下のように示すことができる。φ, ψ ∈C
0
(Rd)
に対し、部分積分の公式から

 

である。(A1)の形の微分作用素はの実数係数多項式であるので、

 

が成立する。Dの定義域C
0
(Rd)
で稠密だったので、これはDが対称作用素である事を意味する。

シュレディンガー作用素[編集]

量子力学では時刻tに依存するかもしれないポテンシャルと呼ばれる実数値局所可積分関数V(x,t)を固定し、シュレディンガー作用素と呼ばれる作用素

 

を考える。ここでmjは何らかの定数で、物理的にはj番目の粒子の質量を表す。またlは次元であり、物理学的なセッティングでは3である。各時刻tに対しシュレディンガー作用素は常に対称作用素であるが新井(p227)、本質的に自己共役であるか否かはポテンシャルによる。

定理 (時間非依存かつ一粒子のシュレディンガー作用素の自己共役性) ―  時間非依存かつ一粒子のシュレディンガー作用素

 

に関しては、以下の条件をみたすときには本質的に自己共役であるP01(p82)

を満たす非負かつ非減少な連続関数Q(r)となるものが存在する。 

また時間非依存かつ一粒子のハミルトニアンが以下の条件を場合もハミルトニアンは本質的に自己共役であるP01(p88)H13(p192)

で、しかも 

ここでの元との元の和で書ける関数の集合である。

超関数によるデルタ関数の定式化[編集]

量子力学を定式化するため、ディラックデルタ関数

 

を導入した。数学的に見た場合、このような「関数」は存在しないものの関数概念を一般化した「超関数」の概念を使う事でデルタ関数を数学的に定式化でき、これによりディラックの議論をある程度の部分まで数学的に正当化ができる(全ての議論を正当化できるわけではない。詳細後述)。そこで本稿では超関数の概念を導入し、デルタ関数を超関数の概念を使って定式化し、超関数の性質を調べる。

準備[編集]

本節では超関数の概念を定式化するのに必要な概念を導入する。

C
0
(Ω)
[編集]

定義 (C
0
(Ω)
)
 ― Rdの領域ΩRdに対し、

C級関数 s.t. ある有界閉集合KΩが存在し、ψΩK上で恒等的に0である  

とする。 さらにα=(α1,...,αd)β=(β1,...,βd)に対し、及びC級関数ψ : RdCに対し、

 、ここで

と定義する。C級関数ψ : RdC

任意のα=(α1,...,αd)β=(β1,...,βd)に対し、 

という性質を満たすとき、ψ急減少関数といい、Rn上の急減少関数全体の集合と書き、シュワルツ空間というF15(p109)

性質[編集]

明らかに

である。また前述したようにC
0
(Rd)
L2(Rd)の稠密部分空間なので、次の事実が成り立つ:

L2(Rd)の稠密部分空間である新井(p190-191)

定義から明らかなようには次を満たす

ψ(x1,...,xn)∈なら、任意のα=(α1,...,αd)β=(β1,...,βd)に対し、

よって特に、位置作用素や運動量作用素はの元をの元に写す。

収束[編集]

C
0
(Ω)
の元の列およびの元の列の収束性を定義する。

定義 ―  以下の2条件を満たす時、C
0
(Rd)
の元の列{φn}C
0
(Ω)
の元φ収束するというF15(p103)

  • nに依存しない有界閉集合KΩで、supp φnKが任意のnに対して成立するものが存在する。
  • 任意のβ=(β1,…,βn)に対し、が成立する。

また以下の性質が満たされているとき、の元の列{ψn}の元ψ収束するという:

任意のα=(α1,...,αd)β=(β1,...,βd)に対し、 

超関数の定義[編集]

シュワルツ超関数の定義[編集]

ΩRdの領域とし、ψ : ΩCを局所可積分関数とするとき、C
0
(Ω)
上の線形汎関数Tψ

、 

により定義することで、局所可積分関数ψC
0
(Ω)
上の線形汎関数Tψを対応させる事ができる。この対応関係が単射な事は容易に確かめられるので、ψTψを自然に同一視することにすると、C
0
(Ω)
上の線形汎関数の集合は局所可積分関数の集合を部分集合として含むことになるので、C
0
(Ω)
上の線形汎関数を局所可積分関数よりも広いクラスの「関数」であるとみなせる。そこでC
0
(Ω)
上の線形汎関数で「連続」なものの事を「シュワルツ超関数」、あるいは単に「超関数」と呼ぶことにする。

定義 (超関数) ―  線形汎関数

T : C
0
(Ω)→R

で連続なものをシュワルツ超関数、あるいは単に超関数という。 ここでC
0
(Ω)
上の線形汎関数T連続であるとは、C
0
(Ω)
の元の列C
0
(Ω)
の元に収束するときは常に

が成立する事を言うF15(p103)。 超関数全体の集合をと表記する。

2つの超関数に対してその線形和を自然に定義できるため、超関数全体の集合はベクトル空間をなす。同様に緩増加超関数を以下のように定義する:

定義 (緩増加超関数) ―  線型汎関数

で、の元の列{ψn}の元ψに収束するなら

を満たすものを連続であるといい、からCへの連続な線型汎関数を緩増加超関数といい、緩増加超関数全体の集合をと書き表す。

以下、超関数Tと局所可積分関数ψに対し、

と表記する。緩増加超関数に対しても同様の表記を用いる。なお上述の表記は内積に似ているが、内積の定義では複素共役を取っている事が原因で、

となることに注意されたい。

超関数と緩増加超関数の関係[編集]

Tを緩増加超関数とするとき、Tの定義域をの部分集合C
0
(Rd)
に制限した

は超関数になる。よって制限写像により緩増加超関数全体の集合から超関数全体の集合への写像

を考える事ができる。この写像は単射である事が知られているので、この写像により自然にの部分集合とみなすことができる。

デルタ超関数[編集]

ディラックのデルタ関数の概念は、緩増加超関数の概念を用いて定式化する事ができる。

定義 (デルタ超関数) ―  ΩRd開集合とするとき、以下のように定義される超関数をデルタ超関数という:

、 

内積の定義より、これは

を意味する。上式をL2空間における内積の定義と照らし合わせると、上式はディラックの議論における

を数学的に正当化したものとみなせる。

超関数の偏微分[編集]

超関数に対する偏微分の概念を定義する為、まずはC
0
(Ω)
の元の偏微分に関して簡単な考察をする。φψC
0
(Ω)
の2つの元とするとき、C
0
(Ω)
の定義よりφ(x)ψ(x)が0でないxの集合は有界閉集合であるのに対し、ΩRd開集合であるので、Ωの境界上ではφ(x)ψ(x)は0になる。よって微分積分学の基本定理から、

が成立する。よってライプニッツルールにより

が成立する。そこで上式を参考にして、超関数の偏微分を以下のように定義する:

定義 (デルタ超関数) ―  超関数T偏微分

により定義する。

C
0
(Ω)
の元は無限回微分可能なので、上記の定義は常に意味を持つ。より一般に微分作用素を

も定義可能である。

ここで注意すべきことは、局所可積分関数ψそれ自身が偏微分不能な関数であっても、は定義可能な事である。これはψの偏微分は通常の関数としては存在しなくとも、超関数の中にはψ(と同一視されるTψ)の偏微分が存在する事が原因である。紛れがなければ以下の事を単にと書き、ψ超関数としての偏微分と呼ぶ。

また通常の関数の場合、仮に二階偏微分可能であってもが異なる関数になる場合があるが、超関数としての微分を考えた場合、は必ず同一の超関数になる事を簡単に確認できる。

限界[編集]

以上で示したように、超関数の概念を用いる事でディラックによるデルタ関数の議論の一部を数学的に正当化できるが、超関数を用いても全ての議論を正当化できるわけではない。例えば以下の議論は超関数では正当化されない:

  • 公式:そもそも超関数同士の積は定義不可能である。(詳細はシュワルツ超関数の項目を参照されたい)
  • C
    0
    (Ω)
    以外のL2空間の元とデルタ関数との内積を取ること:前述した内積の定義は超関数とC
    0
    (Ω)
    の元との間にのみ定義されているので、C
    0
    (Ω)
    に属していない元とは内積を取れない。
  • デルタ関数は超関数であり、L2空間の元ではないので、デルタ関数をあたかも通常の状態ベクトルであるかのように扱う議論は必ずしも正当化できない。

弱微分[編集]

関数ψの超関数としての微分が関数で書けるとき、その関数をψの弱微分という:

定義 (弱微分) ―  ΩRd開集合とする。局所可積分関数ψχ : ΩCに対応する超関数Tψ、Tχ

を満たす時、χψ弱微分であるとい、

と表記する。

定理 (運動量作用素の定義域) ―  運動量作用素(の閉包作用素)Pjの定義域は以下のように書くことができる:

フーリエ変換[編集]

本節では、関数 f: RCフーリエ変換

とその逆変換に当たるフーリエ逆変換

の厳密な定義を述べ、その性質を調べ、そして最後に位置作用素と運動量作用素が(換算プランク定数を除いて)フーリエ変換で移り合う関係にある事を見る。

フーリエ変換とその逆変換を定義する上で問題になるのは、fgがどのようなクラスに属すればこれらの変換が定義でき、変換によってできあがる関数がどのようなクラスに属するか、という事である。本節ではまずシュワルツ空間という関数空間のクラスを定義し、フーリエ変換がシュワルツ空間上の全単射になっている事を示す。次に本節では、シュワルツ空間上の線型汎函数である「緩増加超関数」に対してもフーリエ変換が定義可能なことを見る。そして最後にフーリエ変換がL2空間上の全単射になっている事を見る。

の上のフーリエ変換[編集]

上のフーリエ変換[編集]

次が成立する事を簡単な計算で確かめることができる:

定理 ―  フーリエ変換とフーリエ逆変換は上定義可能である。しかもこれらの変換は上の全単射であり、フーリエ変換とフーリエ逆変換は逆写像の関係にあるF15(p112)

またこれらの変換は連続である:

定理 ―  の元の列{ψn}の元ψに収束するなら、が成立するF15(p112)

シュワルツ関数の埋め込み[編集]

に対し、超関数の時と同様

と定義する事で、シュワルツ関数に緩増加超関数Tψを対応させることができる。

定理 ― 写像

は単射かつ連続で、しかもその像は値域において稠密であるM07(p17)