草加有沢ボクシングジム

草加有沢ボクシングジム(そうかありさわボクシングジム)は、埼玉県草加市瀬崎に2025年3月末まで在った東日本ボクシング協会加盟ジムである。略称は有沢ジム草加有沢ジム草加有沢法人としての名称は有限会社有沢商店。初代会長・創始者は有澤二男

概要

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二男の長男有澤茂則は高校卒業直前の1965年2月に18歳で(草加に練習場構えていた時代の)協栄ボクシングジム所属プロボクサーとしてデビュー。ハードパンチャーとして活躍し(結果的に塗り替えられたが)ライト級4回戦での1R13秒の最短KOタイムや5試合連続1RKOの日本ボクシングコミッション(JBC)管轄興行における記録を保持していた[要出典]

1967年実業家・二男が協栄ジム創始者金平正紀から勧められ再度東京に移転することになった協栄ジムの旧練習場を買い取りボクシングジムの運営を開始し、更に自宅兼用の自社ビルの4Fに移転。1968年設立当初の名称は草加協栄ジム

2000年7月5日に二人の息子とトロイカ体制を構築していた二男が80歳で死去し、当時53歳の茂則が第2代会長に就任した。

2009年1月1日より茂則の2歳下の実弟で当時60歳でボクサー経験皆無ながら長年マネージャーとして実父と実兄を支えてきた有澤好男が第3代会長を務めていた。

フジテレビダイヤモンドグローブタイアップして自主興行「クリーンファイトボクシング」を開催し所属選手に試合出場の機会を多く与えて試合をさせた。

茂則の双子の息子カズコウジ有沢1990年代に人気になり、後楽園ホールを沸かせ、若い女性のプロボクシングファン増加に貢献した。

1998年3月、両国国技館でのチャンピオンカーニバルにおいて、当時スーパーフェザー級チェ・ヨンスが保持していたWBA世界王座かヘナロ・エルナンデスが保持していたWBC世界王座への事実上の挑戦者決定戦である史上最大の日本タイトルマッチチャンピオン・コウジvsチャレンジャー・畑山隆則」を実現させ、畑山の所属する横浜光と共に年間最高試合を受賞(同日のセミファイナルではカズが五月女利晴にKO負け)。兄弟揃って同年9月のジム開設30周年記念興行で再起戦、カズは翌年五月女に雪辱。

2000年12月、地元の草加市スポーツ健康都市記念体育館で(前月に木村鋭景の日本フェザー級王座挑戦し完敗)カズの引退試合として自主興行を開催。

また日本ボクシング連盟にも加盟しており、カズは花咲徳栄高等学校3年の1989年全日本高校フェザー級チャンピオンとなり国体も制覇し父の母校でもある日大スポーツ推薦で進学し全日本ボクシング選手権大会出場、初戦敗退ながらシドニーでの1991年世界ボクシング選手権大会ライト級日本代表選手となり3年で中退してコウジの後を追ってプロ転向した。

好男が2025年1月22日76歳で逝去し翌々月を以て廃業し東日本協会を退会。

カズ・コウジ以外のA級選手

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関連項目

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