第138師団 (日本軍)

第138師団
創設 1945年(昭和20年)7月10日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務/特性 歩兵
人員 約2,000名
所在地 満洲
編成地 満洲 吉林省
通称号/略称 不動
補充担任 関東軍管区
最終上級単位 第30軍
最終位置 満洲 撫順
主な戦歴 太平洋戦争
(ソ連対日参戦)
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第138師団(だいひゃくさんじゅうはちしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

沿革[編集]

1945年(昭和20年)に入り、関東軍は南方へ兵力の過半数を引き抜かれていたが満洲居留邦人15万名、在郷軍人25万名を「根こそぎ動員」、さらに中国戦線から4個歩兵師団を戻してなんとか74万人の兵員を調達した。さらに以前関東軍特種演習により本土から輸送させた戦車200輌、航空機200機、火砲1000門も健在であった。

しかし兵員の半数以上は訓練不足、日ソ中立条約違反を想定していなかった関東軍首脳部の混乱、物質不足(砲弾は約1200発ほどで、航空部隊のほとんどが戦闘未経験者。また小銃が行き渡らない兵士だけでも10万名以上)のため事実上の戦力は30万名程度だったといわれている。

同年7月、第135師団は「根こそぎ動員」の際に満洲で召集された邦人男子を主体に吉林省で編成された。第30軍に編入され、吉林付近に師団主力は所在した。しかし、師団の編成は完了しておらず、同年8月9日のソ連対日参戦時には総員2千名の規模であった。ソ連軍の侵攻を受け撫順に移動したが、本格的な戦いを交える以前に停戦となり、8月19日に武装解除された。

第138師団は、同年7月の「根こそぎ動員」の際に編成された師団の一つである。同時に第134第135第136第137第139第148第149師団が編成された。

師団概要[編集]

歴代師団長[編集]

  • 山本務 中将:1945年(昭和20年)7月16日 - 終戦[1]

参謀長[編集]

  • 佐藤貞二 大佐:1945年(昭和20年)7月26日 - 終戦[2]

最終司令部構成[編集]

  • 参謀長:佐藤貞二大佐

最終所属部隊[編集]

  • 歩兵第377連隊(満洲):須貝良民大佐
  • 歩兵第378連隊(満洲):赤尾今朝雄少佐
  • 歩兵第379連隊(満洲):加藤恒平少佐
  • 砲兵第138連隊
  • 工兵第138連隊
  • 輜重兵第138連隊
  • 第138師団挺進大隊
  • 第138師団通信隊
  • 第138師団兵器勤務隊
  • 第138師団病馬廠

脚注[編集]

  1. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』313頁。
  2. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』444頁。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。

関連項目[編集]