石堂克利

石堂 克利
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県幡豆郡一色町(現・西尾市
生年月日 (1980-04-18) 1980年4月18日(44歳)
身長
体重
186 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 ドラフト1位
初出場 2003年9月7日
最終出場 2005年10月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

石堂 克利(いしどう かつとし、1980年4月18日 - )は、愛知県幡豆郡一色町(現・西尾市[1] 出身の元プロ野球選手投手)。現在は東京ヤクルトスワローズスコアラーを務める[2]

経歴[編集]

アマチュア時代[編集]

愛工大名電高では、イチローも教えた中村豪の下で野球を学んだ。3年夏の愛知大会では、初戦で14奪三振を奪うなどの活躍を見せて優勝している。第80回全国高等学校野球選手権大会は、1回戦で赤田将吾の在籍した日南学園と対戦し敗退[1]。この試合では外野手として出場し、3打数1安打1四球だった。1998年ドラフト1位で投手としてヤクルトに入団[1]。いわゆる松坂世代の1人である。当時のスカウトからは、「素材としては松坂以上、投手としてものにならなくとも、打者としても評価出来る」と高く評価されている。

プロ入り後[編集]

右肩の違和感による手術、右足首骨折、左大腿部骨髄炎など数年間故障に泣かされた。中には成功確率がほぼ0に等しい難手術も含まれ、何度も選手生命の危機に脅かされながら、一軍登板にいたっている。2003年9月7日、対中日ドラゴンズ戦でプロ初登板(ナゴヤドーム)。この年4勝を挙げる。

2004年、開幕3連勝も不振で二軍降格。その後復帰し、この年は6勝。5月4日の対中日戦(神宮)ではセ・リーグタイ記録の1試合3暴投を記録[3]

2005年、本拠地である明治神宮球場でのシーズン4試合目(対中日)の本拠地開幕戦に先発を任せられるなどシーズン当初は期待されたがコントロールが甘く5試合で二軍降格。結局この年5試合のみの登板で1勝に終わった。

2006年、オープン戦から打ち込まれることが多く開幕二軍スタート。二軍でも21試合で防御率5点台と打ち込まれ、4年ぶりに一軍登板無しに終わった。この年のオフに、外野手へ転向を試み、秋季キャンプには外野手として参加したが、最終的には投手へ戻った。2007年は二軍でも実績を残す事が出来ず、一軍登板も無かった。10月5日に戦力外通告を受けた。

本人は現役続行を希望していたが、他球団からの声はかからず、11月26日に東京ヤクルトスワローズの打撃投手として契約された(11月30日付で自由契約が公示)。現在はスコアラーを務めている。

選手としての特徴[編集]

ストレートは最速でも145km/h程度と、飛びぬけて速い球を投じた訳ではないが、打者がその球速以上にノビを感じるという直球と、スローカーブで緩急を付ける投球を見せた。他に、スライダーフォークシュートなども投じていた。

現役時代晩年はそのコントロールに苦しむ場面が多く、特にランナーを背負った際の制球が課題となっていた。

打者としてもセンスを持つ事で知られ、一軍での安打も記録している他、練習では柵越えを見せた事もある。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2003 ヤクルト 5 5 0 0 0 4 1 0 -- .800 113 27.0 21 5 11 0 2 15 0 0 11 11 3.67 1.19
2004 16 16 0 0 0 6 7 0 -- .462 348 75.1 109 16 22 0 4 48 5 0 58 58 6.93 1.74
2005 5 5 0 0 0 1 2 0 0 .333 95 21.1 26 6 8 0 0 13 0 0 16 16 6.75 1.59
通算:3年 26 26 0 0 0 11 10 0 0 .524 556 123.2 156 27 41 0 6 76 5 0 85 85 6.19 1.59

記録[編集]

投手記録
打撃記録

背番号[編集]

  • 37(1999年 - 2001年)
  • 60(2002年 - 2007年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、44ページ
  2. ^ スタッフ | 選手名鑑 | 東京ヤクルトスワローズ
  3. ^ ベースボールマガジン2005年冬季号131ページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]