立体音楽堂

立体音楽堂
ジャンル 音楽番組
ステレオ音声によるクラシック音楽など)
放送方式 収録
放送期間 1954年11月13日[1] - 1966年4月2日[2]
放送局 立体放送(NHKラジオ第1NHKラジオ第2
NHK-FM
制作 NHK
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立体音楽堂(りったいおんがくどう)は、NHK1954年11月13日[1] - 1966年4月2日[2]に放送された日本初のステレオによるレギュラー・ラジオ番組である[1][3]

概要[編集]

1952年12月、NHKはラジオ第1を左チャンネルで、ラジオ第2を右チャンネルで放送する形のステレオ放送(当時は「立体放送」と呼んでいた)を開始[注 1][4]。以後、この形式による放送を特別番組として随時行い、これを定時番組化させたのが本番組である[1]

同番組第1回目(1954年11月13日)の放送内容は、「歓喜への頌歌」で、内容は、ベートーヴェン作曲による、交響曲第9番「合唱」の第4楽章であった[注 2][5]。また、番組が開始する前の1954年11月3日には、同番組の紹介版として、音楽物語「あなたにはきこえませんか」が放送されている[注 3][1]

ステレオ・レコードが本格的に普及し始める1960年頃までは、オープンリール式のステレオ・テープ及びそのプレーヤーが高価であったことから、この番組は、ステレオ音声が楽しめる媒体として、映画のシネマスコープ等のステレオ音響と共にオーディオマニアなどから大変重宝されていた。

その後1958年8月1日になると、日本でもステレオ・レコードが発売され始め[注 4]、同時期には、東京・大阪等の大都市に於いては、民放AM2局による同様のステレオ放送[注 5]もレギュラー番組として始まる様になるなど、一般的にステレオ放送に関する関心も高まり、NHKでも1961年4月7日からは「夜のステレオ」という、AM2波による新しいステレオ番組(30分)まで登場する様になった。

しかし、高音質でモノラル放送との両立性を持つ1波によるFMステレオ放送が東京放送局にて1963年12月16日に開始されたことにより、この番組も同月22日よりFMでの同時放送を開始[注 6][6]。更にNHKはFMステレオ放送を全国にて開始する施策を取った為、同番組も1964年4月12日の放送からはFMのみでの放送となった[7][注 7]。その後、同年(1965年)度内にはFMステレオ放送が全国で開始され、これに伴って、FMでのステレオ番組も大幅に増えたため、同番組も1966年4月2日に終了することとなり[2]、11年5か月の放送に幕を閉じた。番組最終回(1966年4月2日)の放送内容は、サン=サーンス作曲の交響曲第3番「オルガン」とJ.S.バッハ作曲のオルガン独奏曲2曲(「パッサカリアとフーガハ短調BWV582」ほか1曲)であった[注 8]

尚、この番組で放送された音源の中には、クラシックを主に当時の名演奏家の貴重な来日公演等も含まれているため、後に、NHK-FMで再度放送されたり、映像も同時に収録されたものについては、NHKテレビにて音声をステレオ化させて放送したりしている。更に、CD、DVD等のソフトとして市販されたものもある。

放送時間・放送メディアの変遷[編集]

なお、番組の内容によっては、放送時間の延長や放送時間帯を移動した回、更に放送内容がわずかに短いため、放送前に5分間ニュースを入れてから放送した回もある。また、高校野球開催時等の番組編成の都合により当番組が放送されなかった週もあったり、元日などの祝日には、この番組とは別に中波2波によるステレオ特別番組を放送したこともある。

主な放送内容[編集]

N響立体コンサート
NHK交響楽団による演奏会。指揮者はヴィルヘルム・ロイブナーヴィルヘルム・シュヒターヴィットリオ・グイジョセフ・ローゼンストック岩城宏之外山雄三小沢征爾ジャン・マルティノンなど多数。放送された音源の一部については、日本ビクターキングレコードなどからLP、CD、DVD化された。
第1 - 4回NHKイタリア・オペラの一部
東京宝塚劇場東京文化会館サンケイホール等で収録。その音源の一部は、1980年代中頃に、キングレコードからCD、LPにて発売された。尚、第1回分から、全演目(全公演ではない)が歌劇の全曲分、ステレオにて収録されており、後にFM放送にてステレオで放送されたこともある。
リズム・ページェント、軽音楽特集
月1回、洋楽の生演奏(ステレオ・テープにて収録)をステレオで放送する番組。ジャンルは、ジャズラテンシャンソンポップス映画音楽等様々である。
立体音楽劇、立体ミュージカル
連続シリーズ「ジャズの歴史」(1959年製作)、音楽詩劇「オンディーヌ」(1960年8月14日放送、同年イタリア賞ラジオ音楽部門にて同賞を受賞[注 11][17][18])など。
純邦楽
長唄箏曲など。演奏は宮城道雄(自作自演もある)、杵屋佐三郎など。
シネマスコープ中継
ステレオ音声が再生できる東京の映画館から、映画のサウンドトラックを再生して中継する企画。世界初のステレオ音声によるディズニーアニメ映画ファンタジア」(レオポルド・ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団)、ミュージカル映画回転木馬」・「オクラホマ!」の映画音声の一部が放送された。
市販のステレオ・テープ、レコードを再生した放送[注 12]
国内の演奏会に於けるライヴ録音
以下に主なもの。

余談[編集]

当番組においては放送時間の都合上、ベートーヴェン作曲の交響曲第9番「合唱」の全曲放送ができなかった[注 17]が、1961年に、来日するライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の公演演目の1つに、この交響曲が含まれていたので、NHKはその公演をステレオにてライブ収録し、1961年5月3日の午前10時30分から1時間20分に渡り、「ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団立体コンサート」という特別番組を編成、AM2波を使っての初のステレオ同曲全曲放送をした[注 18][19]

参考文献[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 試験放送が同月5 - 7日に行われ、同月20日に最初の番組「土曜コンサート」が東京ローカルで放送。翌年2月28日に放送された「土曜コンサート」から全国放送での実施を開始する。
  2. ^ 日比谷公会堂で録音したもので、演奏は、ソプラノ・三宅春恵、アルト・川崎静子、テノール・柴田睦陸、バス・秋元雅一朗、合唱・計約200名(成城合唱団、東京藝術大学合唱団)、管弦楽・東京フィルハーモニー交響楽団、指揮・山田一雄であった。
  3. ^ 山田一雄作曲。2018年11月25日、NHK-FM『クラシックの迷宮』内で再放送された
  4. ^ ちなみに、日本初のステレオレコードは、日本ビクターから発売された。詳細については、日本ビクター#年表の項目を参照のこと。
  5. ^ 文化放送ニッポン放送パイオニア・イブニング・ステレオ』、毎日放送朝日放送ナショナルステレオホール』などが代表的な番組であった
  6. ^ a b この番組のFMで同時放送開始時でのステレオ放送化については、東京局のみ。翌年(1964年)の2月4日には、大阪・名古屋両局でFMステレオ放送が開始されたのを受け、同月(2月)9日から両地域でも、この番組がFMステレオ放送となった。
  7. ^ これにより、AM2波によるステレオ放送は、毎週土曜夜の「夜のステレオ」のみとなるが、同番組も1965年4月3日に終了し、これを以って、NHKのAM2波ステレオ放送の歴史に幕を下ろすこととなる。
  8. ^ 演奏は、オルガン・島田麗子、管弦楽は渡邉暁雄指揮の日本フィルハーモニー交響楽団だった。
  9. ^ AM2波での放送終了。
  10. ^ 放送時、FM放送がステレオ化されていない地域では、同放送に於いてはモノラルでの放送。
  11. ^ この放送音源は後の1961年7月に、当時の東芝音楽工業(現・EMIミュージック・ジャパン)からステレオ・レコードにて発売され(規格番号:JSC1005)、月刊クラシック・レコード雑誌「レコード芸術」の同月号の推薦盤にもなった。
  12. ^ 1955年から開始。
  13. ^ 米RCAビクター原盤では、フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団による演奏のステレオ・テープが放送された。前者ではリヒャルト・シュトラウス作曲の交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」(1954年3月8日録音)、交響詩「ドン・ファン」(同年12月6日録音)などを、後者ではシューベルト作曲の「未完成交響曲」(1955年5月2日録音)などを放送した。
  14. ^ この際、米RCAビクター原盤によるアルバム「Hi-Fi フィドラー」(アーサー・フィードラー指揮、ボストンポップス管弦楽団の演奏によるクラシックの管弦楽曲集のアルバム。レコード番号:LSC-2100)等の市販される前のステレオ・レコードが放送された。アルバム「Hi-Fi フィドラー」からは、チャイコフスキー作曲「スラヴ行進曲」とロッシーニ作曲の歌劇「ウィリアム・テル序曲」が放送された。
  15. ^ ブラームス作曲の「交響曲第4番」が収録された。
  16. ^ 2006年にDVD化されたベートーベンの交響曲第3番「英雄」については、ステレオで収録されたものの、当番組での放送はされなかった。
  17. ^ 第4楽章だけ放送したことは何回かある。
  18. ^ この公演は、同年5月5日に、NHK教育テレビでも放送された。ちなみに、この時の指揮は、フランツ・コンヴィチュニーであった。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'56』日本放送出版協会、1956年、131,132頁。 
  2. ^ a b c d 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'66』日本放送出版協会、1966年、140頁。 
  3. ^ 宮坂榮一「放送の音声方式 : アナログ放送からディジタル放送まで」『日本音響学会誌 57巻9号』 日本音響学会、2001年9月、p.597-603、doi:10.20697/jasj.57.9_597
  4. ^ 日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'54』日本放送出版協会、1954年、191頁。 
  5. ^ 朝日新聞 1954年11月13日 朝刊P.5 ラジオ・テレビ欄 「聴きもの見もの」同番組紹介欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  6. ^ a b c d 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'64』日本放送出版協会、1964年、154頁。 
  7. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'65』日本放送出版協会、1965年、193頁。 
  8. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'56』日本放送出版協会、1956年、131頁。 
  9. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'57』日本放送出版協会、1957年、110頁。 
  10. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'58』日本放送出版協会、1958年、114頁。 
  11. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'59』日本放送出版協会、1959年、115頁。 
  12. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'60』日本放送出版協会、1960年、135頁。 
  13. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'61』日本放送出版協会、1961年、150頁。 
  14. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'62』日本放送出版協会、1962年、140頁。 
  15. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'62 No.2』日本放送出版協会、1962年、65,66頁。 
  16. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'63』日本放送出版協会、1963年、144頁。 
  17. ^ 日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'62』日本放送出版協会、1962年、61,362頁。 
  18. ^ ラジオドラマ資源:1960年 放送記録(2024年2月18日閲覧)
  19. ^ 朝日新聞 1961年5月3日 朝刊 P.5 番組表 及び 番組紹介欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)

関連項目[編集]