結婚しようよ

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結婚しようよ
よしだたくろうシングル
初出アルバム『人間なんて
B面 ある雨の日の情景
リリース
規格 シングル・レコード / SONA 86-194
録音 杉並テイチクスタジオ
ジャンル フォークソング
時間
レーベル CBSソニー
作詞・作曲 よしだたくろう
チャート最高順位
  • 週間3位オリコン[1]
  • 登場回数31回(オリコン)
  • 売上42.2万枚(オリコン)
  • 1972年度年間14位(オリコン)
よしだたくろう シングル 年表
今日までそして明日から
(1971年)
結婚しようよ
(1972年)
旅の宿
(1972年)
人間なんて 収録曲
人間なんて
(1)
結婚しようよ
(2)
ある雨の日の情景
(3)
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結婚しようよ」(けっこんしようよ)は、日本の歌手、よしだたくろう(吉田拓郎)が1972年に発表したシングルである。

概要[編集]

それまでいわゆるアンダー・グラウンドの音楽と考えられていたフォークをメジャー・シーンに押し上げた楽曲で[2][3][4]、"J-POPの原点"とも評される[2]。この年2月に発生したあさま山荘事件の頃から全国的にヒットしはじめ[5]、春の訪れとともに順位を挙げて3月にオリコンチャート3位を記録し[6]、40万枚以上を売る大ヒットとなった[5]。 

楽曲解説[編集]

日本のフォークソングは、1960年代以降、カレッジフォークや、関西系のプロテストフォーク、アングラフォークといった流れがあり[7][8]、吉田拓郎は広島フォーク村という敢えて分類するなら、アングラフォークの流れから出て来た人だった[8][9]1970年に上京してラジオとコンサートを中心に活動して徐々に人気を高め[8][9]1971年第3回全日本フォークジャンボリーでの伝説のステージで一躍名声を高めた[8][10][11]。当時の拓郎はメッセージ性の強い曲で人気を博していたが[8]、突然の路線変更が本曲となる[8]。それまでの社会的なメッセージから離れ、拓郎が選んだのが最も個人的な題材である"結婚"だった[8]。当然従来のフォークファンからは批判され、ライブでは激しい"帰れコール"を浴びせられたが[8][11][12]、大ヒットし[8]、フォークソングがアンダーグラウンド占有物ではないことを証明し[8]、日本のフォークソングに新しい流れを生み出した[8]。また拓郎はこの年、フォークソングとは最も対極にあったはずのCMソングフジ・フイルム「HAVE A NICE DAY」を自作自演した[13]

歌詞そのままに拓郎はこの年6月に長野県軽井沢の「聖パウロ教会」で四角佳子結婚式を挙げた[4][14]。この曲はそれまでのプロテストの意味あいが強かったフォークのイメージを一変させた[15][16][17]。結婚は家と家との結びつきであるという考えがいまだ根強かった当時において「僕の髪が肩までのびたら結婚しよう」という男性の側からのプロポーズの描き方や、「春がペンキを肩にお花畑の中を散歩に来る」のようなカラフルな言葉づかいの歌詞は当時としては非常に斬新な内容で、手動式オルガン他を使ったアレンジ等、それまでのただギターをかき鳴らして自己主張を歌に託すフォークとは大きく異なっていた[18][19][20]。また、通常用いられない「V - VIm - I」というカデンツに「結婚しようよ」との言葉を乗せる構成により、どこか現実味のない空虚な印象を与える[21]学園闘争の敗北や、アメリカのヒッピー文化、フラワームーブメントが、日本に飛び火した時代を反映したものであることも、インパクトを与える一因であったと言われる[18][22]

さりげないラブソングの中に、既成の男らしさ女らしさのイメージを覆す歌詞[23]。1960年代の恋愛結婚の普及を受け、付き合ったら結婚するというのが当然だった1970年代の時代を反映した歌でもあった。男が女と同じくらいの長髪にする...という行為は、ラブソングながら一つの時代のメッセージ性を漂わせていた[5]。1980年以降は恋愛と結婚の分離、恋愛しても結婚しなくてもよい、恋愛は恋愛として楽しんでもかまわないという意識が普及していく[24]。大人を含む一般のリスナーは、男と女が同じ髪の長さになったら結婚する、という詞に驚き微笑ましく感じた。あれほど嫌われていた男の長髪がそれだけ一般に浸透し、受け入れられたということでもあった。一方で、反体制フォークを愛していたリスナーは、そのあっけらかんとしたプロポーズの歌詞に反発した。しかし拓郎のこの歌はモノを売る側にとって新たな巨大消費者層“ニューファミリー”の出現を祝う歌であった[25]

後年拓郎はこの曲を「ヒットさせるつもりで作った」と述べている[26][27]。拓郎はこの大ヒットで人気を得て“フォークのプリンス”などと騒がれ、若い女性らが会場を占拠した。その人気ぶりはGSブームの再来のようだったと言われた[28][29]。反体制のシンボルだったフォークが“若者のポップ・ミュージック”として一般的になるのは「結婚しようよ」の大ヒットからである[8][30]

評価[編集]

阿久悠は、フォークの精神性にはプロテストがあって、当初は、ゲバ棒をギターに持ちかえたかと感じるほど、過激に反社会性を訴えるものが多かったが、誰も彼もがギターを持って自分の歌を歌い、底辺がひろがるにつれて、抵抗の要素は失せて行った。見事に社会に安心され、認知されることにもなったが、「結婚しようよ」は、そうなることのシンボル的な歌ではなかったか、と論じている[31]。この頃には日本は既に政治の季節を終えていて、拓郎はその時代の好みを鋭敏に嗅ぎとったのである。「僕の髪が肩までのびたら結婚しよう」という求愛の言葉は、その裏に、挫折したものだけが知る鋭い痛みがある。当時髪を伸ばすというのは、ひとつの姿勢の象徴だった。若者は髪を長く伸ばすことによって、体制に組み込まれることを拒否した。この歌は体制とは別のところで、新しい社会を作ろうというアピールであり、その戦術論に多くの若者が共鳴したからこそヒットした[32]

虫明亜呂無と相倉久人は対談の中で “拓郎の果たした役割、たとえば「結婚しようよ」なんていうのはものすごい大きな力を持っていた”、“ニューミュージックというのがプログラムに上がり始めたのが「結婚しようよ」あたりからだった”、“それまでの女の歌は夜の街の女心を疑似的に歌った演歌しかなかった”、“日本の歌の最大の欠陥は女の歌・女の子の歌がなかったこと”、“だから日本の女の子は外国の歌を聴いていた。そうするうちにも日本語でうたう歌の中にも「結婚しようよ」なんていいことを言ってくれるじゃないって歌が出てきた”、“ニューミュージックは女の歌を生みだしたのではないか”と論じている[33]

1960年代後半の“異議申し立ての時代”に青年に支持されたのは、メッセージソング、プロテストソングであり“異議申し立ての運動”と連動していた。しかしこの運動は政治的には敗北し、少数の過激な闘争へと向かうグループがそれを担い、青年層の大部分は、脱政治的な、“私生活主義的な生活”を志向するようになった。かつてのコミューンへの情景はタテマエ化し、ひたすら私生活大事というホンネに閉じ籠った。これが“シラケ”であり「結婚しようよ」や「旅の宿」など拓郎の一連の私生活主義的な歌、「神田川かぐや姫、「精霊流しグレープなどの“叙情派フォーク”あるいは“四畳半フォーク”は、こうした心情を反映していた。また決して政治的なことは歌わず、ひたすら性的なメッセージを送ってくるだけのアイドルが、この時代から多数現れ、社会が受け入れたのも私生活主義的な生活を志向した時代にマッチしたものであった[34]

コンポーネントステレオの普及も手伝って、人々はアイドルかフォークかロックのレコードを聴くようになった[30]加藤和彦らが参加したカントリー・ロックの雰囲気を持ったサウンド・メイク、「僕の髪が肩までのびたら結婚しよう」という当時のニュー・ファミリー的な発想が大いに受けた[35]。髪が肩まで伸びてしまった男なんて、社会生活落第のフーテンか芸術家くずれか活動家かというイメージがまだまだ一般にあったところへ、そうなったら社会生活の基本形態である「結婚」を約束どおり実行しよう、という歌詞には逆転の発想、コピーライター的感覚があり、この時代の隠れた要請に応えていた。学生運動に飽きて優しさと保守回帰を求めていた若者たちの心にフィットして売れる要素が存分にあった。みんな誰かにこういうことを言って欲しかったのである[36]

備考[編集]

この「結婚しようよ」のシングル盤は、拓郎がセルフプロデュースしたアルバム『人間なんて』(1971年11月20日発売)からのシングルカットで、アルバムヴァージョンと同一テイクのため、プロデューサーは吉田拓郎である[22]。ただ加藤和彦が「はじめてのプロデュースは吉田拓郎の『人間なんて』の片面をやったのが最初かな。その頃はプロデューサーという言葉がなかったから、アレンジャーというクレジットになっているけど」と話している[37]1984年3月4日に放送された『NHK-FM 本放送開始15周年記念「トーク・ライブ '69~'84 そして、今も」』という番組では、加藤や松本隆小室等とラジオで同席した拓郎が、加藤の前で「『人間なんて』の片面を加藤に“手伝ってもらった”」と話している。2009年10月に加藤が亡くなった後の追悼ラジオでは、拓郎も既に記憶が薄れているのか「(『人間なんて』の中の)「結婚しようよ」や「どうしてこんなに悲しいんだろう」「自殺の詩」などの編曲(アレンジ)を加藤に頼んだ。他のアレンジは木田高介だったと思う」と話し、あまり覚えていない様子であった[38]。『人間なんて』の収録曲は「花嫁になる君に」以外は全て、拓郎の作詞・作曲であるが「結婚しようよ」のアレンジは、当時としてはかなり革新的なアレンジが加えられているため、加藤とすれば自身がプロデュースしたという感覚があるのではないかと思われる。

エピソード[編集]

映画監督佐々部清が拓郎のファンで[39]、2008年に同名タイトルの映画を撮った。またリリース当時、♪もうすぐ春が便器を肩に~と歌う『離婚しようよ』というタイトルの替え歌が流行ったが[4]、何と2023年6月にTBS制作によるNetflixシリーズで、本曲のタイトルからやはりヒントを得た『離婚しようよ』というタイトルの配信ドラマが製作された[40]

収録曲[編集]

Side:A

  1. 結婚しようよ(2分47秒)

Side:B

  1. ある雨の日の情景(1分37秒)
    • 作詞:伊庭啓子 / 補作詞・作曲・編曲:吉田拓郎

収録データ(結婚しようよ)[編集]

  1. 収録場所:杉並テイチクスタジオ
  2. 参加ミュージシャン

カバー[編集]

  • チェリッシュ - (1972年、アルバム『ひまわりの小径』収録)
  • 青い三角定規 - (1972年、アルバム『太陽がくれた季節』収録)
  • ペドロ&カプリシャス - (1972年、アルバム『さようならの紅いバラ 〜ペドロ&カプリシャスII』収録)
  • チューインガム - (1972年、アルバム『風と落葉と旅びと/岡田さんの手紙』)
  • 天地真理 - (1974年、アルバム『天地真理オン・ステージ』)
  • 本田路津子 - (1974年、アルバム『本田路津子 ニューミュージックを歌う』)
  • 南沙織 - (1974年、アルバム『夏の感情』収録)
  • ティン・パン・アレー - (1977年、アルバム『TIN PAN ALLEY 2』収録)
  • Mi-Ke - (1992年、アルバム『忘れじのフォーク 白い2白いサンゴ礁』収録)
  • ダ・カーポ - (1993年、アルバム『友への贈り物 アコースティック ファンタジー』収録)
  • 馬平・姜小青 - (1993年、シングル「結婚しようよ(中国語版)」収録。後にコラボレーションアルバム『烏龍歌集「チャイ」サントリー烏龍茶CMソングコレクション』(2003年)にも収録)
  • 藤本美貴 - (2002年、アルバム『FOLK SONGS 3』収録)
  • LOVERPHENIX - (2003年、シングル「結婚しようよ」収録)
  • つじあやの - (2004年、アルバム『COVER GIRL』収録)
  • ビリケン - (2004年、アルバム『ビリケンアルバム②』収録)
  • 筒美京平 - (2006年、アルバム『筒美京平ソロ・ワークス・コレクション -ソニーミュージック編-』収録)
  • 中ノ森BAND - (2008年、アルバム『吉田拓郎トリビュート〜結婚しようよ〜』収録)
  • 日野良一 - (2008年、アルバム『コモレビボッサ』収録)
  • 荻野目洋子 - (2009年、アルバム『Songs & Voice』収録)
  • 山本リンダ - (2009年、アルバム『どうにもとまらない』収録)
  • 島倉千代子 - (2010年、アルバム『エンカのチカラ〜ワンダフル・ポップス〜』収録)
  • Me First and the Gimme Gimmes - (2011年、アルバム『Sing In Japanese』収録)
  • ハンバート ハンバート - (2016年6月8日、アルバム『FOLK』収録)
  • 山田姉妹 - (2017年、アルバム『あなた 〜よみがえる青春のメロディー』収録)
  • chay - (2017年、アルバム『今日までそして明日からも、吉田拓郎 tribute to TAKURO YOSHIDA』収録)

なお、嘉門達夫が1989年に「結婚しようよ -彼女はもうすぐ26-」という曲を出している。この曲では各番の後半が、メロディは本曲と同じ、歌詞も酷似している。本曲へのオマージュと思われる。嘉門はコミックソング歌手として有名であるが、この曲はコミックソングではない。

脚注[編集]

  1. ^ 『オリコン・シングル・チャートブック(完全版):1968 - 2010』オリコン・エンタテインメント、2012年2月、367頁。ISBN 978-4-87131-088-8
  2. ^ a b 富澤一誠『「大人の歌謡曲」公式ガイドブック』 言視舎 2014年 ISBN 9784905369905 p160-161
  3. ^ 田家秀樹特集 1970年代フォークソングの季節 サブカルチャーから若者文化の主流へ」『週刊昭和48年』第21巻、朝日新聞出版、2009年5月3日、pp. 14-16。 アーカイブ
  4. ^ a b c 「INTERVIEW 吉田拓郎」『宝島』1991年6月24日 No.226、宝島社、78–79頁。 
  5. ^ a b c 泉麻人『昭和40年代ファン手帳』、中央公論新社、2014年 ISBN 978-4-12-150497-5 p212-214
  6. ^ はっぴいえんど、拓郎、ユーミン…Jポップ創始者たちが唄う“春の名曲”5選
  7. ^ フォーク・ソング - コトバンク
  8. ^ a b c d e f g h i j k l 速水健朗『タイアップの歌謡史』洋泉社洋泉社新書y 167〉、2008年、85–98頁頁。ISBN 978-4862481047 
  9. ^ a b 泉麻人『僕の昭和歌謡曲史』講談社、2003年、132-138頁頁。ISBN 978-4062737098 
  10. ^ シンコーミュージック『日本の男性シンガー・ソングライター』シンコーミュージック・エンタテイメント〈ディスク・コレクション〉、2013年、6–12頁。ISBN 9784401638857 高堀冬彦 (2022–07–21). “引退「吉田拓郎」と学生運動 広島大で運動家から「やめろ!」と吊るしあげられた過去”. デイリー新潮. 新潮社. p. 2. 2022年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月23日閲覧。
  11. ^ a b 柳井康弘「吉田拓郎が日本のフォークソングに与えた偉大なる影響 : 私生活フォークの成立と「僕の歌」をめぐって(芸術のロケーション)」『Booklet』第12巻、慶應義塾大学、2004年1月31日、86–88頁、NAID 110004646497 
  12. ^ 池内亜希 (2022年7月3日). “今も消えぬ“ギターだこ”…吉田拓郎「音楽はやっぱり最後まで一緒にいる存在ですよ」”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 3. オリジナルの2022年7月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220702215254/https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20220701-OYT1T50136/ 2023年10月23日閲覧。 「宝島ロングインタビューⅡ吉田拓郎 「今、人生を語る」 インタビュー・構成 萩原健太」『宝島』1983年7月、宝島社、63-77頁。 
  13. ^ 富士フイルムのあゆみ 第4章ワールドエンタープライズを目指して アマチュアカラー写真市場の拡大大好評だった「秘蔵音源」スペシャル!【時代のサカイ目】現代CMソング考 求められる視覚と聴覚への“瞬間刺激” - ZAKZAK
  14. ^ 【1972年8月】旅の宿/よしだたくろう 幸せの絶頂期にリリースしたヒット曲
  15. ^ あの日フォークが流れていた、1996年、石原信一、シンコー・ミュージック、p54-55
  16. ^ メディア時代の音楽と社会、1993年、小川博司、音楽之友社、p144
  17. ^ 流行歌 気まぐれ50年史、1994年、矢沢寛、大月書店、p151、152
  18. ^ a b 読むJ-POP 1945-1999私的全史、p138-139
  19. ^ 戦後ポピュラー日誌、1982年、柴田勝章、八曜社、p130
  20. ^ あの日フォークが流れていた、1996年、石原信一、シンコー・ミュージック、p54-56
  21. ^ 渡辺健一 『音楽の正体』 ヤマハミュージックメディア 1995年7月 ISBN 978-4636208788 ただし楽曲の終了間近には「V - I」という一般的なドミナントモーションが用いられ、最終的には男が結婚を決断するという構成を形作っている。
  22. ^ a b 地球音楽ライブラリー 吉田拓郎、TOKYO FM出版、p10 24、25、127、208、209
  23. ^ ジェネレーションF―熱狂の70年代×フォーク、2001年、小室等他、桜桃書房、p27
  24. ^ 共同研究 団塊の世代とは何か、御厨貴他、2008年4月、講談社、p214
  25. ^ ニッポンPOPの黄金時代、2001年、恩蔵茂、KKベストセラーズ、p224-225
  26. ^ あの日フォークが流れていた、1996年、石原信一、シンコー・ミュージック、p55
  27. ^ 小室等対談集、1975年、小室等財団法人ヤマハ音楽振興会、p8
  28. ^ 日本フォーク私的大全、なぎら健壱、ちくま文庫、p170
  29. ^ 別冊太陽 日本のロック 50's~90's、1993年、平凡社、p114-116
  30. ^ a b ロック・クロニクル・ジャパンVol.1、1999年、音楽出版社、p48
  31. ^ 愛すべき名歌たち、1999年、阿久悠岩波書店、p169-170
  32. ^ TV世代に夢をつれてきた 日本の歌手“50+1”人、1990年、伊藤強日本テレビ放送網株式会社、p266-267
  33. ^ ニューミュージック白書、1977年、エイプリル・ミュージック、p50、53、54
  34. ^ 音楽する社会、1988年、小川博司、勁草書房、p128、129
  35. ^ Hotwax presents 和モノ事典 1970'人名編、2006年、シンコー・ミュージック・エンタテイメント、p203
  36. ^ 失われた歌謡曲、1999年、金子修介小学館、p88-89
  37. ^ 『CDジャーナルムック 加藤和彦読本』、音楽出版社、2010年、p89
  38. ^ 坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」2009年10月20日
  39. ^ ほぼ日刊イトイ新聞 - あのひとの本棚。
  40. ^ TBSドラマプロデューサー磯山晶に聞く、Netflixドラマ『離婚しようよ』誕生秘話”. TBSテレビ (2023–06–22). 2023年7月25日閲覧。
  41. ^ 編曲クレジットはコンピレーションCD「そ 1970」付属ブックレットより。

関連項目[編集]