石垣一夫

石垣 一夫
1955年撮影
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県 新宮市
生年月日 1931年8月14日
没年月日 (2004-07-23) 2004年7月23日(72歳没)
身長
体重
176 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1952年
初出場 1953年3月28日
最終出場 1960年10月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 南海ホークス (1961 - 1964)
石垣一夫
いしがき かずお
所属政党公明党→)
(公明新党→)
新進党→)
自由党→)
公明党

選挙区 大阪10区
当選回数 1回
在任期間 1996年10月21日 - 2000年6月2日

選挙区 高槻市三島郡選挙区
当選回数 5回
在任期間 1975年4月23日 - 1995年4月22日

当選回数 1回
在任期間 1971年 - 1975年
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石垣 一夫(いしがき かずお、1931年8月14日[1] - 2004年7月23日)は、和歌山県新宮市出身のプロ野球選手コーチ政治家

経歴[編集]

新宮高校卒業後の1950年常磐炭鉱へ入社し、1952年には都市対抗に出場。準々決勝で全鐘紡に敗退し、産業対抗日鉄二瀬の補強で出場 社会人時代は一度も盗塁をされたことが無いといわれたほどの強肩捕手であり、1953年大阪タイガースへ入団。

1年目から3月4日日米野球第5戦でスタメン出場し、開幕後も57試合に出場。1956年には徳網茂からレギュラーの座を奪ったが、1957年には山本哲也にレギュラーを奪われてしまう。強肩で、足も速かったが、打撃がそれほど良くなく、完全にレギュラーになれなかった。1958年オフに南海ホークスへ移籍し、2年間で53試合に出場。39試合でマスクを被ったが、野村克也の控え捕手で出場は限られ、1960年に現役を引退。

引退後は南海二軍コーチ(1961年 - 1964年)を経て、政治家に転進。1971年公明党から、高槻市議会議員に当選し1974年まで務める。1975年からは大阪府議会議員に当選し、1995年まで5期20年務め、1986年には副議長にも就任した。1996年第41回衆議院議員総選挙大阪10区から、新進党公認で立候補して初当選したが、2000年第42回衆議院議員総選挙には公明党から立候補するものの社民党辻元清美に敗れ、落選した。

落選後は政界を引退し、2004年7月23日に心不全のため高槻市内の病院にて死去[2]

妻は元タカラジェンヌ。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1953 阪神 57 78 66 13 18 1 0 0 19 6 2 0 3 -- 7 -- 2 10 2 .273 .360 .288 .648
1954 77 148 142 11 34 6 0 1 43 11 5 4 2 0 2 -- 2 22 3 .239 .260 .303 .563
1955 50 88 83 8 23 4 1 0 29 8 4 1 0 1 3 0 1 16 2 .277 .310 .349 .660
1956 103 258 248 22 51 9 2 5 79 18 5 3 0 0 7 1 3 25 3 .206 .236 .319 .555
1957 72 178 165 12 38 7 2 1 52 14 4 2 1 2 8 0 2 22 7 .230 .274 .315 .589
1958 36 47 43 2 5 2 0 0 7 3 0 0 1 1 2 0 0 10 1 .116 .156 .163 .318
1959 南海 33 40 38 5 6 5 0 0 11 2 0 0 0 0 1 0 1 8 0 .158 .200 .289 .489
1960 20 38 36 3 5 0 0 0 5 1 0 0 0 0 2 0 0 6 2 .139 .184 .139 .323
通算:8年 448 875 821 76 180 34 5 7 245 63 20 10 7 4 32 1 11 119 20 .219 .258 .298 .557

背番号[編集]

  • 29 (1953年 - 1958年)
  • 23 (1959年 - 1964年)

脚注[編集]

  1. ^ https://npb.jp/bis/players/31333807.html
  2. ^ 石垣一夫氏死去 元公明党衆院議員”. 共同通信 (2004年7月23日). 2013年5月24日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]