空印事件

空印事件(くういんじけん)とは、1376年で発生した内部粛清事件である。

概要[編集]

背景[編集]

当時の中国では毎年、州・府・県は規定に従って各布政使司に計吏を送り、地方財政の収支を報告することになっていた。そして報告を受けた各布政使司が戸部(財務大臣)に報告する義務があった。このように何度も確認を経ることで、初めて収支簿に記載されて皇帝に報告されるようになっていたのである。つまりこの計算が合わなければ、最初から収支簿を作りなおす必要に迫られた。

ところがこのやり方では時間がかかりすぎた。不正を取り締まるという意味では最適だったが、わずかでも計算が狂うと直ちに最初からやり直すのである。特に当時の首都である応天府(現在の南京)から遠く離れた北方はモンゴル対策もあって治安が不安定な所も少なくなかった。[要出典]そのような場所で最初から計算をやり直し、また新たに役所の確認や印も必要とする。

このため[要出典]計吏は、各官や役所の印があらかじめ押してある空欄の帳簿を準備するようにしていた。こうすれば、仮に収支簿を送り返されても、すぐにやり直して提出できるからである。この方法は、各地の官吏で公然の秘密として慣習化されていた。[要出典]

粛清[編集]

これが皇帝だった朱元璋に知られてしまった。朱元璋は激怒し、各地の役所の長官と印を保管する責任者らを一律に死刑とした。またその補佐を務めるべき官吏だった者などは連座として北方や南方における辺境の兵士として左遷された。

参考文献[編集]

関連項目[編集]