衍氏の戦い(えんしのたたかい)は、紀元前238年(秦王政9年)に発生した戦い。秦の楊端和が魏の衍氏を落とした[1]。秦の統一戦争前の小規模な戦争である。
秦王政は嫪毐の反乱を鎮圧し[2]、呂不韋を失脚させ国の実権を手に入れた。秦王政は中華を統一する為に、楊端和に魏の衍氏攻略を命じた。戦闘の経緯は不明だが、楊端和は衍氏を落とした[1]。
- ^ a b 《史記・秦始皇本紀》:九年,楊端和攻衍氏。
- ^ 《史記・秦始皇本紀》:長信侯毐作乱而覚,矯王御璽及太后璽以発県卒及衛卒・官騎・戎翟君公・舎人,将欲攻蘄年宮為乱。王知之,令相国昌平君・昌文君発卒攻毐。戦咸陽,斬首数百,皆拜爵,及宦者皆在戦中,亦拜爵一級。毐等敗走。即令国中:有生得毐,賜銭百万;殺之,五十万。尽得毐等。衛尉竭・内史肆・佐弋竭・中大夫令斉等二十人皆梟首。車裂以徇,滅其宗。及其舎人,軽者為鬼薪。及奪爵遷蜀四千餘家,家房陵。