蓮根 (板橋区)

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蓮根
町丁
地図北緯35度47分04秒 東経139度40分38秒 / 北緯35.784306度 東経139.677292度 / 35.784306; 139.677292
日本の旗 日本
都道府県 東京都の旗 東京都
特別区 板橋区
地域 志村地域
人口情報2023年(令和5年)10月31日現在[1]
 人口 18,281 人
 世帯数 9,574 世帯
面積[2]
  0.75378085 km²
人口密度 24252.41 人/km²
郵便番号 174-0046[3]
市外局番 03(東京MA[4]
ナンバープレート 板橋
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蓮根(はすね)は、東京都板橋区町名[5][6]。現行行政地名は蓮根一丁目から蓮根三丁目。住居表示実施済み。

地理[編集]

板橋区の北部に位置する。北端で新河岸川に接する。西で高島平、北で新河岸川を隔てて舟渡、東で坂下、南で相生町、南西で西台と隣接する。東辺および北部に都営地下鉄三田線、北部に高島通りが通じている。南北に長い町域を持ち、南側から一丁目・二丁目・三丁目に分かれ、一丁目・二丁目は主に住宅地、三丁目は小学校、商業施設のほか、新河岸川沿いに工場地帯が作られている。かつて三丁目地域で操業していた大規模工場の撤退後に建築されたマンションも見られる。二丁目の北部一帯はUR新蓮根団地(旧・日本住宅公団蓮根団地)である。

地形[編集]

荒川低地の沖積層からなり、全域がほぼ平坦である。

河川[編集]

  • 新河岸川
  • 前谷津川まえやつがわ(暗渠) - 地下鉄蓮根駅の案内図には「蓮根川緑道」が2ヶ所で見られるが、南側の相生町から坂下方面に至る川が蓮根川であり、現在の蓮根町域を流れていた北側の川は前谷津川と呼ばれていた。

地価[編集]

住宅地の地価は、2023年令和5年)1月1日公示地価によれば、蓮根2-25-7の地点で40万4000円/m2、 蓮根3-4-14の地点で41万7000円/m2となっている[7]

歴史[編集]

域内に原始時代の遺跡は発見されていない。 縄文海進期には、全域が水没していたため、志村、蓮沼、西台などの住民の漁撈の漁域となっていたと思われる。 その後、荒川沿いの沼沢地となり、中世から開拓が徐々に進み、降雨による荒川の水害を受ける地域でもあった。中世末期、氏神、稲荷などと水神を合祀した鎮守として、氷川神社を荒川近くに勧請した。 廃藩置県実施前は武蔵国豊島郡蓮沼村(後に分村により上蓮沼村かみはすぬまむら)および根葉村ねっぱむら。近隣の農地、原野を含め、将軍御鷹場とされた[8]。近世では、寛永寺寺領となってからは助郷役や鷹狩り運営は免除されていた。

志村の原(下の原、戸田の原)や、根原と呼ばれるの生い茂る低湿地の原野も多く残されており、中山道の荒川近辺にあった志村の原は、蓮沼村と根葉村の入会地であり、根原は根葉村域内の西側、徳丸が原と隣接した地域である。これらの原野は草刈場として利用されており、収穫されるは住民の現金収入の源であり、幕府直轄地となって収入から野銭、草銭を幕府に上納していた。幕末、西方に隣接した徳丸が原が、幕府などの銃砲用兵演習場として重用されたため、原野が踏み固められ秣場として利用できなくなった事により当地の需要が増した。

生産物はおもに野菜であり、物流は荒川渡船場までの地上路から、水路で江戸市中へと運ばれた。中山道の戸田の渡しの南岸渡船場も域内にあった。渡船場と周辺地域は幕府が経営し、荒川北岸の下戸田村が渡船業務を運営していた。このため、渡船場を使っての江戸運上のつど、下戸田村に利用料を支払っていた。また域内には荒川降雨氾濫に対する小規模の水除堤が設けられていたとされるが、近代まで本格的な川堤は築かれなかった。

沿革[編集]

  • 1709年宝永6年):徳川幕府直轄領から寛永寺領となる。
  • 1717年享保2年):徳川吉宗将軍による鷹狩再開の命により、当地を含む志村の原・徳丸ヶ原地域が「戸田筋」に指定される。
  • 1718年(享保3年):徳川吉宗が戸田筋で鷹狩を行い、当地で雉追い鳥狩が行われた。
  • 1862年文久2年):蓮沼村が上蓮沼村と本蓮沼村に分村され、上蓮沼村が新設される(根葉村は以前から存在)。
  • 1871年明治4年)11月:浦和県(現埼玉県)から東京府に編入。大区小区制実施。
  • 1878年(明治11年):郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡上蓮沼村および根葉村となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日:市制町村制施行により志村と合併、東京府北豊島郡志村大字上蓮沼および大字根葉となる。
  • 1900年(明治33年):志村内での大字合併により、東京府北豊島郡志村大字蓮根となる。
  • 1921年大正10年):荒川流域改修工事の一環として、従来、現在の埼玉県和光市新倉で荒川に合流していた新河岸川を、現在の東京都北区志茂岩淵水門での合流につけかえるため、蓮根地域を通過する流路開削工事が始まる。
  • 1924年(大正13年):開削工事に伴い、流路付近の蓮根氷川神社を現在地(蓮根二丁目)に遷座。
  • 1925年(大正14年):1923年9月1日に発生した関東大震災後の帝都復興計画に伴い、東京都市計画区域内における市街地建築物法による住居・商業・工業地域の指定変更が行われる。北豊島郡志村全域が工業地域内甲種特別地区に指定され、化学薬品工場・危険物取扱工場の設立が可能になる。[9][10]
  • 1932年昭和7年)10月1日:東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区志村蓮根町となる(1943年8月1日 東京都制施行)。
  • 1933年(昭和8年):新河岸川開削工事が完成する。
  • 1938年(昭和13年):藤倉化学工業株式会社(現・藤倉化成)が志村蓮根町に創立する。
  • 1943年(昭和18年):山之内製薬(現・アステラス製薬)蓮根工場が志村蓮根町に開設される。
  • 1944年(昭和19年):新河岸川以北の地域が志村蓮根町から分離し、(旧)舟渡一丁目(現在の舟渡一丁目および二丁目)となる。
  • 1945年(昭和20年)4月13日:米軍爆撃機B29による空襲を受ける。
  • 1947年(昭和22年):志村蓮根町の大部分の地域が一丁目・二丁目・三丁目に分かれ、東京都板橋区(旧)蓮根一丁目~三丁目および志村蓮根町となる。
  • 1955年(昭和30年):国際興業バスが蓮根町折返場を設置(現在の地下鉄検車場停留所付近。蓮根三丁目28番地)。蓮根町 - 池袋駅東口および蓮根町 - 赤羽駅東口の路線バスの運行を開始[11]
  • 1956年(昭和31年)4月1日:蓮根小学校開校。
  • 1957年(昭和32年):日本住宅公団蓮根団地竣工、入居開始。
  • 1966年(昭和41年)5月1日:住居表示実施により(旧)蓮根一丁目~三丁目および志村西台町の一部を再編、(新)蓮根一丁目~三丁目および志村蓮根町となる。地下鉄6号線建設予定地以東の地域は坂下一丁目~三丁目に編入される。
  • 1968年(昭和43年)12月27日:都営地下鉄6号線開通、蓮根駅および西台駅開業。
  • 1969年(昭和44年)3月1日:志村蓮根町として残されていた地域を蓮根三丁目28番地として編入、現在の東京都板橋区蓮根一丁目~三丁目となる。
  • 1973年(昭和48年):藤倉化成工場が栃木県佐野市へ移転。跡地の研究開発部門も、1996年に埼玉県へ移転。
  • 1977年(昭和52年)8月19日:首都高速5号池袋線北池袋出入口 - 高島平出入口が開通。
  • 1978年(昭和53年)4月1日:蓮根第二小学校開校。
  • 1978年(昭和53年)ダイエー西台店開業。
  • 1985年(昭和60年)ダイエー西台店増築、2館体制となる。
  • 1991年平成3年):山之内製薬蓮根工場が茨城県高萩市へ移転。1997年に蓮根事業所開設。
  • 1991年(平成3年)~1993年(平成5年):蓮根団地老朽化により解体、新蓮根団地が建設される。

地名の由来[編集]

1900年の志村大字合併時に、上蓮沼村の「蓮」と根葉村の「根」を採って「蓮根」とした。

世帯数と人口[編集]

2023年(令和5年)10月31日現在(板橋区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
蓮根一丁目 1,649世帯 2,934人
蓮根二丁目 4,014世帯 7,573人
蓮根三丁目 3,911世帯 7,774人
9,574世帯 18,281人

人口の変遷[編集]

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[12]
16,452
2000年(平成12年)[13]
16,449
2005年(平成17年)[14]
17,023
2010年(平成22年)[15]
16,965
2015年(平成27年)[16]
17,419
2020年(令和2年)[17]
18,907

世帯数の変遷[編集]

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[12]
6,648
2000年(平成12年)[13]
7,126
2005年(平成17年)[14]
7,681
2010年(平成22年)[15]
7,915
2015年(平成27年)[16]
8,442
2020年(令和2年)[17]
9,284

学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)[18]

丁目 番地 小学校 中学校
蓮根一丁目 全域 板橋区立志村坂下小学校 板橋区立志村第三中学校
蓮根二丁目 1~27番
31番
板橋区立志村第六小学校
28~30番 板橋区立蓮根小学校
蓮根三丁目 1~13番
14~28番 板橋区立蓮根第二小学校

事業所[編集]

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[19]

丁目 事業所数 従業員数
蓮根一丁目 71事業所 328人
蓮根二丁目 248事業所 1,504人
蓮根三丁目 203事業所 2,570人
522事業所 4,402人

事業者数の変遷[編集]

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[20]
527
2021年(令和3年)[19]
522

従業員数の変遷[編集]

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[20]
4,017
2021年(令和3年)[19]
4,402

交通[編集]

鉄道[編集]

バス[編集]

  • 国際興業バス ※出入庫に伴う区間運行系統は省略。
    • 蓮根一丁目・志村健康福祉センター入口・西台交差点:赤02 志村坂下経由赤羽駅西口行き・成増駅北口行き、池20 池袋駅西口行き・高島平操車場行き
    • 環八高速下(旧称・志村高校裏):赤56 志村坂上経由赤羽駅西口行き・高島平操車場行き、東練02 志村三丁目駅行き・東武練馬駅行き、浮舟02 浮間舟渡駅行き ※ときわ台駅行きは停車しない。
    • 西台交差点南(旧称・志村高校前):赤56 志村坂上経由赤羽駅西口行き・高島平操車場行き、東練02 志村三丁目駅行き・東武練馬駅行き、浮舟02 ときわ台駅行き・浮間舟渡駅行き
    • 西台中学校・蓮根二丁目・西台駅・地下鉄検車場:池20 池袋駅西口行き・高島平操車場行き、赤56 志村坂上経由赤羽駅西口行き・高島平操車場行き、浮舟02 ときわ台駅行き・浮間舟渡駅行き
    • 蓮根三丁目・蓮根橋:浮舟02 ときわ台駅行き・浮間舟渡駅行き
  • 蓮根駅、および高島通りには路線バスの乗り入れは行われていない。赤羽駅火曜日土曜日平日ダイヤの月曜日金曜日深夜)1時10分発国際興業深夜バス赤73系統西高島平駅行き(1時27分着)および池袋駅火曜日~土曜日(平日ダイヤの月曜日~金曜日深夜)1時20分発国際興業深夜急行バス「ミッドナイトアロー号」中浦和駅行き(1時45分着)の2便のみが蓮根駅停留所に停車する。いずれも降車扱いのみ。

道路[編集]

橋梁[編集]

  • 舟渡大橋
  • 蓮根橋

施設[編集]

一丁目
  • ハスネバッティングセンター(2022年5月31日閉鎖)
  • 蓮華寺
  • 西京信用金庫蓮根支店
  • 蓮根みなみ公園
  • 蓮根ねっぱ公園
二丁目
  • 志村警察署蓮根交番
  • 志村健康福祉センター
  • 氷川神社
  • 稚竹幼稚園
  • サングリーンゴルフセンター(2020年11月30日閉鎖)
  • 植村冒険館(2021年12月に板橋区加賀に移転)
  • 中ノ郷信用組合板橋支店
  • 板橋蓮根郵便局 - 以前は蓮根団地北隣、高島通りに面した位置にあったが、2007年に新蓮根団地東側、蓮根駅近くに移転。
  • 蓮根バプテスト教会(日本バプテスト連盟)
  • 蓮根レインボーホール
  • 蓮根公園
  • 蓮根二丁目公園
  • 蓮根馬頭観音 - 蓮根二丁目28番地、新蓮根団地隣の高島通り沿いにある。
三丁目

その他[編集]

日本郵便[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 令和5年 町丁目別年齢別人口表 - 令和5年11月1日 町丁目別年齢別人口表(1歳刻み)” (CSV). 板橋区 (2023年11月2日). 2023年11月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ 『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2023年11月17日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b 蓮根の郵便番号”. 日本郵便. 2023年11月17日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年再版、P795
  6. ^ 『いたばしの地名』板橋区教育委員会、1995年、P189-190
  7. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査”. 国土交通省. 2023年11月17日閲覧。
  8. ^ 板橋区教育委員会『いたばしの地名』、1995年3月、P102-P104。
  9. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション「帝都復興事業誌 公園篇・建築篇」(復興事務局 編 1931年)P.63(コマ番号44)
  10. ^ 板橋区ホームページ「板橋区の工業の歴史(1)」
  11. ^ 池袋行きは熊野町まで現在の池20系統(高島平操車場 - 池袋駅西口)と同一の区間を走行。急行運転も行われていた。赤羽行きは志村坂下 - 区境 - 浮間橋 - 荒川放水路 - 岩淵町経由であった。
  12. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  13. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  14. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  15. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  16. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  17. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  18. ^ 板橋区立小中学校 住所別通学区域校一覧” (PDF). 板橋区 (2021年7月30日). 2023年11月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)
  19. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  20. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  21. ^ 郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。

外部リンク[編集]