虎舞

釜石市の虎踊(北上・みちのく芸能まつり
釜石市の虎踊(北上・みちのく芸能まつりの最中に、ホテルのロビーで「笹食み」を演じて門付

虎舞(とらまい)は虎舞い(とらまい)、虎踊り(とらおどり)、タイガーダンスなどともいい、世界各地でに扮装した者が主役または脇役踊りである。

アジア[編集]

インド[編集]

日本[編集]

虎舞は東北の太平洋岸に多く分布し、火伏せや航海安全に関する信仰として伝承されており、八戸市内では鮫・湊・小中野・新井田などいくつかの地域に虎舞が伝えられている。八戸三社大祭では行列の中で披露され、アクロバティックな演技を見せる。虎に頭を噛まれると無病息災のご利益があるとされている。[1]
南部町名川、おいらせ町百石、九戸村伊保内、同戸田、軽米町などでは「南部虎舞」と呼ばれるものが神輿渡御などに随行し、観客の頭を噛んで回る。
歌舞伎芝居「国性爺合戦」の虎退治の場面が虎舞のルーツとされる[3]。大槌町の吉里吉里虎舞は、江戸時代に交易により莫大な富を築いた豪商・吉里吉里善兵衛が隆盛していたころ、国性爺合戦を江戸で観た千石船の乗組員たちが郷土で再現してみたのが始まりと言われる[4]
また、大槌町などの虎舞は、歌舞伎芝居「国性爺合戦」などの虎退治の場面が虎舞のルーツとされていて、実際に虎退治の場面を再現したものもある。これは山田町境田虎舞にも同じ和藤内の虎退治の場面がある。大槌町の他の虎舞は、虎の生態を細かく写した「跳ね虎」「笹噛み」「矢車」「甚句」(男踊り)この虎舞のルーツは、「漁師の達の船がいつ転覆するか分からない、遭難するかもしれないというので勇壮な虎にあやかり、勇ましい虎舞ができた。」という説と「ある武将が、兵隊の戦意向上のため、家臣たちに虎の着ぐるみをつけて踊らせ、そのまま虎舞になった。」という説が存在する。
「虎は千里行って、千里帰る」といった漁師町ならではの願いが込められている。
中学生の男子二人一組で虎になり、屋根の上に並んで火伏の祈祷舞を演じる[6]
梯子虎舞の「波板虎舞」「松圃虎舞」、階上地区の「明戸虎舞」は県指定無形文化財。ほか「平磯虎舞」「磯草虎舞」などが代表的で、市内に約10の団体がある。
古三津虎舞は、三津厳島神社の秋祭りで奉納される伝統芸能。後の松山城初代城主加藤嘉明が、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に虎狩りをしたという言い伝えを再現している。[8]

参照項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 八戸三社大祭の行列を彩る郷土芸能 虎舞 青森県 八戸市まちづくり文化スポーツ観光部/観光課
  2. ^ 釜石市大槌町の虎舞の由来
  3. ^ 片岸虎舞、待ちわびた復活 岩手・釜石 朝日新聞、2012年10月16日
  4. ^ 地域の再生と地域伝統文化・学校教育 : 岩手県・大槌町における「ふるさと科」の創造と吉里吉里中学校の「郷土芸能伝承活動」 宮前耕史、北海道大学、へき地教育研究 (68), 49-61, 2013
  5. ^ 末崎町の関中組虎舞い
  6. ^ 中新田の虎舞『郷土の伝統芸能』保育社、1991年、p132
  7. ^ 浦賀の虎踊
  8. ^ 年賀状発売、愛媛版「みきゃんと古三津虎舞」も 郵便局で記念式典:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2022年4月3日閲覧。