石川竹崖

石川 竹崖(いしかわ ちくがい、寛政6年8月1日1794年8月25日〉 - 天保15年9月26日1844年11月6日〉)は、江戸時代後期の儒学者文人。父は石川之喬石川丈山の子孫。近江国出身。

之褧通称貞一郎士尚雅号竹崖[1]

概要[編集]

寛政6年(1794年8月1日近江国で生まれた。

村瀬栲亭に師事したのち、伊勢津藩主・藤堂高兌に仕え、文政3年(1820年)には、藩校である有造館の設立とともに講師となり、のちに督学となった。

天保15年(1844年)9月26日に51歳で死去した。

著作に『広益名物六帖』などがある[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]