袁大化

袁大化
プロフィール
出生: 1851年咸豊元年)
死去: 1935年民国24年)
出身地: 安徽省潁州府渦陽県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 袁大化
簡体字 袁大化
拼音 Yuán Dàhuà
ラテン字 Yüan Ta-hua
注音二式 Yuán Dàhuà
和名表記: えん だいか
発音転記: ユエン ターホワ
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袁 大化(えん だいか)は、清末民初の政治家。中華民国の初代新疆都督。行南

事績[編集]

清代の廩生(秀才)。漠河金鉱総弁から始まり、山東按察使河南布政使等を歴任した。1910年宣統2年)11月、山東巡撫使に任命される。翌年、新疆巡撫に任命された[1]

1912年民国元年)1月7日、イリ革命党の楊纘緒らが辛亥革命に呼応して挙兵した。袁大化は新疆提法使楊増新にこれを鎮圧させようとしたが、楊増新は迪化(ウルムチ)に駐屯したまま動こうとしなかった。同年3月、袁大化は袁世凱からそのまま新疆都督に任命されたが、もはや省内の統制をとれる状態には無かった[2]。まもなく袁大化は自ら辞職し、後任にカシュガル道台の袁鴻祐を推薦した。ところが、袁鴻祐は着任前に哥老会の刺客に暗殺されてしまう。袁大化は楊増新を後任新疆都督に改めて推薦した後、逃走した[3]

1917年(民国6年)7月、張勲復辟の際に、袁大化は内閣議政大臣に任命された。復辟失敗後は、天津で蟄居状態となる[1]1931年(民国20年)、日本軍から満州国への参加を呼びかけられたが、袁大化は「一臣は二主に事(つか)えず」と答え、これを拒否した[4]1935年(民国24年)死去。享年85[1][4]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 徐主編(2007)、1101頁。
  2. ^ 陳(2000)、112-113頁。
  3. ^ 陳(2000)、113頁。
  4. ^ a b 阜陽市地方志編纂委員会(1999)。

参考文献[編集]

  • 阜陽市地方志編纂委員会編『阜陽地区志』方志出版社、1999年。ISBN 7801221036 
  • 陳寧生「楊増新」中国社会科学院近代史研究所『民国人物伝 第10巻』中華書局、2000年。ISBN 7-101-02114-X 
  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
 
先代
何彦昇
新疆巡撫
1910年 - 1912年
次代
(廃止)
 中華民国の旗 中華民国北京政府
先代
(創設)
新疆都督
1912年3月 - 4月
次代
袁鴻祐
  張勲復辟
先代
(創設)
内閣議政大臣
1917年7月
次代
(廃止)