石見国造 石見国造(いわみのくにのみやつこ、いわみこくぞう)は、石見国を支配した国造。 概要[編集] 祖先[編集] 『先代旧事本紀』「国造本紀」には、崇神天皇の時代に紀伊国造と同祖・蔭佐奈胡命(鬼刀禰命の子)の子の大屋古命を国造に定めたとされる。 大屋古命は邇摩郡に住んだとされる[1]。 氏族[編集] 不明。紀国造の同族であるが、国造氏族の系図などは現存しない。 本拠[編集] 不明。 支配領域[編集] 国造の支配領域は当時石見国と呼ばれた地域、後の律令国の石見国に相当する。 伝承[編集] 大田市の物部神社には、社家・金子氏の祖である物部竹子連が石見国造であったという伝承がある[2]。 脚注[編集] ^ 天津亘 編『石見誌』白檮園,大正14,194頁 ^ 物部神社 公式ホームページ[1] 関連項目[編集] 国造の一覧 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集