虎造アワー

虎造アワー(とらぞうアワー)とは、日本民放ラジオ開局期に、2代目広沢虎造浪曲を演じて人気を博した、ラジオ東京(TBSラジオの前身)系列の番組枠の総称である[1]。週1回の連続読みで好評を博した。

概要[編集]

戦前、NHKでの年数回の出演以来人気のあった虎造が、民間放送に初出演・レギュラー出演した番組である。

ラジオ東京開局翌日の1951年12月26日(水曜日)より、21:30 ー 22:00の30分枠で、虎造の『浪曲次郎長伝』の連続放送が始まったのが最初で、やがて放送曜日・時間は変遷した。

上記枠のスポンサーは日産化学一社提供。第1回は虎造の十八番である「石松代参」の場(森の石松讃岐の金比羅さんに次郎長の代参として向かう粗筋)であった。この枠は途中から開始が1時間早い20:30からとなったのち、1952年6月25日(水曜日)に終了。

上記の枠とあわせ、1951年12月27日以降、毎週木曜日12:30 ー 12:55にも、虎造による浪曲放送の枠が設けられ、上記枠の終了後も、1961年11月2日まで続いた。スポンサーは山口自転車[注釈 1]の一社提供(最終回直前の1961年5月27日まで)。

1951年の世論科学協会調査による聴取率調査では、独走トップの34パーセントの高聴取率を記録した[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 山口自転車は新潟放送の木曜20時から30分の「虎造アワー」遅れネット(出典:『新潟放送十五年のあゆみ』1968年10月15日発行 p.74タイムテーブル)のスポンサーにもなっており、東京支社関係初期広告主の筆頭に挙がっている(出典:同書 p.83広告主一覧表)。

出典[編集]

  1. ^ 唯二郎『実録浪曲史』(東峰書房 1999年)p.306
  2. ^ 『実録浪曲史』p.218。同局2位は『ミリオンゲーム』『味の素 ミュージックレストラン』の15パーセント。同日のNHK『放送演芸会 夢声百話』は35パーセント。

参考資料[編集]

  • 東京放送(編)『TBS50年史 資料編』(東京放送 2002年1月)p.98, p.189
  • 東京放送社史編集室(編)『東京放送のあゆみ』(東京放送 1965年5月)pp.442-443