通商司

通商司(つうしょうし)とは、明治政府の経済官庁。通商司は、1869年から廃止される1871年の間、貿易事務管理機構として設立されたものであった。しかし、本来の貿易事務管理業務以外に、国内の商業・金融・開運・物価調整・産業貿易関係法の立案など、広範囲な業務に携わった[1]

為替会社と通商会社[編集]

通商司は、商法司の権限を引き継ぎ、外国貿易や国内の通商全般を統一的に掌握することに努めた。 三都および開港場などの要地には、府藩県が商業会所を建設することは、市場の流通を阻害するものであるという理由で、一切撤廃することを通達している[2]。 そして、三都および開港場に特権的な権限を持つ組織として、為替会社と通商会社を設置した。通商会社は商業振興や国内諸商品売買の仲介・外国貿易を統括し、為替会社では預金紙幣発行・資金貸出・為替・洋銀・両替などの金融業務を管轄した。 通商会社・為替会社は、加入に制限がなく、それぞれが差し出した身元金に対し、月一歩(1%)の利息と利益配当が受けられ、株券譲渡も自由であった。これは、不十分ながらも「株式会社形態」の先駆であり、殊に為替会社は、東京京都横浜大津大阪新潟神戸敦賀の8ヶ所に設置され、後の民間銀行設立に向けて大きな役割を果たした。

通商司の廃止[編集]

1871年7月、事務を大蔵省に引き継ぎ、解散された。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 高柳光寿、竹内理三「角川日本史辞書」、角川書店、1979年10月。 
  • 岡田俊平『紀要18号(商法司・通商司による通貨供給政策)』(レポート)1963年11月。 

関連項目[編集]