進藤晶子

しんどう まさこ
進藤 晶子
プロフィール
本名 深堀 晶子
出身地 日本の旗 日本 大阪府豊中市
生年月日 (1971-09-10) 1971年9月10日(52歳)
血液型 O型
最終学歴 慶應義塾大学大学院
メディアデザイン研究科修士課程修了[1]
職歴TBSアナウンサー
活動期間 1994年 -
ジャンル 報道・情報・バラエティ
配偶者 深堀圭一郎
公式サイト 公式サイト
出演番組・活動
出演中がっちりマンデー!!
出演経歴ランク王国
筑紫哲也 NEWS23
JNNニュースの森』など

進藤 晶子(しんどう まさこ、1971年9月10日 - )は、日本フリーアナウンサー。本名:深堀 晶子(ふかぼり まさこ、旧姓:進藤)。

来歴・人物

大阪府出身[注釈 1]。 実家は医院で、学生時代は家業を継ぐことも考えたが、医師になるための学力(主に理科系科目)が及ばなかったとのこと。聖母被昇天学院高等学校神戸松蔭女子学院大学卒業後、1994年4月、TBSにアナウンサー29期生として入社(同期入社には長岡杏子[2][3]

TBS時代

1995年放送開始の『ランク王国』では初代司会を務め、アニメーションのキャラクターなどに扮する「コスプレ」を披露して人気を得た[4][注釈 2]。なかでも『セーラームーン』の姿をした非売品の番組特製テレホンカードを製作したところ、応募が殺到し、プレミアがついた時期もあった。

『ランク王国』と並行して、週末の『JNNスポーツ&ニュース』のキャスターを務め、さまざまなバラエティ番組にも出演する。1997年秋『筑紫哲也 NEWS23』のスポーツキャスターに起用されると、たちまちアイドル的な人気を得るようになる。そのため週刊誌などの活字メディアの格好の取材対象にもなり、毎週のように憶測混じりの記事(「社内いじめがあったのではないか」等)が掲載された。

1999年秋に『JNNニュースの森』のメインキャスターに起用されるが、2001年3月番組を降板し、同時期に退社が発表される。大量に残していた有給休暇を消化し、同年9月に退社[注釈 3]。退社に際して『文藝春秋』に手記を発表して、社内いじめがあったことを告白して話題となった[7]

フリー後

短期間のアメリカ留学後、2003年に日本テレビの番組『雲と波と少年と』に出演したが、低視聴率と番組スタッフの不祥事(飲酒運転による交通死亡事故)により2か月ほどで打ち切られた。そのほかでは、TOKYO FMBeautiful Hit Magic』やWOWOWのテニス中継のメインキャスターを務め、『儲かりマンデー!!』と後身である『がっちりマンデー!!』の司会や2002 FIFAワールドカップのキャスターなどで古巣のTBSの画面に久々に登場した。

2005年4月から母校・神戸松蔭女子学院大学で非常勤講師を務める。局アナ時代からの『週刊アスキー』の連載をはじめ活字メディアでも活躍し、文芸誌『きらら』(小学館)2005年6月号に、初の小説『太郎くんの玉』を発表した。

私生活では、スポーツニッポンに一面で誤報(スポーツニッポン#事実の誤認などで物議を醸した報道を参照)を流されるというアクシデントがありながらも、2006年2月、長年交際を続けていたプロゴルファー・深堀圭一郎と結婚[4]2007年3月15日に第1子の女児を帝王切開で出産した。

出演番組

TBS時代

フリー後

TVCM

イメージキャラクター

  • CABIN 「アンラシーネ」(2008年1月 - 2010年1月)

著書

各種メディア連載

  • 朝日新聞夕刊スポーツ面 インタビュー「戦士のほっとタイム」(2003年1月 - 2006年12月)
  • 三菱商事グループ広報誌「MC+」(2005年3月 - 2007年1月)
  • GLAMOROUS(講談社)「Event concierge」(2006年1月 - 2007年5月)
  • 週刊アスキー 「進藤晶子のえ、それってどういうこと?」(2000年11月 - 遅くとも2014年)
    連載そのものは2014年まで続いたが、進藤は途中で降板。
  • 小林製薬 Real Laboブログ(2006年9月 - 2007年8月 )

脚注

注釈

  1. ^ 2003年以前の出身地は公称兵庫県姫路市出身。
  2. ^ 当時は秋葉原がまだ「電気街」でパソコンショップが隆盛だった時代であり、コスプレはまだそれほど認知されている文化ではなく珍しかった。ちなみに、本人はコスプレを強要されて嫌だったという。
  3. ^ 『TBS50年史』では「2001年3月退社」となっている[5][6]

出典

  1. ^ “Masako Shindo offical website”. http://shindomasako.jp/profile/ 2014年8月10日閲覧。 
  2. ^ 東京放送 編「III.放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、240頁。"1994.4<29期生> 2人入社(女2) 進藤晶子 長岡(畑)杏子"。 
  3. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、32頁。"94.4<29期生>2人入社 進藤晶子 長岡(畑)杏子"。 
  4. ^ a b “進藤晶子アナ妊娠3カ月“波乱”の8年乗り越えて…”. ZAKZAK (夕刊フジ). (2006年10月28日). オリジナルの2013年6月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130627000549/http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_10/g2006102801.html 2013年9月19日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f 東京放送 編「III.放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、240頁。"進藤晶子[2001.3退社] R「上岡龍太郎のサタデー・ぴぷ!(1994)」「午後はど〜んとマインド(1994)」 TV「ミッドナイト美女図鑑」「上岡龍太郎がズバリ」「ニュースの森」"。 
  6. ^ a b c d e f 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、32頁。"進藤晶子…(01.3退社) R「上岡龍太郎のサタデー・ぴぷ!(94)」「午後はど〜んとマインド(94)」 TV「ミッドナイト美女図鑑」「上岡龍太郎がズバリ」「ニュースの森」"。 
  7. ^ 「手記 私、女子アナを卒業します--「商品価値が下がった」--その一言に固まった」『文藝春秋』第79巻第5号、文芸春秋、2001年5月号、182-189頁。 
  8. ^ 『ぎぼむす』×『がっちりマンデー!!』がコラボ ベーカリー麦田が大企業に!?”. ORICON NEWS. 2021年12月22日閲覧。

参考文献

  • 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。 

関連項目

外部リンク