素意

素意(そい、生年不詳 - 嘉保元年(1094年))は、平安時代中期から後期にかけての歌人。俗名は藤原重経または成経藤原南家を出自とし、越前藤原懐尹の子[1]、または、宮内少輔藤原成尹の子で、権中納言藤原重尹養子。女流歌人の祐子内親王家紀伊の夫とされる。官位従五位下紀伊守官職紀伊守であったことから紀伊入道とも称される。

「六条斎院歌合」などに参加。康平7年(1064年)に出家し、延久3年(1071年大和国多武峰に移っている。永保3年(1083年)には和泉国寂静寺を開いている。なお「多武峰往生院歌合」の判者も務めている。

後拾遺和歌集』に7首、『千載和歌集』に1首が入集している。

脚注[編集]

  1. ^ 『多武峯略記』